やや過激な書き出しになって恐縮だが、要は日本の「邦楽(ここでは明治時代以降の日本の大衆音楽・ポピュラー音楽)」はほぼ全て複合的な音楽ジャンルということだ。
どこから話すべきか。
もちろん現代のJ-pop、最近まで流行していたシティポップ、そして歌謡曲など今流行している邦楽の音楽ジャンルから話した方がわかりやすいかもしれない。
ただ、ここでは結論を始めに伝えておきたいので、やはり明治時代の唱歌から取り上げよう。
まず、唱歌自体が和洋折衷の音楽である。
これは1880年(明治〇年)音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)辺りの歴史を読んで頂きたいが。
なぜ「和洋折衷」か?簡単に説明すると、日本の明治以降の近代的な音楽教育は、米国出身のメーソン先生という御抱え外国人教師の教えに始まるという歴史的事実があるため。
「唱歌」はもちろん日本の原風景など歌詞の内容は日本文化そのものを歌ったものが多い。
だが、曲はひとことでいえば西洋音楽。とくにメーソン卿がウェールズ系移民だったため「埴生の宿」に代表されるように、ウェールズ民謡など英国すなわち英語圏の西洋音楽の影響から始まった。
16世紀から18世紀に爛熟期を迎えたクラシックがあるじゃないか?
よほど英語圏の西洋音楽より、ドイツやフランス音楽の影響があるんじゃないの?何言ってんだこいつ、と当然思われる方が多いだろう。
だが、たんねんに明治期の日本でのクラシック音楽の歴史をひもとくと、実は日本での本格的なクラシックの始まりは唱歌より後である。
16世紀頃から九州・関西で局所的に伝播した隠れキリシタンの聖歌隊(グレゴリオ聖歌など)、仙台藩の支倉常長の庇護など局所的に西洋音楽が日本に伝播した例もある。
もちろん、こうした音楽史の歴史を調べる前の筆者のように、単なる庶民的な音楽リスナーで、ふだんはポピュラー音楽ばかりでクラシックだってあまり聞いていない輩でも、なんとなく当然クラシックの方が古くに日本に伝わっていたのだろうというイメージだった。
だが、事実、年代をおっていけば明らかだ。
(関連記事)音楽年表日本を参照
唱歌だって日本の歌としか思わなかったが、和洋折衷すなわちウェールズ民謡などの西洋大衆歌謡と日本的な詞のハイブリッドすなわち混合的な音楽ジャンルである。
唱歌の後、
唱歌>流行唄>軍歌>(戦時による分断)※ここで日本人の音楽ジャンルの概念がいったん思考停止。
(戦後の大衆音楽の復活)「りんごの唄」※ここから日本人の音楽ジャンルの概念がリスタート仕切り直し。
流行唄
ジャズ
ラテン
歌謡曲
>リズム歌謡
>リズム・アンド・ブルース
>>ソウル
>>演歌
ロカビリー(ロックンロール)
>ベンチャーズ
>ビートルズ
>フォーク
>ロック(サイケデリックロック、プログレ等のビートルズ後期に英国で流行したアートロックやニューロックとも呼ばれた新しいロックンロールの派生形サブジャンルの総称)
シンガーソングライター
ニューソウル
….
>ニューミュージック/シティポップス
…
JPOP
…
といった戦後の邦楽のサブジャンルについては諸説語られてきた。
もちろん各音楽ジャンルについてあれこれ音楽談義をするのも愉しい。
細部に神が宿るという科学の格言もある。
ただ、たまに枝葉や木だけでなく森全体を見渡してみるのもよいかもしれない。
(※雑談コラム※個人の感想です。)