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介護と音楽 チホウと懐メロ

すいーとそいるみゅーじっく 風土
風土

私事になるがこのブログで懐メロをとりあげたいとおもった動機の一つに地方に住む親の介護がある。

母の介護をしていて気づくことのひとつ。なぜかついさっきのことは忘れてしまうのに、若い頃の話は覚えているということだ。

しかも何度も同じ話を嬉々として繰り返す。

もちろん困ることもうんざりすることもあるのだ。童心に返ったようにはしゃく姿を見ると、ふさぎこんでいるよりはましかと思いそうだねと相づちをうつ。

短期記憶と長期記憶。もしくはエピソード記憶。感情をともなった記憶は忘れにくいともいわれる。

だがここではそんな脳科学や認知療法の話はやめておこう。

ものの本によるとまずポイントは以下のとおりだという。

・家族が自分の頭を切替える
・認知症対応モード
・愛情を込める
(参考)多賀洋子著『認知症介護に行き詰まる前に読む本―「愛情を込めたウソ」で介護はラクになる』2011, 講談社

介護についてはもちろんつきぬ悩みはあるがこの本を読んで少し気持ちが楽になった。

と同時にさまざまな初期症状に該当する事例をみて不安は確信となった。

本人は相変わらず自覚症状はない(というより認めない)。

自宅介護かデイサービスや施設の検討をすべきか。

さまざまな葛藤がうずまくなかでいくつかひもといた本のなかでまずは自分の頭を切り替えることがポイントとの指摘。一見当たり前のことのようだが「間違いを正さない」「ダメといわない」などの基本心得を知って自分はそのときまだ頭が切り替わっていなかったのだと知る。目からウロコが落ちた思いだった。

ただ具体的にどう接するか。いろいろと考えあぐねたところでふと思いあたったのが懐メロだった。いわゆる介護ケアでの童謡などは祖母のときで印象はあったが認知症の初期段階でなるべく自然な日常生活の延長でできるケアとして童謡までさかのぼらない昭和歌謡などの懐メロ。

(むろん童謡は介護ケアというものさしをぬいても素晴らしくここでは音楽の優劣を申すものではない。たんに母の記憶という時系列の時間経過をさかのぼる云々という意味である。すでに幼少期の思い出話をしきりとしはじめ童女のような言動も散見されたところでなんとかもう少し話題を大人のころに引きもどしたかったというのが個人的な希望でもあった。)

音楽の話をしたい。

くだんの相づちを打ちながら気になるのはやはり固有名詞がでてこないこと。

「ほらあの歌」

といわれてもなかなかわからない。

いや実際はカラオケのレパートリーが3曲ほどしかない親の好きな曲は承知しているのだ。それすらでてこないのかと戸惑うこともあるし、それともほかの曲のことをいいたいのかと逡巡してしまうのである。

さておき、できるだけその頃のことを親と話すために昭和30年代以前のことを書いた本などをよく読むようになった。

もともと自分はほぼ洋楽専科で邦楽はせいぜいガキの頃の歌謡曲程度。
年代でいうと70年代後半から80年代程度がせいぜい守備範囲だった。

そうした本はたくさんある。やはり多くの方が関心あることなのだなと思う。

もともとレトロ嗜好ではあるし、興味のあることなので本を読むのは面白い。

だが、介護などをしながら少し不便に感じたのは、たとえば会話をしながらパッと調べたいときにすぐでてこないことである。

とくにスマホでのその手の情報アクセスにやや難があるように思えた。

そんなわけで、生き字引のような先人や著書を出されている方にはむろん足元にも及ばないのだ。参考文献などからお知恵を乞いつつ、自分なりに懐メロなどの情報をまとめてみたいと思うようになった。

つまり主な想定読者のメインは現在80歳前後の私の親世代。

60年代前半。つまり1960年(昭和35年)に20歳前後だった方々。

のちほど詳しく書いていくつもりだが60年代といっても前半。

むしろ50年代洋楽ポップスや流行歌の頃に青春を送った世代である。

昭和で書いた方がわかりやすいかもしれない。

昭和30年代まで。
昭和30年代とは、昭和30年(1955年)から昭和39年(1964年)まで。

西暦でいえば1955年から1964年あたり。
つまり、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの頃まで。

戦後およそ20年あたりまでの流行歌が、戦中生まれの母の世代が高校から大学・社会人へといたる頃に聴いたいわゆる「懐メロ」にあたるのだろう。

というわけで、当ブログでは母親の介護がきっかけだったこともあり、戦中生まれまでの世代の方々にとっての「懐メロ」をできるだけとりあげたいと思う。

ざっくりいえば、邦楽では流行歌の時代。戦後、並木路子さんらが「リンゴの唄」を歌い、笠置シズ子(歌手)さんが「東京ブギウギ」などでブギの女王として活躍、美空ひばりさんが少女歌手として「河童ブギウギ」でデビューした昭和20年代後半。

昭和30年代前半(1950年代前半)には、江利チエミさん「テネシーワルツ」などの洋楽カヴァーポップスが流行。

昭和30年代半ば(1950年代中頃)には、日本でもラテン音楽が一大ブーム。



ちなみに、日本のラテン音楽の始まり自体は戦前にさかのぼる。戦前のラテン音楽はジャズとして紹介されていた。例えば、キューバのソン「エルマニセロ(El Manisero)」は日本の戦前ジャズバンドにより昭和6年(1931年)「南京豆売り」鐵仮面(作間毅)小関ローイ・ジャズ・バンドとして発売。また、大正時代に目加田男爵が持ち帰ったというタンゴは昭和7年(1932年)「日本橋から」佐藤千夜子(ビクター)のち「日本橋から」関種子(日本コロムビア)という流行歌として発売(一説にはこれが日本初の国産タンゴ歌謡ともいわれる)。

要は、戦前までのラテン音楽は、大正から昭和初期にかけて海外渡航をしていた貴族子弟らにより比較的キューバや米国・欧州での流行から数年のち頃には日本にも紹介されてはいた。ただ、戦前は、キューバ音楽(ソンやルンバ)はジャズとして、スペイン音楽(マンダリン)やアルゼンチン音楽(タンゴ)は流行歌として発売された。
とくにキューバ音楽はコンガなどの楽器は戦前は日本ではみあたらなかったと1930年代にはジャズバンドなどのチェロ奏者として音楽キャリアを始めた見砂直照(みさごただあき)さんは回顧されている。(参考文献)『ぼくらのラテンミュージック』青木誠

戦後、日本人ラテン音楽演奏家による本格的な日本のラテン音楽が始まる。

発端は、見砂直照さんがコンガを自作したことに始まる。終戦後、ザビア・クガート(Xavier Cugat)楽団をみてみようみまねでコンガを自作されたとのこと。(前掲書)正確な時期(月日等)は不詳だが年でいえば、1946年(昭和21年)が戦後日本のラテン音楽の始まりの年と推定されるだろう。

1946年(昭和21年)見砂直照(みさごただあき)さん日本初のコンガ自作。戦後日本のラテン音楽の始まり。
1947年~1948年の日本のラテン音楽史は不詳だが関係者の多くは当時の進駐軍ジャズなどで演奏活動。


1952年(昭和27年)流行のマンボ。

昭和37年春(1952年4月2日開局ラジオ文化放送)『S盤アワー』オープニング曲「エル・マンボ」ペレスプラード楽団で日本のマンボ流行が始まり。

昭和37年夏(1952年8月15日発売「お祭りマンボ」美空ひばり)にはひばりさん流行歌のヒットなどで日本の夏祭りにも浸透。

1955年(昭和30年)流行のチャチャチャ。
江利チエミ・雪村いづみさんが歌った「チャチャチャは素晴らしい」が人気に。

1956年(昭和31年)マンボの王様ペレスプラード楽団来日など。

昭和30年代はマンボやチャチャチャなどのラテン音楽も人気だった。
当ブログでは(もともと筆者がラテン音楽好きということもあり笑)「懐メロ」のなかでも日本のラテン音楽(以下「和ラテン」と略)などを厚めにご紹介できればと思っている。

もちろん、世間的に「懐メロ」といえば各世代ごとに幅もある。
当ブログでも昭和30年代までの懐メロ限定というわけではない。

昭和40年代以降の懐メロの話題では、たとえば、ビートルズ来日やフレンチポップ、GSブーム、フォークなどなど人それぞれ好みがあるだろう。

1962年5月(昭和37年)ベンチャーズ初来日(メンバー2名のみ。お忍び気味?)

1965年(昭和40年)1月ベンチャーズ来日第2回目公演(エレキブーム)
1966年(昭和41年)6月29日ビートルズ来日

昭和40年代に一大ブームとなったベンチャーズやビートルズの影響を受けた戦後生まれ、とくに1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)生まれの団塊世代の方々などはやはり(昭和30年代のラテンなどよりは)ロックが懐メロの代表格という方も多いのではと思う。

ただおそらく自分は(もちろん永ちゃんファンでもありロックが嫌いなどというわけでは毛頭ないが)割合的にはロック以外の音楽の比重が多いかもしれない。60年代の洋画では自分はほぼソウルミュージックとラテンとときどきフレンチポップ程度でわりとお腹いっぱい。ロックでは自分はスワンプやウッドストック系のルーツロックやソフトロックなんてのも好きだが個人的はあの辺(アメリカーナ?カントリー系ポップス?アメリカーナ?)は米国の地方や田舎で人気の歌謡曲だろうと思ってる。

洋楽でもラテン音楽やソウルミュージックなどが中心でロックよりは聴く頻度は明らかに多い。といっても小難しい話ではない。よくラテンやソウルが好きというとロック主流の日本ではなんかマニアックな輩とみられる風潮があるが個人的な感覚ではむしろロックよりもソウルやラテンの方が歌謡曲っぽいから好きなだけである。

ソウルミュージックというと何となく身構える方もおられるかもしれないがようは自分にとってはドリフやキャンディーズで体験した昭和の歌謡曲の延長。子供の頃に髭ダンスにハマっていたのでソウルディスコやファンクがなぜかなじむ。歌謡曲のヒット曲のサビなども実はフィリーソウルの名曲などと似ている曲も多い。なぜなら筒美京平さんが参考にしていたので。いわゆるシティポップスなどはユーミン楽曲をはじめ70年代ニューソウルの影響が多分に含まれている。自分がロックよりソウルというのは単にふだん聞いている歌謡曲や日本のポップスと近いから。

ラテン音楽も然り。演歌ならムード歌謡は上で触れたように昭和30年代ラテン音楽ブームの名残が継承されているし、歌謡曲でもダンシングオールナイトなどが実はサルサのリズムをベースにしたサルサ歌謡だったり、なんとなく幼少期から耳なじんでいた歌謡曲のリズムはラテン歌謡とわざわざいわれない曲でもベースはラテン音楽だったり、アイドル歌謡曲のノリのいい曲はほぼメレンゲ歌謡だったりと。とにかく歌謡曲にはラテン音楽のリズム成分が世間の皆様が思うよりずっとしみ込んでいる。

どうもソウルやラテン、そしてシャンソンやフレンチポップなど米英以外の洋楽はロックと比べてマニアックなどと揶揄されるが、個人的にはむしろこちらのほうが日本の歌謡曲に音楽的には近いと思う。

歌謡曲にはもともと西洋クラシック音楽のオペラなどの歌曲からはじまりジャズの影響ラテンの影響ロックやフォークやサンバやボサノバやソウルやサルサの影響などなどおよそ昭和に海外で流行した音楽ジャンルがほとんど網羅されている混成音楽ジャンルである。

もはや別に曲の好みは人それぞれだし、そもそも自分はたんなる歌好きなのであまりジャンルどうこうは面倒で

ほぼほぼふだん聞いている音楽は歌謡曲やJ-POP。歌謡曲でもアイドルポップスなどの邦楽ヒット曲だったり、演歌や流行歌などの昭和歌謡が多分多い(なにしろ毎週日曜お昼はNHKのど自慢!なので皆さんがどんな歌を歌ってるのかいつも感心しながら観ている。)ベストテン世代なのでやはり歌謡曲のほうがなじむかな。J-POPも学生時代に流行ったのでもちろん聞くが正直いうとあまり最近の音圧がものすごい(耳がキンキンするような?)サウンドになるとなかなかキツイですかのう(苦笑)。



(ビートルズはもちろん個人的にも中学生の頃はよく聞いた。大人になってからも改めてビートルズの良さに気づくこともある。ただおそらく一般的なリスナーの類。マニアの方も多いので、当ブログではあまり想定していない。もし扱うとすればリズムアンドブルースとの絡みだったりインド音楽だったり小野ヨーコさんだったりなにかしら間接的な話題で取り上げるかもしれない。1962年デビューしたビートルズの英国レコード会社での面接にはかの船村徹先生が立ち会っていたという逸話が船村徹先生と大瀧詠一氏との対談で大瀧さんから紹介されていた。)

どうやらやや支離滅裂になってきたのでここらでひと区切りとしたい。

いずれにせよ母の若かりし頃の懐メロをおいかけてみることでもう少し母によりそえる話題がみつかるかもしれない。そんなことがこのブログで懐メロをとりあげようと思ったきっかけだった。

私自身そんな初心すらもややもすると忘れてしまいがちである(汗)。

以上、備忘用に書き留めておいた。

(引用)
「おもしろき
 こともなき世を
 おもしろく

 住みなすものは
 心なりけり

    高杉晋作」
(参考文献)『世に棲む日々(4)』

<PR>『新装版 世に棲む日日 (4)』司馬 遼太郎 (著) (文春文庫) 文庫 2003/4/10(amazon.co.jp

『世に棲む日々』というわけではないが(似ても似つかぬが)。1969年2月から1970年12月まで司馬遼太郎さんが「週刊朝日」に小説を連載していたとき、世に生を受けた世代。小説の物語は神奈川県三浦半島(横須賀の少し先)浦賀沖・久里浜海岸のペリー来航から始まる。小生の物語…..一庶民の個人史😅もざっくりその辺りから始まる(こじつけだが)。

(備考)
1853年7月8日(嘉永6年6月3日)17時三浦半島浦賀沖ペリー黒船出現・停泊
1853年7月14日(嘉永6年6月9日)久里浜海岸に上陸
※ちなみに、この頃(『世に棲む日々(一)』小説の時代背景)、すなわち、19世紀中頃から日本音楽史における近代(前期)の音楽が始まる。
(関連記事)🔗『19世紀 日本 音楽年表(江戸時代・鎖国・幕末・明治時代の日本の音楽)』「幕末(1853年–1868年)の音楽」の項参照

(ちなみに、先方は、幕末の長門国萩藩(山口県萩市)が舞台。松下村塾
1842年(天保13年)先代に始まり、1857年(安政4年)に吉田松陰が主宰。のちに明治維新などで活躍する高杉晋作ら松蔭門下生らの青春群像を描いた名著。)

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