1958年ヒット曲(昭和33年邦楽)流行歌・歌謡曲など:
「嵐を呼ぶ男」石原裕次郎♪(1958年)
「ダイナマイトが百五十屯」小林旭♪(1958年)
「ダイアナ」山下敬二郎♪
「お座敷ロック」五月みどり♪
「ロカビリー剣法」美空ひばり(1958年)♪
「監獄ロック」小坂一也(1958年)♪※「元祖和製プレスリー」。スライドが粋。
「有楽町で逢いましょう」フランク永井(1957年7月発売)♪※前年からロングヒット。「泣かないで」和田弘とマヒナスターズ(1958年8月発売)♪
「俺は淋しいんだ」フランク永井(1958年)♪
「おさらば東京」三橋美智也(1957年11月発売)♪※前年からロングヒット。
「だから云ったじゃないの」松山恵子♪
「夕焼とんび」三橋美智也♪
「銀座の蝶」大津美子♪
「無法松の一生 (度胸千両入り)」村田英雄(1958年)♪
「花笠道中」美空ひばり(1958年)♪
「おーい中村君」若原一郎♪
「からたち日記」島倉千代子♪
「河は呼んでいる」中原美紗緒(1958年)♪
「好きな人」藤本二三代(♪)
「東京詩集」鶴田浩二(1958年)♪
「センチメンタルトーキョー」三橋美智也♪
「東京ドライブ」大津美子♪※「銀座の蝶」の夜のイメージとはうってかわって軽快なポップス調の曲。昭和33年(1958年)は東京タワーができた年。高度経済成長期の息吹が感じられるようです。
「明日は明日の風が吹く」石原裕次郎
「羽田発7時50分」フランク永井
「星は何んでも知っている」平尾昌晃とオールスターズ・ワゴン
「ダイアナ」平尾昌晃♪※ヒットしたのは山下敬二郎盤だがこちらも若き日の平尾昌章さんのかすれたボーカルが秀逸。
「別れの燈台」春日八郎♪
「海猫の啼く波止場」春日八郎♪※春日八郎の語りとトランペットが入った海べの哀愁をそそる曲。
「居酒屋」春日八郎(1958年)♪
「銀座九丁目は水の上」神戸一郎♪
「監獄ロック」浜村美智子♪
「ロックを踊る宇宙人」清野太郎(1958年)♪※ロカビリー&コミックソング?のカルト名曲。ジャケも秀逸。
「橇は飛ぶよ(そりはとぶよ)」荒井恵子♪(昭和31年1月4日発売、NHKラジオ歌謡)「おちゃっぴギター」石井千恵♪
「夜がわらっている」織井茂子♪
「思い出さん今日は」島倉千代子
「こいさんのラブ・コール」フランク永井(♪)※低音の魅力で綴る大阪詩集
「月影のなぎさ」ミッキー・カーチス
「君は我がさだめ」ミッキー・カーチス
「旅笠道中」三波春夫(♪)
「赤い夕陽の故郷」三橋美智也(1958年)
「民謡酒場」三橋美智也(1958年)
「夜霧の滑走路」三船浩(1958年)
「娘サンドイッチマン」雪村いづみ(1958年)
1958年の出来事(音楽関係)抜粋
・ロカビリー流行「ダイアナ」など)
1958年2月第1回日劇ウエスタンカーニバルが開催
1958年8月日本ビクターが初のステレオ録音レコードを発売
(参考)1958年昭和33年生れ年齢
1958年昭和33年生まれ年齢61歳(2019年令和元年)
西暦和暦年齢早見表
<広告>日本コロムビア公式ショップ

1958年(昭和33年)デビュー歌手
1958年1月デビュー「リトル・ダーリン」平尾昌晃
1958年1月デビュー「男の涙」仲代達矢
1958年4月デビュー「バルコニーに坐って」山下敬二郎※B面「ダイアナ」が大ヒット
1958年6月デビュー「かたみの十字架」伊東ゆかり(♪)キング※11才で英語歌詞の大人顔負けの本格派歌唱
1958年7月流行歌手デビュー「無法松の一生」村田英雄
1958年8月歌手デビュー「望郷の琵琶歌」明石照子※宝塚
1958年8月歌手デビュー「その灯を消すな」高倉健
1958年9月20日歌手デビュー「女を忘れろ」小林旭
1958年10月歌手デビュー「波間に何か漂う」浜木綿子・藤里美保※宝塚
1958年10月歌手デビュー「青い珊瑚礁」真木弥生(♪)※宝塚
1958年11月歌手デビュー「お座敷ロック」五月みどり(♪)
1958年11月歌手デビュー「むすめ絹織唄」多摩幸子※宝塚
1958年12月歌手デビュー「芸者マーチ」岡田ゆり子(♪)
1958年歌手デビュー「金獅子紋道中唄」里見浩太朗
1958年歌手デビュー「民謡 真室川音頭」酒井千恵子
1958年(昭和33年)音楽関係

戦後の昭和20年代から流行していたジャズや流行歌などからロカビリーなど流行が大きく変った年でもありました。ここではそんな昭和33年の懐メロをご紹介していきます。
1958年(昭和33年)できごと (音楽関係):
・1958年(昭和33年)2月第1回日劇ウエスタンカーニバル開催
・1958年(昭和33年)8月日本ビクターが初のステレオ録音レコード発売
1958年2月8日第1回開催『日劇日劇ウエスタンカーニバル』(日本劇場・東宝)。
(これを記念し、2月8日は「ロカビリーの日」)。観客動員数は初日だけで9,500人、1週間で45,000人を記録。この数字は、ドーム球場や日本武道館といった大規模なコンサート会場が存在しない1950年代当時としては異例の記録。日劇ウェスタンカーニバルの立役者は戦後のジャズバンド「シックス・ジョーズ」を経て芸能プロダクションを興した渡辺晋氏。渡辺プロダクションはその後「ザ・ヒットパレード」「シャボン玉ホリデー」といった音楽番組の制作に関わり人気を博す。1958年(昭和33年)は、戦後1945年以降(昭和20年代)から流行したジャズや流行歌、ラテン音楽(マンボなど)から、ロカビリーそしてその後のロックの流行へと日本の大衆音楽が変化したことを象徴する年だった。
1958年(昭和33年)8月日本ビクターが初のステレオ録音レコード発売※10インチ盤。
1958年(昭和33年)12月31日 第9回NHK紅白歌合戦
会場 新宿コマ劇場
放送 21時10分 – 23時35分
紅組=黒柳徹子
白組=高橋圭三アナウンサー
出場組数/紅25/白25
紅白歌合戦出場曲(昭和33年ヒット曲など)
紅組(優勝)
荒井恵子「橇は飛ぶよ」
松山恵子「だから言ったじゃないの」
松島詩子「喫茶室の片隅で」
雪村いづみ「ヤキティ・ヤック」
築地容子「青い月夜のランデブー」
藤本二三代「夢みる乙女」
織井茂子「夜が笑っている」
江利チエミ「さのさ節」
神楽坂浮子「三味線フラ」
越路吹雪「マ・プティット・フォーリー」
大津美子「銀座の蝶」
二葉あき子「夜のプラットホーム」
藤沢嵐子「ママ恋人が欲しいの」
渡辺はま子「長崎のお蝶さん」
中原美紗緒「河は呼んでる」
奈良光枝「晴着のかげに」
石井好子「ゴンドリエ」
コロムビア・ローズ「プリンセス・ワルツ」
ペギー葉山「年頃ですもの」
楠トシエ「銀座かっぽれ」
淡谷のり子「ばら色の人生」
水谷良重・東郷たまみ・沢たまき「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」
島倉千代子「からたち日記」
宮城まり子「ジャワの焼鳥売り」
美空ひばり「白いランチで十四ノット」
白組
岡本敦郎「若人スキーヤー」
曾根史郎「初めての出航」
霧島昇「白虎隊」
小坂 一也「心にしみるブルース」
三船浩「夜霧の滑走路」
神戸一郎「銀座九丁目水の上」
津村謙「霧雨のけむる道」
フランキー堺 男はよわい
三波 春夫 雪の渡り鳥
フランク永井 西銀座駅前
若山 彰 氷海越えて
林 伊佐緒 そっとこのまゝ
ジェームス繁田 ヴォラーレ
伊藤 久男 イヨマンテの夜
旗 照夫 碧い空
三浦 洸一 街燈
芦野 宏 風船売り
藤島 桓夫 凧タコあがれ
笈田 敏夫 オール・ザ・ウェイ
若原 一郎 おーい中村君
ディック・ミネ 私の青空
ダーク・ダックス ともしび
春日 八郎 別れの燈台
高田 浩吉 勇み肌千両男
三橋 美智也 おさらば東京
(出典)NHK紅白歌合戦ヒストリー第9回紅白歌合戦
※出場回数などの詳細は参考サイトでご覧ください。(参考サイト)NHK紅白歌合戦ヒストリー
1958年(昭和33年)石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」などで大人気
嵐を呼ぶ男 石原裕次郎(1957年12月28日)日活映画『嵐を呼ぶ男』より※ご存じ前年(1957年)の映画「嵐を呼ぶ男」の主題歌。
個人的にはレコードなどの曲として聞くとこの曲はジャズボーカルの名曲として聴いてしまいます。間奏のピアノソロなどもいい感じ。
昭和33年(1958年)石原裕次郎シングル(SP盤)
1958年1月:嵐を呼ぶ男/鷲と鷹
1958年2月:口笛が聞こえる港町/白い手袋
1958年4月:明日は明日の風が吹く/決闘の河
1958年5月:陽のあたる坂道/遥かなる面影
1958年5月:足にさわった青春/俺は東京のタフガイさ
1958年6月:風速40米/哀愁の十二番街
1958年7月:泣虫酒場/青春の谷間
1958年7月:素晴しき男性/青い駒鳥の唄
1958年9月:海峡を越えて来た男/(愛すればこそ:伊東のり子)
1958年9月:赤い波止場/南国の夜
1958年10月:波止場野郎/月影の男
1958年10月:嵐の中を突っ走れ/男なら夢を見ろ
1958年12月:紅の翼/俺はパイロット
「郭公啼く里」春日八郎(1958年)
「松吉街道唄」春日八郎(1958年)
「御免なすって佐太郎さん」春日八郎(1958年)
「おとっつぁんやァい」春日八郎(1958年)
1958年(昭和33年)「ダイナマイトが百五十屯」小林旭マイトガイ人気

1958年(昭和33年)「ダイナマイトが百五十屯」小林旭※「マイトガイ」小林旭の由来ともいえる曲。この鮮烈なタイトルの佳曲は若者の心をとらえたことでしょう。のちに演歌マンガの不朽の名作ツッチーこと土田世紀氏の『俺節』やマーシーこと元ブルーハーツの真島昌利氏のカバー曲などでも取り上げられた。
1991年ブルーハーツのマーシーこと真島昌利さんのカバー動画。
そちらもかっちょいいです。
真島昌利 / ダイナマイトが150屯 (1991.8)
なぜ小林旭さんの愛称が「マイトガイ」か
マイトガイはダイナマイト・ガイの略。マイトはダイナマイトの「マイト」。ガイはもともと青年を意味していた英語の”Guy”。以下に引用させて頂いた記事によればこの曲のイメージがもとになって翌年の昭和34年(1959年)に日活がつけたニックネームとのこと。諸説ありで「俳優と歌手の二足のわらじを履く、ダイナマイトのような男という」解釈もあるようです。それだけ色々な方に愛された大スターということ。それもまたよしでしょう。
※マイトガイ命名の由来。 1959年、小林旭をさらなるスターにと日活が付けたニックネーム。 DYNAMITEからMITE-GUYと表記される。 前年の秋発売の楽曲「ダイナマイトが百五十屯」の爆発的なイメージに由来する。
https://www.nitesha.com/?pid=69497572
ワンポイント英会話ちなみに最近の英語では、
Guysは英語日常会話では男女問わず「みんな」という意味で使われます。
(例)”Hi, Guys!” (やあ、みんな!)最近といっても2000年頃から?もっと前かもしれません。
海外ドラマなどでもよく使われます。
ご興味あればhuluやNetflixなどの配信サービスなどでチェックしてみてください。
昭和33年(1958年)小林旭さんの曲
小林旭「ダイナマイトが百五十屯」「女を忘れろ」など
1958年9月20日デビュー「女を忘れろ」小林旭(1stシングル、作詞:野村俊夫、作曲:船村徹、編曲:船村徹)
1958年11月15日発売「ダイナマイトが百五十屯」小林旭(2ndシングル、作詞:関沢新一、作曲:船村徹、編曲:船村徹)
1958年12月10日発売「真夜中の街角」小林旭(3rdシングル、作詞:西沢爽、作曲:船村徹、編曲:船村徹)
3曲とも作曲は船村徹さん。
船村徹先生は栃木県名誉県民。
ナベサダさんこと渡辺貞夫さん(同栃木県名誉県民)。
そしていわずとしれた森昌子さん。
個人的に栃木の3大音楽巨人と尊敬申し上げる方です。
あとがき
(できごとなど)
1958年(昭和33年)12月23日 東京タワー完成
(東京タワー建設略史)
1925 NHK愛宕山放送局鉄塔(45.4m)
1932 NHK大阪千里放送所鉄塔(100.0m)
1954 名古屋テレビ塔(180.0m)
1955 大阪通天閣(103.0m)
1956 別府タワー(100.0m)
1957 札幌テレビ塔(147.0m)
1958 東京タワー(333.0m)
1963 博多タワー(90.0m)
(参考)国会図書館(出拠:『内藤多仲博士に学ぶ』p.243)

By Source, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=19403852
(参考文献等)村越光男・佐藤孝夫編『昭和歌謡全曲名』他参考文献、
(参考サイト)Wikipedia(ウィキペディア)、国会図書館歴史的音源(れきおん), https://rekion.dl.ndl.go.jp/ 、各参照サイト(個別サイト名は本文中に掲載予定)この場をお借りして御礼申し上げます。
