1953年ヒット曲(昭和28年)邦楽★青春ジャズ娘★さいざんすマンボ★雪村いづみレコードデビュー
1953年4月雪村いづみさんレコードデビュー
1953年(昭和28年)4月、テレサ・ブリュワーのカバー曲『想い出のワルツ』(原題:Till I Waltz Again with You)でビクターからレコードデビュー
※1952年7月雪村いづみさん歌手デビュー(プロ歌手として初舞台)
1953年7月トニー・谷 & 宮城まり子 – さいざんすマンボ (1953)
さいざんす・マンボ
作詞・作曲・編曲・実演家
トニー 谷[作詞]
宮川 哲夫[作詞]
多 忠修[作曲]
多 忠修[編曲]
トニー 谷
宮城 まり子
ビクター・オール・スターズ[伴奏]
製作者(レーベル)
ビクター
発売年月日
1953-07
1953年9月22日『青春ジャズ娘』
『青春ジャズ娘』は、1953年に公開された松林宗恵監督の日本映画。 ウィキペディア
初公開: 1953年9月22日
監督: 松林 宗恵
(参考)ウィキペディア青春ジャズ娘
青春ジャズ娘
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青春ジャズ娘
監督 松林宗恵
脚本 北田一郎
蓮池義雄
製作 杉原貞雄
金田良平
音楽 大森盛太郎
撮影 西垣六郎
製作会社 新東宝[1]
配給 新東宝[2]
公開 日本の旗1953年9月22日[1]
上映時間 104分[1]
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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『青春ジャズ娘』(せいしゅんジャズむすめ)は、1953年に公開された松林宗恵監督の日本映画[1]。
スタッフ
以下のスタッフ名はKINENOTEに従った[1]。
監督 – 松林宗恵
脚本 – 北田一郎、蓮池義雄
製作 – 杉原貞雄、金田良平
撮影 – 西垣六郎
美術 – 加藤雅俊
音楽 – 大森盛太郎
録音 – 鈴木勇
照明 – 矢口明
キャスト
以下の出演者名と役名は特に記載がない限りKINENOTEに従った[1]。
片山明彦 – 後藤春彦
新倉美子 – 浅井俊子
フランキー堺 – 青木正二
安西郷子 – 皆川京子
高島忠夫[3] – 田原
君島靖二 – 杉本
小笠原弘 – 野村
天知茂 – 石川
柳家金語楼 – 後藤金兵衛
古川緑波 – 浅井良策
三島雅夫 – 山崎権平
大泉滉 – 安木
清川虹子 – 皆川夫人
関千恵子 – マダム由紀子
水島道太郎 – 三上
田中春男 – 森田
ティーブ・釜萢[2] – 片倉
伴淳三郎 – 司会者
益田キートン – 司会者
江利チエミ – 歌手
高英男 – 歌手
ナンシー梅木 – 歌手
笈田敏夫 – 歌手
ウィリー・ジェームス – 歌手
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青春ジャズ娘CD
青春ジャズ娘(DVD) KHD-010
裏町のお転婆娘(昭和31年公開)
裏町のお転婆娘(昭和31年公開)
井上梅次監督
訳詞 : 音羽たかし
作曲 : E.Jorrin
1953 江利チエミ
チエミの花売り娘/東京ワルツ(1953年1月 C-875)
ガイ・イズ・ア・ガイ/ティー・フォー・ツー(1953年2月 CL-111)
トランペット・ラグ/愉快なドラム(1953年3月 CL-899)
鍛冶屋のブルース/シャンハイ(1953年4月 CL-114)
歩いて帰ろう(Walkin’ My Baby Back Home)/ユー・ビロング・ツー・ミー(1953年4月 CL-116)
思い出のワルツ/サイド・バイ・サイド(1953年6月 CL-120)*これ以降、録音・原盤制作に米アンペックス製テープレコーダーが導入される。音質の大幅な向上と、多重録音による二重唱が可能に
君呼ぶワルツ/ハウ・ハイ・ザ・ムーン(1953年9月 CL-133)
ジングル・ベル/ホワイト・クリスマス(1953年11月 CL-131)
ヴァイヤ・コン・ディオス/ペイパー・ムーン(1953年11月 CL-138)
Pretty-Eyed Baby / Gomenasai(1953年 米Federal 12140) *A面はChiemi Eri、B面はChiemi Eri And G. I. Joe名義
1953年 昭和28年
1953年 昭和28年 第二次世界戦後の占領期が終了
1953年 昭和28年 日本のテレビ放送開始 「NHK 東京」
1953年 昭和28年 8月28日 民放テレビ開局 「日本テレビ」が本放送を開始
1953年 昭和28年 テレビCMはじまる
1953年 昭和28年 テレビCM曲
1953年(昭和28年)8月28日、民間テレビ放送が開始。
当時は「シンギング・コマーシャル」という呼び方もされていた[小川 1]。