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1969年ヒット曲(昭和44年邦楽)【月別】デビュー

1960年代音楽

1969年ヒット曲【2月】
(昭和44年邦楽ヒット曲・デビュー歌手など)

1969年 ヒット曲【2月】

1969年(昭和44年)2月ヒット曲※ 週間シングル1位:
1969年2月3日「涙の季節」ピンキーとキラーズ
1969年2月(初)10日(2)17日(3)24日(4)「ブルー・ライト・ヨコハマ」いしだあゆみ

1969年2月ヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」いしだあゆみ

ブルー・ライト・ヨコハマ いしだあゆみ Nippon Columbia

1969年 デビュー【2月】

1969年(昭和44年)2月デビュー
1969年2月1日デビュー(歌手)内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」
1969年2月21日デビュー(歌手)カルメン・マキ「時には母のない子のように」
2月 – 遠藤賢司/ほんとだよ
2月 – 小林啓子/こわれた愛のかけら

1969年2月デビュー(歌手)内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」

1969年2月1日デビュー(歌手)内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」

「長崎は今日も雨だった」
内山田洋とクール・ファイブ の シングル
B面 涙こがした恋
リリース 1969年2月1日
録音 ビクター築地スタジオ[1]
ジャンル ムード歌謡
時間 4分3秒
レーベル 日本ビクター(RCAレーベル)[注 1]
作詞・作曲 永田貴子(作詞)
彩木雅夫(作曲)
ゴールドディスク
第11回日本レコード大賞・新人賞
第2回日本有線大賞・新人賞
チャート最高順位
週間2位 ( )

「長崎は今日も雨だった」(ながさきはきょうもあめだった)は、1969年2月1日に発売された内山田洋とクール・ファイブのメジャーデビュー曲にして、最大のヒット曲。グループ脱退後、ソロ歌手となった前川清の代表曲でもある。

解説
内山田洋とクール・ファイブは長崎市内のグランドキャバレー『銀馬車』の専属バンドで、ラテンやジャズなど幅広いレパートリーを有していた。コロラティーノを脱退した内山田、小林、森本、岩城の4人と、サンライズの前川、宮本が合体する形で、内山田洋とクール・ファイブが誕生するのが、1967年9月のことである。彼らは、十二番館と競合する銀馬車の専属バンドとして活動を開始

内山田洋とクール・ファイブ(うちやまだひろしとクール・ファイブ)は、内山田洋が率いる歌謡グループ。メインボーカルは前川清。

メンバー 内山田洋(ギター)福岡県出身1936年(昭和11年)6月6日生まれ-2006年11月3日ご逝去
前川清(ボーカル)長崎県出身1948年(昭和23年)8月19日生まれ
宮本悦朗(ピアノ・キーボード)長崎県出身1948年(昭和23年)1月15日生まれ
小林正樹(ベース)長崎県出身1943年(昭和18年)1月1日生まれ
岩城茂美(サックス・フルート)熊本県出身1942年(昭和17年)1月5日
森本繁(ドラム)

オリジナルメンバー
前川清(まえかわきよし、 )、ボーカル担当。
宮本悦朗(みやもとえつろう、 )、ピアノ・キーボード担当。
小林正樹(こばやしまさき、)、A型。長崎県立平戸高校卒業。
岩城茂美(いわきしげみ、 – )、サックス・フルート担当
森本繁(もりもとしげる、1942年(昭和17年)10月23日 – )、ドラム担当
オリジナルメンバーは全員九州出身。2006年11月、リーダーの内山田洋が死去。前川清は残りのオリジナル・メンバー4人に声を掛け、同年末の紅白歌合戦で一夜限りの再結成を果たすが、これが評判となり、現在までソロと平行して「前川清とクール・ファイブ」としての活動も続けている。

クールファイブの現在が気になる方へ朗報です!なんと2022年12月5日公開の前川清さん公式「前川ちゃんねる」で久々のメンバーご対面の様子が…詳しくは以下のリンクからYouTubueでご視聴を。
(参考動画)55年目クール・ファイブが久々に集結した!【前川清】

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