【9月】1980年ヒット曲「順子」長渕剛 など(デビュー三原順子など)
1980年9月ヒット曲(邦楽):「順子」長渕剛、「哀愁でいと」「「ハッとして!Good」」田原俊彦、「青い珊瑚礁」松田聖子、など。
80年代歌謡曲黄金期の幕開け、そして、70年代アイドルを代表する山口百恵さんの引退前最後の曲と歌謡曲アイドル世代交代。歌謡曲にもシティポップス系の曲が増え、1980年9月19日発売山下達郎『RIDE ON TIME』のヒットなど。70年代歌謡曲から80年代ポップスへの転換期ともいえそうな豊潤で賑やかな邦楽シーン!
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1980年9月ヒット曲(邦楽)まとめ
1980年9月ヒット曲「順子/涙のセレナーデ」長渕剛(月間シングル1位)
1980年(昭和55年) 9月 ヒット曲(※ 週間シングル1位)
1980年9月1日8日15日22日「順子/涙のセレナーデ」長渕剛(5thシングル)
1980年9月29日(初)「ハッとして!Good」田原俊彦(2ndシングル)
1980年(昭和55年)9月ヒット曲(ベストテン1位)
「哀愁でいと(NEW YORK CITY NIGHTS)」田原俊彦(1stシングル)
「青い珊瑚礁」松田聖子(1stシングル)
などなど。ニューミュージック、アイドル歌謡曲、演歌など歌謡曲ヒット曲多数。
1980年9月ヒット曲「順子」長渕剛
1980年(昭和55年)6月5日発売「順子/涙のセレナーデ」長渕剛(5thシングル)1980年9月1日・9月8日・9月15日・9月22日付けシングル1位。夏から秋にかけてのロングヒットした1980年9月ヒット曲。当時はラジオで気さくなお兄ちゃんぶりが人気。「明太子飯にぶっかけて食うとうまいんだよ」とか当時はまだ関東ではやや知名度が低かった九州の食べ物などを猛烈アピールしてたっけ(笑)。自分もそれでファンになったクチ。
1980年9月ヒット曲「ハッとして!Good」田原俊彦
1980年9月29日(初)「ハッとして!Good」田原俊彦
「哀愁でいと (NEW YORK CITY NIGHTS)」田原俊彦
1980年(昭和55年)6月21日「哀愁でいと (NEW YORK CITY NIGHTS)」田原俊彦(1stシングル、NAVレコード)トシちゃん(田原俊彦)のデビューシングル。なお、こちらは1980年9月シングル1位ではないがベストテン1位などで実際に昭和55年9月に大ヒットしていた曲。
1位「青い珊瑚礁」松田聖子
1980年9月ヒット曲ランキング
1980年当時のヒット曲ランキングの例。(※ちなみにレコードシングル1位とベストテンなどのランキング1位では違いもあった。)
※当時のヒット曲:
・タイアップ曲:基本的に70年代後半以降はヒット曲といえばまずはタイアップが強いという音楽業界の構図は現在まで不変。1976年「あの日に帰りたい」荒井由実(TBSドラマ番組主題歌)※初のタイアップ曲とも。このヒット曲のビジネスモデルをつくったのは当時のアルファレコードの共同代表などでご活躍された川添象郎(かわぞえ しょうろう)氏。(参考文献)<PR>🔗『象の記憶象の記憶 日本のポップ音楽で世界に衝撃を与えたプロデューサー』 単行本 – 2022/7/30 川添象郎 (著)(amazon.co.jp)🔗
もちろんCMソングの歴史となればもっと古く1950年代初め(昭和20年代後半)までさかのぼる。
いずれにせよ、80年代当時のベストテンなどに登場するヒット曲もやはりCMソングとして人気が出た曲がヒットすることが多かった。
このタイアップ系のヒット曲にはアイドル歌謡曲やニューミュージック系(いわゆる80年代当時のシティポップスとも)などのポップス系が多かった。
・有線(電リク)電話でリクエスト
1980年代のヒット曲には演歌や60年代から続く歌謡曲(ムード歌謡など)も根強い人気。ベストテンにも演歌やムード歌謡のヒット曲なども登場。正直、当時まだ子供だった自分はまだ知らなかった大人の世界だったが、一応大人になりムード歌謡の素晴らしさに気づいた昨今ふりかえればヴァラエティに翔んだ豊かな音楽ランキングだったのだなとも思う。(無論もっと大人の世界は色々あるだろうが基本的にこのブログでは芸能ゴシップは扱わないので割愛。)
※当時のランキング:シングル売上ランキングの他、テレビやラジオでもほぼ毎週チャート番組があり音楽ランキングも様々。
なかでもお茶の間で絶大な人気を誇ったのはご存じTBS音楽番組『ザ・ベストテン』。今ではヒット曲の解釈も様々だが、当時は少なくとも自分の周りでは「昨日のベストテンみた?」がほぼ朝のあいさつ代わり。ベストテンみてないとその日の話題に入れない。それほど絶大な影響力があった。・・・というわけでヒット曲ランキングの例として個人的に節目と思われる回をピックアップ。
1980年(昭和55年)9月11日(木)『ザ・ベストテン』(第137回)
※トシちゃん(田原俊彦)デビュー曲「哀愁でいと(NEW YORK CITY NIGHTS)」田原俊彦(1stシングル)がベストテン1位だった9月11日のベストテン。ちなみに、トシちゃん(田原俊彦)が初めてベストテン1位になったのは1980年8月28日ベストテン(第135回)。1980年9月4日ベストテン1位(第136回)。1980年9月11日ベストテン(第137回)で3週連続ベストテン1位を獲得。
1980年(昭和55年)9月11日(木)『ザ・ベストテン』
1位「哀愁でいと」田原俊彦
2位「青い珊瑚礁」松田聖子
3位「順子」長渕剛
4位「ダンシングオールナイト」もんた&ブラザーズ
5位「How many いい顔」郷ひろみ
6位「別れても好きな人」ロス・インディオス&シルヴィア
7位「ふたりの夜明け」五木ひろし
8位「パープルタウン」八神純子
9位「防人の詩(さきもりのうた)」さだまさし
10位「狂った果実」アリス
1980年(昭和55年)9月18日(木)『ザ・ベストテン』※聖子ちゃんが「青い珊瑚礁」で初めて1位となった9月18日のベストテン。また百恵さんの「さようならの向こう側」もランクイン。よく1980年が山口百恵さんと松田聖子さんの世代交代の年といわれるがでは具体的にいつか?といえばこの1980年9月18日放送ベストテンがひとつの節目かと。
1980年(昭和55年)9月18日(木)『ザ・ベストテン』
1位「青い珊瑚礁」松田聖子
2位「哀愁でいと」田原俊彦
3位「順子」長渕剛
4位「How many いい顔」郷ひろみ
5位「ダンシングオールナイト」もんた&ブラザーズ
6位「パープルタウン」八神純子
7位「別れても好きな人」ロス・インディオス&シルヴィア
8位「ふたりの夜明け」五木ひろし
9位「私はピアノ」高田みづえ
10位「さよならの向こう側」山口百恵
(参考文献『ザ・ベストテン』山田修爾)※当時のベストテン全チャート掲載。ベストテンファンにおすすめのバイブル本。
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1980年9月デビュー
1980年9月デビュー
9月1日 – 山野さと子/ハーイ!生徒諸君!
9月5日 – 伊藤敏博/親不知情景
9月21日 – 三原順子(じゅん子)/セクシー・ナイト
9月21日 – T.C.R.横浜銀蝿R.S./横須賀Baby
9月25日 – 雅夢/愛はかげろう
pick up
1980年9月19日 山下達郎『RIDE ON TIME』アルバム
1980年9月デビュー
1980年9月デビュー
9月1日 – 山野さと子/ハーイ!生徒諸君!
9月5日 – 伊藤敏博/親不知情景
9月21日 – 三原順子(じゅん子)/セクシー・ナイト
9月21日 – T.C.R.横浜銀蝿R.S./横須賀Baby
9月25日 – 雅夢/愛はかげろう
1980年9月19日発売:山下達郎『RIDE ON TIME』アルバム
1980年9月出来事
9月12日 – トルコで9月12日クーデターが起こる。
9月17日 – ポーランドで独立自主管理労働組合「連帯」が結成される。
9月22日 – イラン・イラク戦争勃発。
9月26日 – ドイツ・ミュンヘンのオクトーバーフェスト(ビール祭り)会場で爆弾テロ、13人死亡。