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和ラテンに共通する「ジャンルとのズレ」問題

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和ラテンに共通する「ジャンルとのズレ」問題

この和ラテンに共通する「ジャンルとのズレ」問題は歴史が長くかつ現在でも続いているわりと根深い問題といえば問題。古くは戦前にさかのぼるが戦後でいえば1947年に服部良一さんがキューバのソンの音楽スタイルで「薔薇のルムバ」という曲を発表した辺りがきっかけだろう。ただ、服部良一先生の名誉のために補足しておくと、個人的にはソン・クラーベ(Son Clave)とルンバ・クラーベ(Rumba Clave)の違いをご存じだったかもしれない服部先生がもしかしたらこれはソンはソンでもルンバ・クラーベ(Rumba Clave)のソンだよという意図があったかどうか。(まあ多分情報不足でそこは管理人の妄想だが)少なくとも、日本人がソンをルンバと間違えた説には従来はルンバの解釈をいわゆる太鼓主体のアフロキューバンのルンバと捉えたものが多かったが、個人的にはソン・クラーベ(Son Clave)とルンバ・クラーベ(Rumba Clave)との違いだったのかもしれないという視点も考慮に入れるべきかと思う。すると、ソンとルンバの違いといってもそのずれは約0.5拍子のズレのみとなり、おなじ3-2クラーベでもあるのでズレはその程度ということになる。つまりさほど目くじら立てるほどでもなかろう。というのが筆者の個人的見解である。

ルムバ(ルンバ)はキューバのソン


この戦後間もない昭和20年代前半(1945年~1949年)の二葉あき子さんの2大「ルムバ(ルンバ)」ヒット曲である1947年「薔薇のルムバ」1948年「さよならのルンバ」。

その後、
1950年「情熱のルムバ」高峰三枝子
1957年「泣き虫ルムバ」美空ひばり
…と50年代をへて
1962年「コーヒー・ルンバ」西田佐知子、ザ・ピーナッツ、宝とも子

これらの昭和20年代から昭和30年代の和製ルムバ(ルンバ)の大ヒットにより日本人の「キューバのソン/ルムバ(ルンバ)」認識はほぼDNAに刷り込まれてしまったのかもしれない。

ただ、上述のとおり、この認識のズレをやれ本物と違う云々というのも「もう一歩先へ!」といいたくなる(音楽知識の知り始めは語りたくなる気持ちはよく分かるが😅自分も若いころはそうだった。)

だが、そこをもう一段(高次元・もしくは・逆に庶民的な)広い視点で俯瞰してみれば、各国ごとに音楽ジャンルのローカル化はよくある話。

キューバのソンのローカル化は世界各地で

今の人はピンとこないだろうが、戦前までは世界最大の音楽大国はキューバだった。
かんたんにいえば、今でいうポピュラー音楽における米国のような存在が戦前のキューバ。

そもそもの米国のソングつまり歌もの全てがほぼキューバのソンのローカル化。
これはあまりに話がでかすぎて米国人も気づいているかもしれないが政治的な理由であまりふれたくない話題ではあるがポピュラー音楽史ではもっとも大きなキューバのソンのローカル化の事例である。特徴といえばつまり現在歌といえば一般的に思い浮かぶ歌+伴奏+リズムという音楽演奏スタイルがソンの影響を受けている。※ただしそれがソンが発祥かというとそうではない。すでに15世紀にはインドネシアで現地音楽とポルトガル音楽が融合したクロンチョン(Kroncong)などの例もあり、各地でいわゆる少人数での楽器を伴う歌のスタイルは発生していた。ただ、なぜ米国のソングのルーツがキューバのソンかといえばそれは地理的な理由。18世紀ごろまでの米国にとってインドネシアはほぼ地球の裏側。マゼランも米国に戻っては来なかった?。まあ詳細はさておき、少なくとも18世紀までの米国にとっても最も身近で立派な音楽の先生はキューバの音楽家だった。当時は西仏とのいさかいはあったものの、基本的には戦前までキューバと米国は仲が良かった。米国音楽家はデュークエリントンをはじめキューバの音楽家に敬意を払っていた。その豊かな音楽史がタブーとなってしまったのはご存じのとおり1962年キューバ危機以降の大人の事情である

ガーナのパームミュージック(私見だがほぼソンのガーナ化かも?)、トリニダードの

まとめ

いずれにせよこのズレ問題を批判は個人的にはもう飽きた(笑)。
この日本人の和ラテンでのズレ問題はもう修復不可能。もうこうなったら一つの個性としてリスナーの皆さんがなんとかしっかりラテン音楽の知識を増やしてこうした楽曲を聴くときに本来のサルサのリズムとは違うけれどそれはそれで新しい試みだったといったことをご自分で翻訳(脳内変換)しながら楽しむという高度な音楽リスニング技を駆使しながら楽しむのをおすすめしたい。

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