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4月17日の歌(野球 プレイリスト TORA3 DaJare mix)

4月17日野球プレイリスト虎 4月音楽

1985年4月17日は「バックスクリーン三連発」の日。ということで4月17日の歌は阪神タイガース特集。虎ファン向けに当時の打順などにちなんだプレイリストを作ってみました。

なお、打順には一応ちなみつつ、選曲は個人の感想です。

寅山
寅山

チャンテや登場曲などはすでに虎党諸兄が虎ブログで紹介されてるのでちょっとレトロな変化球多めで(;^_^A

とらナイヅ寅
とらナイヅ寅

ちょいマルテ(ちょい待て)

さるナイヅ山
さるナイヅ山

ちょいマルテ懐メロ風味?邦楽中心じゃがな(その辺を和モノともいう)

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4月17日野球プレイリスト

(以下、虎党向け1985年4月17日「バックスクリーン三連発」記念日特別version)

4月プレイリスト「春の日曜野球」特別編(阪神タイガースver)
4月17日野球プレイリスト “TORA3” DaJare mix

・TORA TORA TORA – MAX
・M – MAYUMI J-POPパーティー伝説
・恋のクンビア – 弘田三枝子
・Come Baby Come [Extended Mix] – Manu Da Bas BASS PARTY
・Okazaki Little Opera – 岡崎体育
・若い季節 – 岡田奈々
・経験の唄 – 佐野元春 ※特別ゲスト
・サンジ 風脚 ~これがイーストブルーの恋の味~ – 浜口史郎
・バ・バ・バ・バント 絶対直球女子!プレイボールズ
・ハチのムサシは死んだのさ 平田隆夫とセルスターズ
・木戸を叩く コロムビア・スタジオ 効果音
・鼻唄マドロス 美空ひばり 船村徹の世界を唄う
・浪花恋しぐれ (デュエット:岡 千秋) 都はるみ
・あの時 君は若かった (〜at CENTRAL PARK N.Y. 1990.10.9) – ムッシュかまやつ
・バン バン バン (〜ON THE BERLIN WALL 1990.2.23) – ムッシュかまやつ

・絶対直球少女隊 3:36 絶対直球女子!プレイボールズ
・every little thing every precious thing (Remix) LINDBERG
・ホームラン・ブギ 笠置シズ子
・オマリーの六甲おろし(阪神タイガースの歌) トーマス・オマリー
・六甲おろし(阪神タイガースの歌) コロムビア合唱団

(補足)

1番真弓
・M – MAYUMI J-POPパーティー伝説

2番弘田
・恋のクンビア – 弘田三枝子

3番バース
・Come Baby Come [Extended Mix] – Manu Da Bas BASS PARTY

※この曲は適当にサブスクで「BASS」と検索して偶然発見。イントロ「打点打点」…サビ「カモン!バース」か?と筆者の空耳アワーに反応。(ちなみに、タモリ倶楽部は惜しくも2023年3月で終了。ご長寿番組お疲れさまでした)

4番掛布
・Okazaki Little Opera – 岡崎体育

※歌詞に「バース掛布岡田」とあり。もちろん岡崎氏も生粋の虎党で最近は六甲おろしのオーロラビジョンで有名

5番岡田
・若い季節 – 岡田奈々

※選曲基準。苗字つながり。それだけ。
(やけど多分絶対岡田はん好きなはずやわ。世代ど真ん中やもん笑)

6番佐野
・経験の唄 – 佐野元春

※特別ゲスト(この曲は野茂英雄投手のために書かれた曲。ちなみに元春さんは近鉄ファン。でもまあ近鉄にも佐野投手っていたし…^^;)

7番平田勝男(ひらた かつお)背番号30
・サンジ 風脚 ~これがイーストブルーの恋の味~ – 浜口史郎

※ご存じサンジ声優は平田宏明さん

・バ・バ・バ・バント 絶対直球女子!プレイボールズ

※平田といえばバント。最終打席も懐かしい。

・ハチのムサシは死んだのさ 平田隆夫とセルスターズ

※ここは全部平田勝男(ひらた かつお)背番号30選手ネタ向け選曲…ほんとうはカツオでつなごうかと思ったが名前まで知らん人もおるかと(;^_^A

8番木戸克彦(きど かつひこ)背番号22
・木戸を叩く コロムビア・スタジオ 効果音
・鼻唄マドロス 美空ひばり 船村徹の世界を唄う

※木戸克彦(きど かつひこ)背番号22捕手絡み…というか木戸が出てくる曲が限られとる。

9番工藤投手…代打川藤
・浪花恋しぐれ (デュエット:岡 千秋) 都はるみ

「いよっ浪速の春団治」
(「川藤出さんかい」…
…に代わりまして代打川藤幸三(かわとう こうぞう)背番号4
(「ほんまに出してどないすんねん」…ちゅう、ざこば師匠のCMもおましたな)

監督ムッシュ(牛若丸)
・あの時 君は若かった (〜at CENTRAL PARK N.Y. 1990.10.9) – ムッシュかまやつ
・バン バン バン (〜ON THE BERLIN WALL 1990.2.23) – ムッシュかまやつ

1985年当時の阪神吉田義男監督といえばムッシュ。ムッシュといえばかまやつひろしさん。どちらも筆者の敬愛するスタアです。いやムッシュの現役時代の牛若丸ぶりむっちゃかっこよかったねんて(ワシも過去動画みるまでしらんかったけど)

(以上、1985年4月17日の打順にちなんだ選曲)

※第2打席・第3打席…とネタは豊富にあるのだが、果たしてこんなんループしていいのか思案中(-_-;)…もちろんリスペクトと敬愛は大前提の上でなんやけど。フロントはんから球団の品位を汚すとかいわれんかな…いわれんかそもそもこんな個人ブログのネタ見るわけもないわな苦笑
2巡目3巡目は和モノ(HOTWAX系昭和歌謡とかマニアックなシティポップスとか要はアメ村界隈のレコ屋さん系になるからのう。うーむzzz)

以下未定※一応7回8回9回の終盤戦的な設定

(7回ネタ)

・オマリーの私を甲子園に連れてって – TAKE ME OUT TO THE BALL GAME – トーマス・オマリー
・サクセス極亜久高校編/来たぞ甲子園 パワポケサウンドチーム
・ラッキーセブン AKB48

(8回ネタ)

・絶対直球少女隊 3:36 絶対直球女子!プレイボールズ

(9回ネタ)

・every little thing every precious thing (Remix) LINDBERG

(試合後)

・ホームラン・ブギ 笠置シズ子

・オマリーの六甲おろし(阪神タイガースの歌) トーマス・オマリー

・六甲おろし(阪神タイガースの歌) コロムビア合唱団

※上記選曲も含めて、曲目や曲順は管理人の思いつきで予告なく変更することがあります。悪しからず


チャンテや登場曲などはすでに多くの虎党諸兄が虎ブログなどであげておられるのでちょっと変化球多めで。「いやこんなん聞いたことないけど…ちょとマルテ」とちょっと前の虎フェスのマルテの懐メロわからん事件を彷彿?(いや邦楽中心なんでそれほどでもないはずだが)独断と偏見によるちょいレア虎ックす(rare tra-x?)…ま能書きはいいか。

。あと、もはやシニアのオールドファンの一人なので、選曲もちょいレトロです。どうぞ悪しからず。(;^ω^)

(選曲メモ)1985年4月17日阪神バックスクリーン3連発の日

バックスクリーン3連発:1985年4月17日に阪神甲子園球場で行われたプロ野球・阪神タイガース対読売ジャイアンツの試合において、阪神の当時のクリーンアップが7回裏の攻撃時に、巨人の槙原寛己投手が6球を投じる間に3者連続でバックスクリーンおよびその左へ本塁打を打ったという出来事を指す。 (参考)ウィキペディア

(※選曲は個人の感想です。)

曲順は1985年バックスクリーン3連発時の打順にちなむ。
1985年4月17日阪神打順(敬称略・背番号は当時)
1番真弓明信(背番号7)ライト
2番弘田澄男(背番号1)センター
3番R.バース(背番号44)ファースト
4番掛布雅之(背番号31)サード
5番岡田彰布(背番号16)セカンド
6番佐野仙好(背番号9)レフト
7番平田勝男(背番号30)ショート:平田勝男(ひらた かつお)背番号30
8番木戸克彦(背番号22)キャッチャー:木戸克彦(きど かつひこ)背番号22
9番工藤一彦(背番号26)ピッチャー:工藤一彦(くどう かずひこ)背番号26
★代打川藤幸三(背番号4)
(参考リンク)上記文中リンクはウィキペディア
★(代打川藤のみ筆者のフィクション。もちろんベンチでは首脳陣との調整役としてフル活躍。野次将軍、浪速の春団治は愛称。藤村富美男さんから「お前には虎の血が入っておる。」と言われた影の立役者の存在なくしてはチームという組織の活性化はなかった、とも。)
(参考記事)「1985年阪神タイガース」スタメンデータベースhttps://sta-men.jp/1985tigers.html「Number ExBACK NUMBER’85年、阪神日本一の陰の立役者。川藤幸三が語る“控え”の重要さ。2015/10/09 16:30」https://number.bunshun.jp/articles/-/824316

1983年5月21日「浪花恋しぐれ」都はるみ

浪花恋しぐれ(デュエット:岡 千秋)都はるみ 公式YouTubeチャンネル Nippon Columbia Co., Ltd.

「浪花恋しぐれ」
都はるみ の シングル
B面 恋のさだめ川
リリース 1983年5月21日
ジャンル 演歌
時間 4分15秒
レーベル 日本コロムビア
作詞・作曲 たかたかし(作詞)
岡千秋(作曲)
斉藤恒夫(編曲)

「阪神タイガースの歌」

1936年(昭和11年)の中野忠晴SP盤は一般流通しなかった。1リーグ時代から2リーグ分裂後の1960年代までは阪神ファンの間でもそれほど広く愛唱されていた訳ではなかった。

1961年(昭和36年)若山彰とコロムビア合唱団盤が甲子園球場での阪神戦開催時に演奏

1961年(昭和36年)「阪神タイガースの歌」

六甲おろし〜阪神タイガースの歌 · 若山彰 Nippon Columbia

1961年(昭和36年)球団名「阪神タイガース」変更に伴い、「阪神タイガースの歌」に改題

1961年(昭和36年)の球団名変更に合わせて若山彰とコロムビア合唱団による新録のカバー(PRE-1133)を製作。この若山彰とコロムビア合唱団による歌唱盤が甲子園球場での阪神戦開催時に演奏されるようになった。

1972年(昭和47年)テイチクレコードが中村の歌唱

「六甲おろし」も、中村が歌い出しの部分から考案したとされる

1980年(昭和55年)ビクター立川清登バージョンが球場で流されるようになった。

1985年(昭和60年)全国的なフィーバーで古関の代表曲としても知れ渡る

1992年(平成4年)唐渡吉則歌唱バージョン

球場内では伴奏だけを収録したカラオケ音源

リーグ5球団のビジターゲームに7回攻撃前に流れる「六甲おろし」唐渡の歌唱バージョン

1972年(昭和47年)中村鋭一「阪神タイガースの歌(六甲おろし)」テイチク A-89 7インチシングル

1954年(昭和29年)野球けん 青木はるみ

野球けん · Harumi Aoki
Japanese Kayokyoku Star “Harumi Aoki” Greatest Hits
Victor Entertainment

青木はるみ(Aoki Harumi)さんは佐賀県唐津市出身(満洲育ち)の歌手。
1952年(昭和27年)新東宝スターレットの第1期生としてデビュー。
1954年(昭和29年)当時の「野球拳」ブームの一人として、ビクターから「野球けん」を発表大ヒット。
※「野球拳」は、1924年(大正13年)香川県高松市発祥前田伍健(まえだ ごけん)作詞。以後、大正・昭和初期は、愛媛県松山市や香川県丸亀市などのお座敷芸として郷土芸能として人気だった。

(参考)ウィキペディア-青木はるみ

1951年野球小僧

野球小僧 灰田勝彦(x和田勝彦)野球小僧 · Katsuhiko Haida JVCKENWOOD Victor Entertainment

1949年7月「ホームラン・ブギ」笠置シズ子

ホームラン・ブギ · Shizuko Kasagi
決定盤 笠置シズ子「ブギの女王」
Nippon Columbia Co., Ltd./NIPPONOPHONE


リリース 1949年7月「ホームラン・ブギ」笠置シズ子の楽曲

「ホームラン・ブギ」
笠置シズ子の楽曲
リリース 1949年7月
規格 シングルレコード
ジャンル 歌謡曲
レーベル 日本コロムビア
作詞者 サトウハチロー
作曲者 服部良一

Lyricist: Hachiro Sato
Composer: Ryoichi Hattori

(参考)ウィキペディア-ホームラン・ブギ

1939年(昭和14年)-1929年(昭和4年)頃昭和初期の野球にちなんだ歌

戦前昭和初期の「野球…」で始まる曲名は15曲。
昭和14年から昭和4年の間に以下の曲がレコード化された。

(備考)昭和初期の「野球…」で始まる曲名一覧※
1929年 昭和4年 野球の歌 権藤円立
1929年 昭和4年 野球小唄 早慶行進曲 作間毅
1930年 昭和5年 野球ファン 次田勝
1930年 昭和5年 野球メロディー 二村定一
1931年 昭和6年 野球行進曲 内田栄一
1931年 昭和6年 野球行進曲 浜口淳
1931年 昭和6年 野球小唄 四谷文子
1932年 昭和7年 野球シャンソン 淡谷のり子
1932年 昭和7年 野球メロデー 吉田永靖
1934年 昭和9年 野球音頭 城野文雄
1934年 昭和9年 野球行進曲 城野文雄
1934年 昭和9年 (吹奏楽)野球行進曲 陸軍戸山学校軍楽隊
1938年 昭和13年 野球選手の兵隊さん 岸井明
1939年 昭和14年 野球の王者 石井久男、合唱団
発売年不詳 野球節 山村豊子
(※なお、曲名の中や後ろに野球を含む曲は調べていないのでこれで全部というわけではない。)
(出典)『昭和歌謡全曲名(戦前・戦中編)-昭和流行歌総覧索引-』村越光男・佐藤孝夫編, つげ書房新社,2006年9月20日,p193より筆者抜粋(年代順に並べ替え、レーベル名省略)

1936年(昭和11年)3月25日「大阪タイガースの歌」

大阪タイガースの歌 · 中野忠晴 · 古関裕而 · 佐藤惣之助 古関裕而初期作品集 Nippon Columbia Co., Ltd.

「大阪タイガースの歌(創唱盤)」
中野忠晴 の シングル
初出アルバム『阪神タイガース 選手別応援歌 2003』
A面 大阪タイガースの歌
B面 大阪タイガース行進曲
リリース 1936年3月25日[1]
規格 SPレコード
録音 1936年2月21日[1]

1936年(昭和11年)「大阪タイガースの歌」の表題で発表。


1961年(昭和36年)球団名「阪神タイガース」変更に伴い、「阪神タイガースの歌」に改題。歌詞の一部改訂。現在に至る。

NPBの現存12球団における現行の球団歌楽曲としては最古
戦前から歌い継がれている唯一の球団歌
(参考)ウィキペディア-阪神タイガースの歌

なお、上述のとおり「野球…」で始まる流行歌は「大阪タイガースの歌」以前もあり。
1934年(昭和9年)~1929年(昭和4年)に少なくとも9曲。
ゆえに最古の野球ソングというわけではない。

さらに、最古の球団歌でもないらしい。
日本のプロ野球チームで最古の球団歌:
1923年(大正11年)「日本運動協会野球歌」※日本運動協会(1920年大正9年~1924年大正12年)

さらにさらに、NPBでも最古の球団歌でもないらしい。
日本職業野球連盟結成時から現存する4球団(巨人、阪神、中日、オリックス)の最古の球団歌:
1936年3月19日「名古屋軍応援歌」

・「プロ野球チームの球団歌」としては3番目
・NPBの現存球団が制定した球団歌では2番目
(こういう時だけ2番じゃダメなんですか?と蓮舫さん引用したくなる)

せやけど、前2曲は現行でないのに加え楽譜が散逸しとって見つからんのやて。
(見つかったらどうなるかしらんけど)

つまり、「今のところ現存することがわかってる最古の球団歌」ちゅうことやねんな。

だが、とにかく戦前から歌い継がれている古い球団歌やっちゅう歴史的価値は揺るがない。

ええですか。史料一辺倒の歴史家のセンセ。歌い継がれてる、つまり、「生きてる歌」ちゅうのが大事やねんで!

なんぼ楽譜が見つかったとしても(と先に予防戦貼っとく笑…いつか発見されるかもしれんし苦笑)。

しっかり歌われ続けてる「生きた球団歌」であること。そこに日本の野球音楽史のみならず日本の大衆音楽史としても歴史的価値がある。と、私は思うのであります。

まさに、虎ファンの皆さんは戦前から受け継がれている、球団、関西職業野球のみならず、日本の野球音楽史の伝統そのものを愛唱されているのである。

伝統の生きた継承「オマリーの六甲おろし」

さりとて、伝統の継承とはしかめ面をして額に入れて飾って眺めるだけではない。立派な博物館での保存も大切だ。関西には日本最古の博物館正倉院もある。

だが、笑いの殿堂である大阪の球団である阪神タイガースは懐の深さも持ち合わせている。
なにせ、あのオマリーの六甲おろし阪神公認(?※)と知ったときの衝撃。

いい意味で引き合いに出させていただくが筆者はオマリー選手の六甲おろしが大好きだ。
むろんむっちゃ音痴である。(いい意味で…もなにもないわな、音痴は音痴やし)

ただそんなことは気にせず屈託なく気持ちよさそうに歌うオマリーはんの歌を聴いてると、自分はこの世知辛い世の中でふっと肩の力が抜けるような安堵感すら覚えるのである。

リラックス。
その気兼ねなさこそ、伝統を化石に風化させず、生きた歌として人々に愛される原動力ではないか。

つまり、何を言いたいかというと、「オマリーの六甲おろし」そしてそれを許容する阪神球団やカラオケで最後に入れてまうファンの懐の深さこそ、日本最古の球団歌である大阪タイガースの歌を令和の時代まで生きた歌として愛され続けるシンボルと秘訣ではないか、と筆者は思うのである。

(※公認らしいと書いたがウィキペディアみたら正確には「協力:阪神タイガース」となっとる。この辺がさすが商売人。どっちにでも転べるようにぼかしてはる。しかし、ウィキにもあったように、星野源氏や山下達郎さんなど音楽センスにあふれたミュージシャンの方々もネタ話題にされていたようだ。もはやたんなる球団歌のコミックソングverといった関西ローカルを飛び越えて「音痴レコード」の日本代表なんだろう。・・・いい意味で(笑)(参考)ウィキペディア-オマリーのダイナミック・イングリッシュ 〜オマリーの六甲おろし〜

1924年(大正13年)10月 野球拳

1924年(大正13年)10月高松市内の旅館で「野球拳」作詞:前田伍健(まえだ ごけん)が誕生。

伊予鉄野球部のマネージャーをしていた川柳作家の前田伍健が即興で『元禄花見踊』アレンジの作詞・振付けを行い、伊予鉄チームは歌と三味線に合わせて選手全員がユニホーム姿で踊った。この芸が大いに受け伊予鉄チームは面目一新、これが野球拳の始まりとなった。

1924年当初の野球拳では「狐拳(きつねけん)」という江戸時代から行われていた拳遊び(けんあそび)の一つで行われていた。

1947年(昭和22年)伊予鉄忘年会で野球拳が「じゃんけん」に改められた。

1954年(昭和29年)野球拳の歌が3つのレコード会社競作でレコード化されブームに。
・若原一郎 & 照菊「野球けん」(キング)
・久保幸江 & 高倉敏「野球拳」(日本コロムビア)
・青木はるみ「野球けん」(日本ビクター)
この時、他地区との間で本家争いが発生したが、黎明期に松山の料亭で撮影された野球拳の写真が決め手となり、野球拳の詞は前田伍健の著作物として認知されることになった、という。(参考)ウィキペディア-野球拳

あとがき4月野球ソング特集第2弾

4月野球ソング特集第2弾

※本当は全球団ファン向けに各球団にちなんだ曲を1,2曲入れようかとおもってたんですが。ふと4月17日が「バックスクリーン3連発」の日だったの思い出しまして…。

自分はもちろん虎党。最近は親の介護等でそもそも付添い以外の遠出が難しくなってますが。とくに2003年優勝や2005年優勝など2000年代はファンクラブの黄色ユニ着て球場で応援してました。

なんですが、基本はノムさんと仙さんのおっかけでして。年とともに(楽天マー君の活躍、MLB日本人選手、そしてもちろんWBC等々)なんというかもちろん次元が違いますが王さんのような野球ファンの心境にもになりつつあり。

というわけでもうちょっと他球団ファンの方々にもご理解いただけるようなマイルドなプレイリストも別公開予定。このプレイリストは記念日ということで虎党純度高くなってますがどうぞご容赦を^^;

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