昭和レトロと私のレトロ音楽遍歴

レトロ
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Hello world! これは最初の投稿です。

なにぶんブログ初めてなので色々お許しください。

はじめまして!

ご訪問ありがとうございます。
当サイト管理人の寅山です。

ここは趣味の音楽などの個人ブログです。
おすすめ曲などをご紹介したいと思っています。

昭和レトロ

寅さん記念館売店
寅さん記念館売店にて(お店の方に許可を得て筆者撮影)
寅山
寅山

生まれは松竹のあった大船。子供の頃から寅さんファン。人呼んで寅山(とらやま)と発しテます。

寅さんはじめ昭和レトロな映画や音楽、鉄道などなど昭和レトロなものが大好物。

要は個人の趣味ブログですが宜しければご笑覧いただけると幸いです。

以下、文体が「である調」になっています。本来修正すべきところですがブログ初心者のときの初投稿ということでそのままにしています。読みづらい部分もあるやもしれませんがご容赦くだされば幸いです。

高校でソウルミュージックに浸かり昭和歌謡からクラシックまで音楽ならほぼ何でも好きです。しいていうなら「いなたい音楽」や「レトロ音楽」が好物です。

私のレトロ音楽遍歴

さて、ブログを始めるにあたり、プロフィールを書くのが通例らしい。

そこで自己紹介がてら私の音楽遍歴について簡単にふれておこうと思う。

私の音楽遍歴 小学校

生まれは横浜と鎌倉の間。観音様で有名な大船で幼少期を過ごす。幼児期は野山を駆けまわる自然児だったので、とくに音楽体験で変わったものはないように思う。仮面ライダーやボンフリーなどテレビの主題歌やてんとう虫のレコード―プレーヤーでアニソンなどを聴いていた普通の少年だった。

楽器は習い事ブームのはしりだったのか親にエレクトーンを習わせてもらった。そもそも楽器を弾く以前に椅子にじっと座っているのが苦痛だったのでたいした記憶はない。

(念のためフォローしておくと嫌いというわけでなくその頃サッカーが流行りだしそっちに心を奪われたという話。そういえば初めて発表会で演奏したり楽譜を教わったのもその頃だった。クラシックなどにほのかな愛着があるのもその頃のおかげかもしれない。長じてやる楽器はタイコのほうが好きになったがハモンドやエレピに激しく反応するのもその名残のようです。)

小学校にあがり、はじめて音楽らしきものになんらかの感激を抱いたのは銀河鉄道999あたりだったろうか。

当時、初恋らしき意識をしたハルナちゃんというこの家で映画版銀河鉄道999のポスターが天井に貼ってあった。鉄郎がカッコよかった。その流れでゴダイゴの歌を覚えて歌った。

もうひとつはドリフやひょうきん族あたりの影響だろう。ドリフの『8時だョ!全員集合』は1969年から1985年まで。ひょうきん族は1981年から1989年までというからもろに影響をうけた世代である。ドリフの志村ケンさんがソウル通というのはおなじみだが、ウィルソン・ピケットが元ネタのヒゲダンスを真似して小学校の教室や踊り場で踊り、ひょうきん族の山下達郎さんのエンディング曲を聴いて「あーもうひょうきん族おわっちゃった」と土曜日の恋人よろしくメロウでセンチな気分になったのは、彼らのソウル養分の音楽エッセンスによる昭和40~50年代小学生へのサブリミナル効果だったのかもしれない。(まぢかw)

小学校高学年ぐらいからやっとアニソン以外の歌謡曲を聴き始め、ベストテンなどで流行った曲を口ずさんだ。

ジュリーの6番目のユウウツ、寺尾聡のルビーの指輪、中村雅俊の恋人も濡れる街角。全部替え歌にした。担任の音楽の先生によく怒られた。通信簿に「落ち着きがありません」と書かれた。好きだったのに。

太陽にほえろなどの石原プロ系主題歌は寒い朝に朝練に行くときの自分のテーマ曲と勝手に決めていた。ただしなぜか歌詞は「たらちゃ~ん♪」だった。

アイドル歌謡曲で真剣に歌詞を覚えようと思った。

当時は「~命」という下敷きが流行った。自分は芳恵命だったので「あなたは銀のスプーンで私の心をくるくる回す~♪」と歌いながらつらいキーパー練習に耐えた。

ナメ猫や横浜銀蝿らのツッパリソングはガキの頃に江ノ島や湘南でチャリの荷台に釣り竿をさして爆走してたやんちゃな頃を思い出した。あれはたしか10の朝だったろうか。ちなみにチャリは盗んでいない。のちの湘爆の1巻は他人事と思えない。

ただし、当時はサッカーと漫画、ガンプラ、アニメ以外に小遣いを使うことはまったく考えられなかったので音楽にお金をだすという発想は全くなかった。修学旅行のバスでアイドルのレコードを何枚も持っているという奴をすげーと尊敬したものだった。


(ちなみに音楽遍歴と外れるが、私らはサッカー、銀河鉄道999、ガンプラ、アニメとも各ブームを小学生でリアル体験した世代。自分の小学校高学年には以下のようなできごとがあった。雑誌の発売日は前にずれるがその点はあしからず。)

1978年(昭和53年)9月14日 – 1981年3月26日、1982年『銀河鉄道999』TV放送。

1979年(昭和54年)4月7日 – 1980年(昭和55年)1月26日『機動戦士ガンダム』TV放送。

1979年(昭和54年)8月4日『銀河鉄道999 (The Galaxy Express 999)』東映で公開

1980年(昭和)7月19日ガンプラ発売。

1981年(昭和56年)3月14日『機動戦士ガンダム』全国松竹系にて公開

1981年(昭和56年)4月13日週刊少年ジャンプ(18号)キャプテン翼連載開始。

1981年(昭和56年)7月11日『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』公開。

1981年(昭和56年)7月31日ホビージャパン別冊 HOW TO BUILD GUNDAM S56・7月号 雑誌発売。

1981年(昭和56年)8月1日『さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-Adieu Galaxy Express』公開。

1982年(昭和57年)ちなみにこの年自分はアニメ雑誌5誌を毎月買っていた(;^_^A

アニメディア、アニメージュ、ジ・アニメ、マイアニメ、アニメック

1982年2月アニメージュでナウシカ新連載。なんの予備知識もなしに読んだナウシカの衝撃的だったこと。

1982年3月13日『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙(そら)編』公開。


私の音楽遍歴 中学校

中学でようやくアニソンとアイドル歌謡曲以外の音楽に目覚める。

中一の頃は小遣いの使い道がアニメ雑誌からガンプラ改造になった。後は部活やらで忙しくなった。1983年(昭和58年)はラジオで歌謡ヒットチャートの曲を聴くぐらいだった。

ロックは中二。中学の部活で合宿にいった九十九里浜の夜に永ちゃんを聴いた。音楽で興奮するという体験をしたのは、自分の場合まぎれもなく永ちゃんだった。そこからロックや洋楽に興味を持ち始め、ラジオのエアチェックなどをはじめた。折しもFMブームの頃だったので、アニメ雑誌からFM雑誌に切り替えた(FMステーション、FMファン、FMレコパル、週刊FM)。

はじめて買った洋楽のレコード、ですか。

・・・。

恥ずかしいのであまり公言したくなかったがカルチャークラブの戦争反対である。せめて『カーマは気まぐれ』にしとけよとツッコみたくなるが、初めてアキバの石丸電気にいってレコードを買うという行為に舞い上がっていてほとんど平常心を失っていた。それからしばらく洋楽ブームは萎えた。

かわりにハマったのがフュージョンだった。もとはナベサダさんの曲をラジオで聞いたのがきっかけだったが、貸しレコード屋のフュージョンコーナーを漁った。後年ソウルやブルーズだとかいった渋めの嗜好になってからはよく友人に揶揄されたものだが、中学時代は神保彰さんを本気で千手観音と崇め、たしかはじめて全アルバムを揃えたのがカシオペアだったと思う。

余談だが当時はプリンスが流行り出したころで貸しレコード屋の兄ちゃんに蒙プッシュされたが気持ち悪くてまったく手を出す気になれなかった。

中学の頃まではそんなフツーの少年だった。

私の音楽遍歴 高校

そんな平凡な自分が、いまのようなレトロな音楽に目覚めたのは高校時代。

個人的に3つほどきっかけがあった。1つめは高校入学後に知り合った親友の影響。2つまは中学卒業時の春休みにみたファンダンゴという映画。ここで70年代ロックに惹かれた。そして3つめが高校1、2年の頃に吉祥寺で観た『ラストワルツ』。この映画に衝撃をうけ、完全に自分の音楽的嗜好が逆回転し、逆時系列に遡るようになった。

80年代後半、世はおニャン子ブームやバブルのユーロビートなどが流行っていたように思う。自分らはそれに逆行するかのようにド渋な世界にハマっていった。ディラン、ザ・バンド、ボビーチャールズ、ヴァンモリソンなどのラストワルツ関連アーチストから彼らのアイドルであるブルーズ、ソウルなどのルーツの追っかけをした。個人的には芳恵命、カシオペアと連なる追っかけの対象が変わっただけかもしれない。

ただ、ちょうど高校時代という思春期だったせいか、かなりストイックだった。ソウルならサザンソウルのみ。ブルーズもアーバンはマジックサムまでなどと、あーだこーだいいあっていた。よくいえば渋い、というかオッサン臭い。学生服を着た田舎の高校生が、オーティスが死んだ26歳までに自分の人生も…なんて真面目に思っていたくらいだから、自分で言うのもなんだがかなり硬派な高校生だった。

そちらの路線では結局ブルーズはテキサスでライトニンという自分なりの嗜好性結論がでて他は聴かなくなった。サザンソウルは、演歌という持論にねじ曲がり、形を変えて愛好は続いている。

だが、高校時代にまだみぬスタックスやVOLTのディープな世界をめくる音楽体験は、その後色々な音楽との出会いはあったが、おそらく一番音楽への情熱を注いだ時期だったように思う。


音楽遍歴大学以降(さわり)

大学に入ってから、色々な音楽を聴くようになり、かなり軟派になった。

高校時代はファンクすら認めていなかった(苦笑)。ニューソウルもスノッブで軟派な方々という認識だった(汗)。

だが、JBの70年代アフリカ遊説のビデオを見て、高校生の頃はロッキーのLiving in Americaぐらいしか知らなかったJBの本当のカッコよさに魂を抜かれファンクに傾倒。

慌てて、60s70sJB関連項目を履修し単位認定を受ける頃には「74年のザイール’74におけるJBの偉大さ」といった話題を熱く語るようになり当時さだまさしファンだった彼女に「あなたは変わってしまったわ」といわれ失恋した。

ニューソウルは卒論のテーマにでもしようかと本気で考えたぐらい聞き込んだ。

スティーヴィーのキーオブライフに至るまでの青年期4部作。カーティスのディスコグラフィと公民権運動やベトナム戦争などの米国史。マーヴィンが社会派音楽に傾倒する契機となったタミーテレルとの悲話。ダニハザがクラシックを志向した本当の意味――黒人音楽の社会的地位向上。

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その流れでディスコも70年代後半までは聴くようになった。当時ソウルとんねるずが流行っていたこともあるが自分の中では60年代後半の初期ディスコがソウルミュージックと深くつながっていることがディスコへの認識を変えたことがきっかけだった。

それでも学生時代はまだニューミュージックは受けつけられず、数々のユーミンファンの女の子とは話があわんと決めつけて惜しいチャンスを逃した。永ちゃんや清志郎ファンだった自分が「そちらの方々」の音楽を容認し、再評価し、傾倒するのは社会人になって高円寺など中央線沿線に住み福生などの訪ね実際に彼らの作品世界が身近に感じられてからだった。今でこそ御多分にもれずユーミンや大貫妙子さんに胸キュンする自然な感情を隠さぬようになったが、20代までは自分で言うのもなんだがブルーズやサザンソウル、ルーツロックなどからできるだけ離れたくないとかなり頑なだった。


映画は学生時代前半まではほとんど洋画一辺倒だった。なぜ寅さんにはまったか。それは焼酎のお湯割りとコタツである。学生時代はチャリダーで20代はバリバリのアウトドア人間だった。カヌーイストの野田 知佑さんらの影響で旅は基本単独行。アウトドアムーブメントのルーツであるヒッピーやカウンターカルチャーに傾倒しケルアックの路上や海外ミステリなどを読みながらカヌーの上やキャンプの焚火でターキーを飲むようなアウトドアスタイルに「かぶれた」人間だった。梅田の好日山荘で出初めのフリースを薦められた頃だったから、たぶん日本でフリースを着た最初期の層かもしれない。ビーパルは中高生を通じて愛読していた。音楽遍歴だけ書いたが実はラガーマンだった。しかし、学生時代も後半になり、冬に部屋でコタツにショーチューの味を覚えるとどうも洋モノはいけない。ためしに寅さん観ながらわびしい独り暮らしのお伴にしたらこれがたいそうよかった。寅さんを見出してから映画の嗜好は和モノになった次第。

ちなみにアウトドアもビーパル系のカタログを睨んで道具を揃え使い方もインストラクター並みに追及はしたが、あるとき白土三平の野外手帖に衝撃を受けて以来ファッションとしてのアウトドアに興味を失い生活の手段としての狩猟や漁労といった文脈でしか食指が湧かなくなった。なんのことはない。ただ農林水産業に学生時代になってやっと目覚めただけのこと。農業高校だったわけではないが慌てて農業高校の教科書などから学びなおしビーパルは農文協の本へと替わった。アウトドアから農林水産へ。学生時代は「その辺」でうろうろしていた。


音楽遍歴 社会人以降

大人になって酒場を徘徊するようにもなったが、都会のソウルバーでサザンが好きというと、どこにいってもジェームス・カーしかかけてくれないので少々食傷気味で、パターソンツインズのIf I ever got you back別テイクがとか言ってた高校時代のような出会いは少なくなり、結局自宅で昔揃えたオーティスやSTAX complete BOX やO.V.ライトBOX、あとはキャンディ・ステイトンなどを時々ひっそり聞く程度になってしまった。

(サザン聴きたいときにブラコンかけんじゃねえと何度も衝突しそうになったが、ラップとそれ以外しか分別のない若者はおろかやたらフィリーばかり押し付けてくる自称ソウル通の爺さんに年下のワシが米国黒人音楽におけるムード歌謡とリアル演歌の違いなどソウルクラシックTPOのイロハを講釈たれるのも大人気ないと思って愛想笑いしながらお茶を濁し、そんな自分に自己嫌悪にもなり、20代に通ったソウルバーからいつしか足が遠のいた。踊り場も然りでニックさんらのリアルディスコを知らない「ディスコ通のお店」も増えた。リクエスト聞かれたのでテンプスといったらハ?と小馬鹿にされたときは世も末かと思ったっけ。まだYouTubeでソウルとんねるず動画などが見れる前だったからしかたなかったのか。まあ女の子と飲んで踊るのが目的だから・・・。と目をつぶる小さな言い訳が積もり積もってその手のイベントにも足が向かなくなった。結局、新天地のキューバに行ったらたいそう黒くて居心地がよかったので30代以降はほぼ米国黒人音楽を離れてカリブやアフロラテンの住人になってしまった。)

そしてキューバやハイチ、バイーアなどのカリブ中南米のアフロ系音楽を経て、ルーツと思われたアフリカ。さらにはアラブやインドといった太鼓の起源などの民族音楽にはまっていった。

日本からアメリカ経由の東回りでアフロやラテンなどのリズムのルーツを訪ねるという興味を中心に地球の音楽を聴いてきた。

シニアになるにつれポピュラー音楽はもちろん好きだが小さい頃サッカーへの浮気で枝分かれしたクラシック音楽や純邦楽などより古典的なものにひかれつつ現在に至る。

これが私の音楽遍歴である。

あとがき

オヤジになり音楽の嗜好も広がった。

というより生活に追われそもそも音楽自体にのめり込む時間も少なくなった。気づいたら最近聞いた音楽が子供の童謡やアニソンだけだった。私の周りもそんな同僚や友人、昔からの音楽仲間なども多い世代である。

このブログで音楽をテーマのひとつにしようかと思いつく前はわたしもそんなものだった。

それだけ高校時代のようなストイックなこだわりはなくなったのかもしれない。このブログでも歌謡曲からディスコまで思いつくままに話題に取り上げたいと思っている。

だがもし実家で古いレコードなどに出会うことがあればあの頃の情熱を思い出してみたい。

備考

普通は「まとめ」と書くそうですがご覧のとおりまとまっていません汗。

ブログの書き方の体裁などがよく分かっていないので随時修正していきたいと思います。

(文章量だとかトピックの立てかたやら実際にやってみるとブログってなかなか難しいものですね。)

いずれにせよ少しでもお読み頂いた方の参考になりそうなことを考えていきたいと思いますのでどうぞ気長におつきあいくだされば幸いです。

寅山拝