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「唱歌」年表(明治時代~戦前)日本の子供の歌(略史)

音楽取調掛 音楽年表
音楽年表

唱歌(教科)
学校教育の「唱歌(教科)」は、明治から戦前の日本における尋常小学校、高等小学校(現在の中学校1・2年)の教科。現在の音楽(教科)にあたる。

日本の「唱歌(しょうか)」の歴史は、明治初期の学校制度の確立から始まり、国民教育や国家意識の醸成、そして戦後の音楽教育へとつながった。

明治初期:明治「唱歌」の誕生と外国曲の受容
明治中期:明治「唱歌」の拡大(民間の唱歌集など)
明治末期:日本人作曲家による明治「文部省唱歌」
大正~昭和:大正「童謡」の誕生と昭和「唱歌」

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    明治初期:明治「唱歌」の誕生と外国曲の受容

    1872年(明治5年):学制発布により小学校の教科として「唱歌」制定。当初は教材や教員不足により実施されなかった。
    1879年(明治12年):文部省に音楽取調掛(のちの東京音楽学校、東京藝術大学)設立。伊沢修二らがアメリカから音楽教育家メーソンを招き、教科書や指導法の研究を進めた。
    1881年(明治14年):日本初の官製唱歌集である『小学唱歌集(初編)』が発行。外国(主に欧米)の旋律に、日本語の歌詞が中心(明治初期の唱歌は「翻訳唱歌」とも)。「蝶々」や「蛍の光」などが収められた。

    (備考)明治以降の雅楽を司る官庁(略年表)
    1870年(明治3年)太政官雅楽局
    1871年(明治4年)太政官式部局
    1871年(明治4年)太政官式部寮雅楽課
    1884年(明治17年)宮内省式部職
    1947年(昭和22年)宮内府式部寮
    1949年(昭和24年)宮内庁式部職楽部
    ~現在に至る

    1870年代「唱歌」誕生:唱歌(教科)制定と音楽取調掛

    「唱歌」の歴史(1)1870年代(明治初期~明治10年代):
    (おもなできごと)
    1872年(明治5年)学制「唱歌(教科)」制定。「幼稚小学」制定。「当分之を欠く」とされた。
    1879年(明治12年)「音楽取調掛」設立。伊沢修二の主唱で、文部省が学校音楽教育研究のため、音楽取調掛を創設。実質的な唱歌策定作業の始まり。

    1870年(明治3年)「君が代(初代)」演奏

    1870年(明治3年)4月~6月頃「君が代」作曲:英国公使館軍楽隊長フェルトン
    1870年(明治3年)7月英国エディンバラ公来日時にフェントン指揮・イギリス軍楽隊が初代礼式曲「君が代」を演奏。
    1870年(明治3年)8月12日横浜の山手公園音楽堂でフェントン指揮の薩摩バンドが初代礼式曲「君が代」を演奏。
    (しかしフェルトン作曲「君が代」は普及せず1870年代後半頃には礼典廃止)

    1872年(明治5年)「唱歌」(教科)制定

    1872年(明治5年)学制「唱歌(教科)」制定。学制発布時に小学校教科に「唱歌」が制定。当初は教員や教材もなく「奏楽」と併せて「当分之を欠く」とされた。(のち1906年(明治39年)までは教育令・改正教育令等でも必須ではなく、1907年(明治40年)小学校令の改正により初めて「唱歌」が必須科目とされた。)
    1872年(明治5年)学制「幼稚小学」制定。「幼稚小学」も学制に含まれたが唱歌(教科)と同様に人材・教材・施設ともまだ未整備だった。

    1872年(明治5年)伊沢修二は文部省へ出仕し、のちに工部省へ移る。

    1874年(明治7年)伊沢修二らが唱歌遊戯を試みる

    1874年(明治7年)伊沢修二が再び文部省にもどって愛知師範学校校長となる。1874年(明治7年)3月頃、愛知師範学校で幼稚園風の施設※を設けて伊沢修二が唱歌遊戯を試みたとされる。※明治7年当時はまだ幼稚園はなかったがフレーベル式の唱歌遊戯の必要性を感じ、愛知師範学校長として文部省へ建議した。

    (引用)【遊戯唱歌はすでに明治7年伊沢修二が愛知師範学校長のころ,幼稚園風の施設を設けて試みている。どうして伊沢が早く遊戯唱歌を取り入れたかについて,「幼児の教育第一巻」の「幼児に課する唱歌遊戯の話」の手記の中で,「明治七年ごろはまだ幼稚園はなかったが,そのころから唱歌遊戯を起こす必要性を感じていた。】とされる。(出典)「明治期及び大正期の唱歌教育について~幼稚園における唱歌教育の位置づけ~」山下恭子2010)

    (備考)幼稚園。幼児教育関連の前史(略年表)
    1805年ドイツ・フランクフルトでのちに幼児教育の父とよばれるフレーベルが、スイスの教育者ペスタロッチ主義の模範学校に赴任
    1837年~1840年フレーベルが世界初の幼稚園となる施設を設立。

    1875年(明治8年)伊沢修二が米国留学

    1875年(明治8年)~1878年(明治11年)米国マサチューセッツ州ブリッジウォーター師範学校(英語版)で教育学者・伊沢修二(1851年 – 1917年)が留学。留学中はメーソン先生に師事。この間、当時米国でも知られていた「Lightly Row(原曲:ドイツ民謡「Hänschen klein」)※のちの「蝶々(てふてふ、ちょうちょう)」」などを学ぶ。

    1875年(明治8年)7月18日には師範学校教育調査のために、神津専三郎、高嶺秀夫とアメリカ合衆国へ留学、マサチューセッツ州ブリッジウォーター師範学校(英語版)で学び、同時にグラハム・ベルから視話術を、ルーサー・メーソンから音楽教育を学ぶ。1875年10月にはハーバード大学で理化学を学び、地質研究なども行う。聾唖教育も研究する。1878年(明治11年)5月に帰国。

    ※おそらく女性留学組でも子供向けの歌はあったのでは?(仮説)

    明治8(1875)年12月京都柳池小学校に幼児教育施設「幼稚遊嬉場」が開設。

    1876年(明治9年)東京女子師範学校付属幼稚園

    1876年(明治9年)11月16日東京女子師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)が開設(日本の幼稚園第一号)。東京女子師範学校附属幼稚園では首席保母の松野クララ(同年8月来日)が当時ドイツで主流だったフレーベル主義の保育を開始。豊田芙雄(とよだふゆ)と近藤濱(こんどうはま)が保母に任命され、日本の保母第1号(官立幼稚園の保母第1号)となった。

    松野クララ(業績)1876年(明治9年)設立の東京女子師範学校付属幼稚園にて、初代監事(園長)関信三の下で首席保母となり、豊田芙雄(ふゆ、女性)[17]・近藤濱を保母として、フレーベルの恩物の使い方や遊戯、実際的な保育の技法を通じて、フレーベルの教授法を初めて日本に導入・伝授し、日本における近代幼児教育の基礎づくりに貢献した。
    ・松野クララの洋琴(ピアノ)指導:1876年(明治9年)当時珍しかったピアノで遊戯唱歌をした保育者の第一号。当時、幼稚園の遊戯室にはピアノが1台あったが、弾けるのは彼女だけだった。
    ・1879年(明治12年)3月松野クララから伶人への洋琴(ピアノ)伝習が正式に許可。小篠秀一(御用掛)・芝葛鎮(一等伶人)・東儀季芳(二等伶人)・奥好義(四等伶人)、辻則承(五等伶人)らに洋琴(ピアノ)を指導。ネイサン・リチャードソンの教則本『Richardson’s New Method for the Piano-forte』を用いた。東京女子師範付属幼稚園での保育唱歌の作成と指導は式部寮伶人が担当。

    1877年(明治10年)保育唱歌

    1877年(明治10年)「保育唱歌」(『保育並ニ遊戯唱歌』)の編纂が始まる。「保育唱歌」は1877年~1882年(明治16年)にかけて東京女子師範学校付属幼稚園の依頼により宮内省式部寮雅楽部が監修した幼稚園唱歌集。約100曲が収録。雅楽の曲調や古典的な歌詞で和琴の伴奏。

    作詞:歌詞は同幼稚園保母の豊田芙雄(とよだふゆ)や近藤濱らが自分たちで詩を詠んだり日本の古歌から採用したりしたとされる。作曲:式部寮伶人(しきぶりょうれいじん)雅楽専門職員らによる作曲。ただし、「保育唱歌」は雅楽用の墨譜の出版はされず手書きで筆写された。保育唱歌の例としては「風車」♪「家鳩」「君が代」など。

    これらは雅楽の記譜法である墨譜であり,伶人たちの作曲であるため曲調は雅楽の伝統によっていた。この「保育唱歌」は雅楽家や保育関係者によって書き写され,出版はされなかった。これらの唱歌は,笏拍子で拍子を取り和琴の伴奏にのせて歌うという形がとられていた。

    唱歌 年表
     ちょうちょう(唱歌)
     「Lorelei(ローレライ)」ハイネ/ジルヒャー 
    1788年「Auld Lang Syne(蛍の光)」スコットランド民謡(バーンズ)

    1879年(明治12年)文部省音楽取調掛

    音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)
    音楽取調掛

    1879年(明治12年)文部省音楽取調掛設置。音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)では、伊沢修二やメーソン先生(音楽取調掛に来日招へいされた米国お雇い外国人音楽教師)らの提唱により、西洋音階と日本の音階を折衷した唱歌教育がすすめられた。唱歌調の音階は軍歌や学生歌などの形で普及した。
    (参考)ウィキペディア-唱歌(教科)

    1879年(明治12年)地方で幼稚園開設が始まる。1879年鹿児島女子師範学校附属幼稚園が開設。豊田芙雄(もと東京女子師範学校附属幼稚園の保姆)が鹿児島に赴任し幼児への唱歌や遊戯唱歌を普及。

    1880年代「唱歌」出版:『小学唱歌集』

    「唱歌」の歴史(2)1880年代(明治10年代頃):
    (おもなできごと)
    1881年~1884年日本初の官製唱歌集『小学唱歌集』が発行(出版)。
    1881年(明治14年)『小学唱歌集 初編』文部省音楽取調掛編纂
    1883年(明治16年)『小学唱歌集 第二編』文部省音楽取調掛編纂
    1884年(明治17年)『小学唱歌集 第三編』文部省音楽取調掛編纂

    1881年(明治14年)~1884年『小学唱歌集』発行(伊沢修二、メーソンらにより編纂。初版~第三編。全91曲(米独唱歌59曲賛美歌等22曲スコットランド・アイルランド民謡約1割弱日本人作曲数曲)「蝶々」「蛍の光」「仰げば尊し」など現在も親しまれる唱歌が発表。ただし『小学唱歌集』では外国の曲に日本語の歌詞をつけた唱歌が多く「翻訳唱歌」ともいわれた。)

    1880年(明治13年)伊沢修二ら提唱により文部省が米国音楽教師メーソンを招聘(~1882年)
    1881年(明治14年)『小学唱歌集 初版』音楽取調掛発行
    1883年(明治16年)『小学唱歌集 第二編』音楽取調掛発行
    1884年(明治17年)『小学唱歌集 第三編』音楽取調掛発行
    1886年(明治18年)文部大臣の検定が小学校唱歌教科書として規定。
    1887年(明治19年)『幼稚園唱歌集』
    1888年(明治20年)頃から民間出版の唱歌集が発行

    1880年(明治13年)「君が代」

    1880年6月1日開園大阪市立愛珠幼稚園(幼稚鳩巣戯劇之図)
    1880年11月発表「君が代」(歌詞:古今和歌集、作曲:林廣守、編曲:奥好義、エッケルト)
    1880年11月3日天長節の宮中で、太政官式部寮雅楽課伶人らにより、ドイツ人エッケルトら編曲の「君が代」(現在の君が代)が公の場で初めて演奏された。(なお、初代「君が代」の演奏は1870年)

    1881年(明治14年)『小学唱歌集 初編』

    1881年(明治14年)11月発行『小学唱歌集 初編』文部省音楽取調掛編纂※日本初の官製唱歌集。(収録唱歌)
    1881年11月発表「かをれ」唱歌♪
    1881年11月発表「春山」唱歌
    1881年11月発表「あがれ」唱歌
    1881年11月発表「いはへ」唱歌
    1881年11月発表「千代に」唱歌 
    1881年11月発表「和歌の浦」唱歌
    1881年11月発表「春は花見」唱歌 
    1881年11月発表「鶯」唱歌 
    1881年11月発表「野辺に」唱歌 
    1881年11月発表「春風」唱歌
    1881年11月発表「桜紅葉」唱歌 
    1881年11月発表「花さく春」唱歌 
    1881年11月発表「見わたせば」唱歌(作詞:柴田清煕・稲垣千頴、作曲:ルソー )
    1881年11月発表「松の木蔭」唱歌 
    1881年11月発表「春のやよい」唱歌(作詞:慈鎮和尚) 
    1881年11月発表「わが日の本」唱歌
    1881年11月発表「蝶々」唱歌(作詞:野村秋足・稲垣千頴ら、作曲:ドイツ民謡)
    1881年11月発表「うつくしき」唱歌(作詞:稲垣千頴、作曲:スコットランド民謡)
    1881年11月発表「閨の板戸」唱歌
    1881年11月発表「蛍」唱歌(作詞:稲垣千頴ら、作曲:スコットランド民謡)※のちの「蛍の光」が初めて発表された。 
    1881年11月発表「若紫」唱歌 
    1881年11月発表「ねむれよ子」唱歌 
    1881年11月発表「君が代」国家 
    1881年11月発表「思いいずれば」唱歌(作詞:稲垣千頴、作曲:スコットランド民謡)
    1881年11月発表「薫りにしらるゝ」唱歌 
    1881年11月発表「隅田川」唱歌 
    1881年11月発表「富士山」唱歌
    1881年11月発表「おぼろ」唱歌
    1881年11月発表「雨露」唱歌 
    1881年11月発表「玉の宮居」唱歌 
    1881年11月発表「大和撫子」唱歌 
    1881年11月発表「五常の歌」唱歌 
    1881年11月発表「五倫の歌」唱歌 

    1883年(明治16年)『小学唱歌集 第二編』

    1883年  《鹿鳴館が落成(鹿鳴館時代)》 
    1883年3月発行『小学唱歌集 第二編』文部省音楽取調掛
    1883年3月発表「鳥の聲」唱歌
    1883年3月発表「霞か雲か」唱歌
    1883年3月発表「年たつけさ」唱歌 
    1883年3月発表「かすめる空」唱歌 
    1883年3月発表「燕」唱歌 
    1883年3月発表「鏡なす」唱歌 
    1883年3月発表「岩もる水」唱歌 
    1883年3月発表「岸の桜」唱歌 
    1883年3月発表「遊猟」唱歌 
    1883年3月発表「みたにの奥」唱歌 
    1883年3月発表「皇御国」唱歌 
    1883年3月発表「栄行く御代」唱歌
    1883年3月発表「五日の風」唱歌 
    1883年3月発表「天津日嗣」唱歌 
    1883年3月発表「太平の曲」唱歌 
    1883年3月発表「みてらの鐘の音」唱歌 

    1884年(明治17年)『小学唱歌集 第三編』

    1884年3月発行『小学唱歌集 第三編』 文部省 
    1884年3月発表「やよ御民」唱歌
    1884年3月発表「春の夜」唱歌
    1884年3月発表「なみ風」唱歌
    1884年3月発表「仰げば尊し」唱歌
    1884年3月発表「雲」唱歌
    1884年3月発表「寧楽の都」唱歌 
    1884年3月発表 「才女」唱歌 
    1884年3月発表「母のおもひ」唱歌 
    1884年3月発表「めぐれる車」唱歌 
    1884年3月発表「墳墓」唱歌
    1884年3月発表「秋の夕暮」唱歌 
    1884年3月発表「古戦場」唱歌
    1884年3月発表「秋艸」唱歌
    1884年3月発表「富士筑波」唱歌
    1884年3月発表「園生の梅」唱歌 
    1884年3月発表「橘」唱歌
    1884年3月発表「四季の月」唱歌 
    1884年3月発表「白蓮白菊」唱歌 
    1884年3月発表「学び」唱歌
    1884年3月発表「小枝」唱歌 
    1884年3月発表「船子」唱歌(作詞:里見義、作曲:ライト) 
    1884年3月発表「鷹狩」唱歌
    1884年3月発表「小船」唱歌
    1884年3月発表「誠は人の道」唱歌(作曲:モーツァルト) 
    1884年3月発表「千里のみち」唱歌
    1884年3月発表「春の野」唱歌
    1884年3月発表「瑞穂」唱歌
    1884年3月発表「楽しわれ」唱歌
    1884年3月発表「菊(庭の千草)」唱歌(作詞:里見義、作曲:アイルランド民謡)
    1884年3月発表「忠臣」唱歌(作曲:ノルトン)
    1884年3月発表「千草の花」唱歌 
    1884年3月発表「きのふけふ」唱歌
    1884年3月発表「頭の雪」唱歌
    1884年3月発表「さけ花よ」唱歌
    1884年3月発表「高嶺」唱歌 
    1884年3月発表「四の時」唱歌 
    1884年3月発表「花月」唱歌 
    1884年3月発表 「治る御代」唱歌
    1884年3月発表「祝へ吾君を」唱歌 
    1884年3月発表「花鳥」 作詞者未詳/ウェルナー 
    1884年3月発表「心は玉」唱歌 
    1884年3月発表「招魂祭」唱歌 

    1886年(明治19年)~幼稚園唱歌の始まり

    豊田芙雄 日本の幼児教育者。保育唱歌の草分け。
    豊田芙雄(とよだ ふゆ)ら幼児教育者により「保育唱歌」という手書きの唱歌集が作られた。
    真鍋定造
    1856年(安政3年)愛媛県今治 真鍋定造 生誕。もとは家業を手伝う商人。
    1876年(明治9年)春、神戸から四国(今治など)へのアッキンソン牧師の伝道によりキリスト教信仰を志す。
    1878(明治11)年頃同志社大学入学
    以後、おもに故郷四国今治を中心に伝道活動に従事。
    また、児童文化の普及にも意欲的に取り組む。
    とくに真鍋定造が編纂した2つの文献は日本の幼稚園唱歌の黎明期にあたり、歴史的にも貴重な出版物を残された。
    1886年(明治19年)創刊『ちゑのあけぼの』総合的児童雑誌、編集:真鍋定造
    1887年(明治20年)3月出版『幼稚園唱歌集』:真鍋定造、普通舎(大阪)

    1886年(明治19年)『ちゑのあけぼの』真鍋定造

    1886年(明治19年)創刊『ちゑのあけぼの』総合的児童雑誌、編集者:真鍋定造

    1887年(明治20年)『幼稚園唱歌集』

    1887年  《川上音二郎の「オッペケペー節」が流行(壮士演歌の時代)》 
    1887年3月発行 『幼稚唱歌集 全』 真鍋定造編 
    1887年12月発行『幼稚園唱歌集 全』 文部省 
    1887年12月発表「進め進め」唱歌(作詞:加部厳夫、作曲:フランス民謡) 
    1887年12月発表「子供々々」 作詞作曲 伊沢修二 

    幼稚園唱歌の始まり

    幼稚園唱歌の始まり(略年表)
    1886年(明治19年)創刊『ちゑのあけぼの』総合的児童雑誌、編集者:真鍋定造
    1887年(明治20年)3月出版『幼稚園唱歌集』:真鍋定造、普通舎(大阪)★
    1887年(明治20年)12月出版『幼稚園唱歌集』文部省音楽取調掛編纂
    1901年(明治34年)『幼稚園唱歌』(作詞:東夫人★INFO、作曲:瀧廉太郎(17曲/20曲)、(3曲/20曲)
    (備考)日本の幼稚園唱歌は1887年(明治20年)3月出版『幼稚園唱歌集』真鍋定造、普通舎(大阪)が製本としては初。同年12月文部省編纂。のち1901年出版『幼稚園唱歌』瀧廉太郎(滝廉太郎)らで「お正月」など言文一致のわかりやすい言葉で現在の唱歌が登場。

    1888年(明治21年)『明治唱歌 第一集』

    1888年5月出版 『明治唱歌 第一集』 編者 大和田建樹/奥好義 中央堂発行 
    1888年5月発表「新年」 大和田建樹/奥好義 
    1888年5月  「鳥の歌」 大和田建樹/芝葛鎮 
    1888年5月  「春風」 大和田建樹/奥好義 
    1888年5月  「学の力」 大和田建樹/上真行 
    1888年5月  「勧学の歌」 高崎正風/奥好義 
    1888年5月  「故郷の山」 大和田建樹/辻則承 
    1888年5月  「日本男児」 大和田建樹/上真行 
    1888年5月  「皇国の守」 外山正一/伊沢修二 
    1888年5月  「故郷の空」 大和田建樹/スコットランド民謡 
    1888年5月  「別れの歌」 加部厳夫/辻則承 
    1888年5月  「千里の友」 大和田建樹/奥好義 
    1888年5月  「競漕の歌」 作詞作曲 上真行 
    1888年5月  「沖と磯」 大和田建樹/奥好義 
    1888年10月  『箏曲集』 文部省音楽取調掛編 東京音楽学校出版 
    1888年10月  「さくら さくら」 日本古謡 
    1888年12月  『明治唱歌 第二集』 編者 大和田建樹/奥好義 中央堂発行 
    1888年12月  「あすは千里」 大和田建樹/上真行 
    1888年12月  「自然の友」 大和田建樹/上真行 
    1888年12月  「浦の夏」 大和田建樹/奥好義 
    1888年12月  「舟あそび」 大和田建樹/奥好義 
    1888年12月  「岩間の清水」 大和田建樹/奥好義 
    1888年12月  「あわれの少女」 大和田建樹/フォスター 
    1888年12月  「夜半の曲」 大和田建樹/奥好義 
    1888年12月  「隔てぬ影」 大和田建樹/辻則承 
    1888年12月  「謡ひて謝せよ」 大和田建樹/上真行

    1889年(明治22年)『明治唱歌 第三集』

    1889年6月  『明治唱歌 第三集』 編者 大和田建樹/奥好義 中央堂発行 
    1889年6月  「少女の望」 大和田建樹/奥好義 
    1889年6月  「霞む夕日」 大和田建樹/奥好義 
    1889年6月  「旅泊」 大和田建樹/イギリス曲 
    1889年6月  「少女の死」 大和田建樹/辻則承 
    1889年6月  「海のあなた」 大和田建樹/奥好義 
    1889年6月  「かたみの琴」 大和田建樹/上真行 
    1889年6月  「あられ」 大和田建樹/上真行 
    1889年12月  『中等唱歌集』 東京音楽学校刊行 
    1889年12月  「埴生の宿」 里見義/ビショップ 
    1889年12月  『明治唱歌 第四集』 編者 大和田建樹/奥好義 中央堂発行 
    1889年12月  「朝ぼらけ」 大和田建樹/上真行 
    1889年12月  「未来の旅」 大和田建樹/奥好義 
    1889年12月  「秋はいま」 大和田建樹/辻則承 
    1889年12月  「山里」 大和田建樹/芝葛鎮 
    1889年12月  「墳墓の土地」 大和田建樹/奥好義 
    1889年12月  「招け来る春を」 大和田建樹/奥好義 
    1889年12月  「旅の後」 大和田建樹/上真行 
    1889年12月  「古き跡」 大和田建樹/芝葛鎮 

    明治中期:明治「唱歌」の拡大(民間の唱歌集など)

    1890年代「唱歌」拡大:民間唱歌集

    1890年代「唱歌」拡大:民間唱歌集

    「唱歌」の歴史(3)1890年代(明治20年代頃):
    (おもなできごと)
    ・「唱歌」拡大:民間唱歌集。民間の出版社から唱歌集が多く発行(出版)される。
    ・1894年(明治27年)~1895年(明治28年)日清戦争

    1890年(明治23年)『明治唱歌 第五集』

    1890年8月出版『明治唱歌 第五集』 編者 大和田建樹/奥好義 中央堂発行 
    1890年8月発表「父の墓」 大和田建樹/上真行 
    1890年8月  「去年の友」 大和田建樹/奥好義 
    1890年8月  「山陵」 大和田建樹/上真行 
    1890年8月  「雪ふまん」 大和田建樹/辻則承 
    1890年8月  「故郷の文」 大和田建樹/上真行 
    1890年8月  「農夫の吟」 大和田建樹/奥好義 

    1892年(明治25年) 『小学唱歌 第一巻』

    1892年3月  『小学唱歌 第一巻』 伊沢修二編 大日本図書株式会社発行 
    1892年3月  「えのころ」 わらべうた/伊沢修二 
    1892年3月  「からす」 わらべうた/伊沢修二 
    1892年3月  「かり」 わらべうた/伊沢修二 
    1892年3月  「あり」 作詞作曲 伊沢修二 
    1892年3月  「まなべ」 作詞作曲 伊沢修二 
    1892年3月  「あふきみよ」 作詞作曲 伊沢修二 
    1892年3月  「小隊」 作詞作曲 伊沢修二 
    1892年3月  「一月一日」 稲垣千頴/小山作之助 
    1892年3月  「紀元節」 高崎正風/伊沢修二 
    1892年3月  「花さく春」 作詞作曲 伊沢修二 
    1892年3月  「天長節」 作詞作曲 伊沢修二 
    1892年3月  「がくもん」 山田美妙斎/小山作之助 
    1892年4月  『明治唱歌 第六集』 編者 大和田建樹/奥好義 中央堂発行 
    1892年5月  『小学唱歌 第二巻』 伊沢修二編 大日本図書株式会社発行 
    1892年5月  「うさぎ」文部省唱歌 
    1892年5月  『幼稚園唱歌 正編』大和田建樹,松山高吉 校閲 

    1893年(明治26年)祝祭日用唱歌「君が代」ほか8曲

    1893年  《文部省が祝祭日用唱歌として「君が代」ほか8曲を公示》 
    1893年8月  『小学唱歌 第三巻』 伊沢修二編 大日本図書株式会社発行 
    1893年8月  『官報3073号附録』 
    1893年8月  「一月一日」 千家尊福/上真行 
    1893年8月  『小学唱歌 第四巻』 伊沢修二編 大日本図書株式会社発行 
    1893年9月  『祝祭日唱歌 註釈』大和田建樹註釈 
    1893年9月  『小学唱歌 第五巻』 伊沢修二編 大日本図書株式会社発行 
    1893年9月  『小学唱歌 第六巻』 伊沢修二編 大日本図書株式会社発行 

    1894年(明治27年)日清戦争

    1894年(明治27年)日清戦争勃発 ~1895年 

    1895年(明治28年)

    1895年7月 「櫻町」 佐藤誠実/作曲者未詳 

    1896年(明治29年)『新編教育唱歌集 第1集』「夏は来ぬ」

    1896年1月  『新編教育唱歌集 第1集』教育音楽講習会編 
    1896年4月  『幼稚園唱歌 続編』大賀寿吉 編輯 
    1896年5月  「夏は来ぬ」 佐佐木信綱/小山作之助 
    1896年5月  「川中島」 旗野十一郎/小山作之助 
    1896年5月  『新編教育唱歌集 第2集』教育音楽講習会編 

    1899年(明治32年)

    1899年6月  「桜井の訣別」 落合直文/奥山朝恭 

    明治末期:日本人作曲家による明治「文部省唱歌」

    1907年(明治40年):唱歌が必須科目となり、日本人の手による本格的な教科用唱歌の編纂が始まる。
    1910年(明治43年):『尋常小学読本唱歌』(のちの『尋常小学唱歌』)が発表。日本人が作曲も手掛けた唱歌が作歌された。「われは海の子」や「春が来た」など。
    「文部省唱歌」とは1910年頃から戦前までに出版された尋常小学唱歌などの総称(おもに日本人が作曲した点に着目した呼称。従来の唱歌は「翻訳唱歌」といわれた)。

    1900年代「唱歌」改善:瀧廉太郎らの唱歌

    1900年代「唱歌」改善:瀧廉太郎らの唱歌
    (おもなできごと)
    1900年前後瀧廉太郎が作品発表。徐々に日本人の作曲も増えてきた。
    1907年(明治40年):小学校令改正により、唱歌が必須科目となり、日本人の手による本格的な教科用唱歌の編纂が始まる。

    1900年(明治33年)『幼年唱歌 初編』  ※19世紀終り

    19世紀終り1900年(明治32年)※19世紀:1801年~1900年
    1900年6月  『幼年唱歌 初編 上巻』 十字屋発行 
    1900年6月  「金太郎」 石原和三郎/田村虎蔵 
    1900年8月  『女学唱歌 第一集』 編者 山田源一郎 共益商社発行 
    1900年9月  『幼年唱歌 初編 中巻』 十字屋発行 
    1900年9月  「さるかに」 石原和三郎/納所弁次郎 
    1900年9月  「おつきさま」 石原和三郎/納所弁次郎 
    1900年9月  「うらしまたろう」 石原和三郎/田村虎蔵 
    1900年9月  「おおさむこさむ」 石原和三郎/田村虎蔵 
     「花」 武島羽衣/瀧廉太郎 

    1901年(明治34年)『中学唱歌』『女学唱歌 第二集』『幼年唱歌 二編』

    1901年3月  『中学唱歌』 東京音楽学校刊行 
    1901年3月  「寄宿舎の古釣瓶」 小池友七/小山作之助 
    1901年3月  「箱根八里」 鳥居忱/瀧廉太郎 
    1901年3月  「荒城の月」 土井晩翠/瀧廉太郎 
    1901年5月  『女学唱歌 第二集』 編者 山田源一郎 共益商社発行 
    1901年6月  『幼年唱歌 初編 下巻』 十字屋発行 
    1901年6月  「花咲爺」 石原和三郎/田村虎蔵 
    1901年6月  『幼年唱歌 二編 上巻』 十字屋発行 
    1901年6月  「大江山」 石原和三郎/田村虎蔵 
    1901年6月  「兎と亀」 石原和三郎/納所弁次郎 
    1901年7月  「さんぽ」 勝承夫/多梅稚 
    1901年7月  『幼稚園唱歌』 共益商社発行 
    1901年7月  「お正月」 東くめ/瀧廉太郎 
    1901年7月  「水あそび」 東くめ/瀧廉太郎 
    1901年8月  『幼年唱歌 二編 中巻』 十字屋発行 
    1901年11月  『幼年唱歌 二編 下巻』 十字屋発行 

    1901年(明治34年)小学校令改正「小学校令施行規則」「唱歌ハ平易ナル歌曲ヲ唱フコトヲ得シメ兼テ美感ヲ養ヒ徳性ノ涵養ニ資スルヲ以テ要旨トス」

    1902年(明治35年)『幼年唱歌 三編』『幼年唱歌 四編』

    1902年3月  『幼年唱歌 三編 上巻』 十字屋発行 
    1902年7月  『幼年唱歌 三編 下巻』 十字屋発行 
    1902年9月  『幼年唱歌 四編 上巻』 十字屋発行 
    1902年9月  『幼年唱歌 四編 下巻』 十字屋発行 

    1903年(明治36年)『育児唱歌春の巻』国産蓄音機発売

    1903年  《国産の蓄音機が発売される》 
    1903年4月  「春風」 加藤義清/フォスター 
    1903年4月  「虫の楽隊」 桑田春風/田村虎蔵 
    1903年8月  『言文一致唱歌』 内言文一致会編 
    1903年8月  『育児唱歌 春の巻』渡邊森蔵編 
    1903年8月  「唱歌とオルガン」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1903年8月  「蝶々」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1903年8月  「かなわ」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1903年8月  「數の花」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1903年8月  「鳥の聲」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1903年8月  「庭の遊」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1903年8月  「馬車」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1903年8月  「十二ヶ月遊」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1903年11月  『育児唱歌 夏の巻』渡邊森蔵編 
    1903年11月  「柳」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1903年11月  「麥藁帽」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1903年11月  「金魚」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1903年11月  「蝙蝠傘」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1903年11月  「浴鴎」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1903年11月  「繩飛」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1903年11月  「短艇」 旗野十一郎/渡辺森蔵 

    1904年(明治37年)『少年唱歌 四編』

    1904年2月  『少年唱歌 四編』十字屋発行 
    1904年8月  『少年唱歌 六編』十字屋発行 
    1904年8月  『育児唱歌 秋の巻』渡邊森蔵編 
    1904年8月  「花賣」 旗野十一郎/内田粂太郎 
    1904年8月  「猫兒」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1904年8月  「木の實拾」 旗野十一郎/楠美恩三郎 
    1904年8月  「菊」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1904年8月  「鹿」 旗野十一郎/田村虎蔵 
    1904年8月  「茸狩」 旗野十一郎/渡辺森蔵 
    1904年8月  「御祭」 旗野十一郎/渡辺森蔵 

    1905年(明治38年)『少年唱歌 七編』

    1905年3月  『少年唱歌 七編』十字屋発行 
    1905年10月  「一寸法師」巌谷小波/田村虎蔵 
    1905年12月  「大黒様」石原和三郎/田村虎蔵 

    1906年(明治39年)

    1906年7月 「敦盛と忠度」 大和田建樹/田村虎蔵 

    1907年(明治40年)小学校令改正「唱歌」必須科目に

    1907年(明治40年)小学校令の改正により初めて「唱歌」が必須科目とされた。
    1907年8月出版『中等教育唱歌集』 山田源一郎編 共益商社発行 
    1907年8月  「旅愁」 犬童球渓/オードウェイ 
    1907年8月  「故郷の廃家」 犬童球渓/ヘイス 

    1908年(明治41年)

    1908年  「花すみれの御歌」 貞明皇后/山田耕筰 

    1909年(明治42年)『中等唱歌』

    1909年5月  『中等唱歌』 共益商社発行 
    1909年5月  「天皇の御稜威」 木村正辞/納所弁次郎 
    1909年5月  「海樓眺望」 小野竹三/ヴェルディ 
    1909年5月  「夕暮」 土井林吉/ネーゲリ 
    1909年5月  「吉野山」 吉岡郷甫/小山作之助 
    1909年5月  「今日も暮れぬ」 尾上八郎/スポンティーニ 
    1909年5月  「醍醐の花見」 池辺義象/田村虎蔵 
    1909年5月  「夕の鐘」 小野竹三/メンデルスゾーン 
    1909年5月  「手函の繪」 幸田成行/目賀田万世吉 
    1909年5月  「胡蝶」 鳥居忱/ドイツ民謡 
    1909年5月  「田植」 池辺義象/リギーニ 
    1909年5月  「ウォーターロー」 土井晩翠/山田源一郎 
    1909年5月  「夏休」 吉丸一昌/外国民謡 
    1909年5月  「虹」 小林愛雄/ネーゲリ 
    1909年5月  「孔明」 土井林吉/内田粂太郎 
    1909年5月  「深林逍遙」 乙骨三郎/マルシュナー 
    1909年5月  「緑蔭」 三宅龍子/ベッカー 
    1909年5月  「笠置山」 池辺義象/南能衛 
    1909年5月  「湖上の月」 吉岡郷甫/ロッシーニ 
    1909年5月  「亡友の寫眞」 吉岡郷甫/Zeitsr 
    1909年5月  「護良親王」 杉谷虎藏/ジルヒャー 
    1909年5月  「月下懷鄕」 下村莢/ドイツ民謡 
    1909年5月  「樺太」 福井久藏/益山鎌吾 
    1909年5月  「演習」 吉丸一昌/外国民謡 
    1909年5月  「吉田松陰」 土井林吉/小山作之助 
    1909年5月  「里祭」 旗野十一郎/ドイツ民謡 
    1909年5月  「墓詣」 小金井君子/ドイツ民謡 
    1909年5月  「駈足」 渡辺盛衛/デッサウア 
    1909年5月  「氷滑」 乙骨三郎/外国民謡 
    1909年5月  「世の態」 小野竹三/ボヘミア民謡 
    1909年5月  「千代田の宮」 阪正臣/上真行 
    1909年11月  「菩提樹」 近藤朔風/シューベルト 
    1909年11月  『女声唱歌』 天谷秀 近藤逸五郎 編 水野書店発行 
    1909年11月  「美し夢」 近藤朔風/シューベルト 
    1909年11月  「野なかの薔薇」 近藤朔風/ウェルナー 
    1909年11月  「ローレライ」 ハイネ/近藤朔風/ジルヒャー 

    1910年年代(明治)「唱歌」国産:『尋常小学読本唱歌』文部省唱歌

    (おもなできごと)
    1910年(明治43年)出版『尋常小学読本唱歌』(のちの『尋常小学唱歌』)文部省編纂。全曲が日本人の作曲。「われは海の子」や「春が来た」など。

    「文部省唱歌」とは1910年~1944年に出版された『尋常小学唱歌』などの総称。おもに日本人が作曲した点が注目され、従来の唱歌は「翻訳唱歌」といわれた。ただし、唱歌教科書は先に出版されていた文部大臣検定の民間の教科書も併用。)

    1910年(明治43年)『尋常小学読本唱歌』文部省※「文部省唱歌」

    1910年4月出版『中学唱歌 第一巻』田村虎蔵編 
    1910年4月出版『中学唱歌 第二巻』田村虎蔵編 
    1910年4月発表「星の界」 杉谷代水/コンヴァース 
    1910年4月出版『中学唱歌 第三巻』田村虎蔵編 
    1910年7月出版『尋常小学読本唱歌』文部省
    ※日本人作詞・作曲の唱歌を中心とした「文部省唱歌」の始まりとされる(参考:ウィキペディア-文部省唱歌)。
    1910年7月発表「烏」文部省唱歌 
    1910年7月  「朝顔」 文部省唱歌 
    1910年7月  「たこの歌」 文部省唱歌 
    1910年7月  「月(ツキ)」 文部省唱歌 
    1910年7月  「小馬」 文部省唱歌 
    1910年7月  「蛙と蜘蛛」 文部省唱歌 
    1910年7月  「ふじの山」 巌谷小波/文部省唱歌 
    1910年7月  「時計の歌」 文部省唱歌 
    1910年7月  「母の心」 文部省唱歌 
    1910年7月  「春が来た」 高野辰之/岡野貞一 
    1910年7月  「虫のこえ」 文部省唱歌 
    1910年7月  「いなかの四季」 堀沢周安/文部省唱歌 
    1910年7月  「日本の國」 文部省唱歌 
    1910年7月  「かぞへうた」 文部省唱歌 
    1910年7月  「家の紋」 文部省唱歌 
    1910年7月  「何事も精神」 文部省唱歌 
    1910年7月  「たけがり」 文部省唱歌 
    1910年7月  「近江八景」 文部省唱歌 
    1910年7月  「舞へや歌へや」 文部省唱歌 
    1910年7月  「三才女」 文部省唱歌 
    1910年7月  「水師營の會見」 佐佐木信綱/岡野貞一 
    1910年7月  「我は海の子」 文部省唱歌 
    1910年7月  「出征兵士を送る」 文部省唱歌 
    1910年7月  「同胞すべて五千万」 文部省唱歌 
    1910年7月  「鎌倉」 芳賀矢一/文部省唱歌 
    1910年7月  「國産の歌」 文部省唱歌
    1910年  《添田唖蝉坊「むらさき節」》 

    1910年7月  『尋常小学読本唱歌』文部省《最初の「文部省唱歌」誕生》 
    ※所謂「文部省唱歌」の始まりとされる(参考:ウィキペディア-文部省唱歌)。
    但し「唱歌」そのものはこの年(1910年)から41年前(1879年)明治12年に始まっている。(※蛇足かつ私見だが、正直申し上げて「文部省唱歌」の従来の分類には素朴なギモンを禁じ得ない。果たして明治初期から約40年間もの相当な期間に文部省音楽取調掛などが中心となって進めてきた唱歌を翻訳唱歌として「文部省唱歌」の対象外とすることに何の意味があるのか。また数々の音楽教師や民間出版社が残してきた唱歌出版物の史料的価値もあるのでは。小生はあくまで門外漢であるため音楽著作権の取り扱い等の経緯についてあまり深入りしたくはない。ただ1909年までの「唱歌」が翻訳唱歌ばかりで日本人作詞作曲の歌がなかったかのような「唱歌」の歴史認識は事実と異なる。上述のとおり、例えば1883年(明治16年)『小学唱歌集 第二編』などはイギリス民謡などの所謂翻訳唱歌に類するやもしれないが、1887年(明治20年)年前後から真鍋定造『幼稚園唱歌集』、1888年(明治21年)『明治唱歌 第一集』 編者:大和田建樹/奥好義、そして文部省音楽取調掛でも1892年(明治25年) 『小学唱歌 第一巻』伊沢修二編、さらに1900年代以降は『幼年唱歌』十字屋発行など当時より言文一致唱歌を提唱した日本人音楽家田村虎蔵(参考ウィキペディア-田村虎蔵)作曲・作詞も日本人が手掛けた紛れもない日本の国産「唱歌」が相当数出版されている。この事実確認の見直しだけでも従来の「文科省唱歌」を1910年以降とする判断基準は誤りとならないか。(※本来はさらに翻訳という外国語の知識の内製化への先人の努力に思いを致したとき「翻訳唱歌は文部省唱歌ではない」とする見解にも果たして明治の社会経済や歴史の文脈では西洋文化(「文明」)を取り入れることを推奨してきたにも関わらずなぜか「唱歌」文脈だけ急に「翻訳唱歌」は除外するといった視野の狭さがはびこっている点には違和感もぬぐえない。さらに蛇足だが筆者は政治信条的には保守本流であまりリベラルではなく八幡製鉄所などに代表される日本の明治殖産興業などでの国士のご尽力に深い敬意を抱いている。むしろそうした心情もあることからなぜ「唱歌」だけ明治40年頃までの先人の努力が認められないのか。かえって昭和の愛国精神からも明治・大正・昭和の「唱歌」という本来国民が広く共有したい児童文化や子供の歌の世界ではくだらない大人の事情は二の次にして「こどもまんなか」政策の一環としても様々な垣根を超えて改めて明治の文化遺産の再評価を行い、従来より深みのある「日本の唱歌」としての付加価値づけをおこなうべきではなかろうか。文科省(江戸)文化庁(京都)に加え地方創生の一環で、例えば、四国出身で京都の同志社出身の真鍋定造の再評価は京都に移転した文化庁のお膝元であるし、鳥取出身の言文一致唱歌を提唱した田村虎蔵は鳥取県出身の音楽教師である。さらに東北や北海道、大阪などの関西の民間出版社などは「唱歌」がたんに国策としてのみならず寺子屋や町人文化という庶民性の側面からも私財をなげうって自ら自費出版した民間唱歌本などは、いわゆる同人誌等のコミケなどを含む昨今のオタクカルチャーとの廉潔性(清廉な連結性)といったCool JAPANコンテンツのひとつともなりうるポテンシャルを秘めているだろう。著作権は羹に懲りてあえ物を吹くという守備固めだけでは活用しきれない。むしろ一時的に肉を切らせてでもより大きな創造の投資とすることで世界を驚かせるより大きな付加価値の糧とさせていただくことで過去の文化遺産も報われる。ここでは「唱歌」年表(私家版)としてなるべく年別にどんな唱歌があったかをメモしておりややもすると細かい印象をあたえるやもしれないが正直申し上げて唱歌をことさら文部省唱歌とそれ以外などに分ける必要は面倒だ。一般的には戦前・戦後とわける傾向もおありだったろうがそれすら単にこれまで戦前のことを調べるのが大変だったという調査方法の物理的制約以外にどんな理屈もピンとこない。無論様々な主義主張にはそれぞれ一理あろう。だが所詮どんな研究も解釈は解釈。ここでもグダグダ冗長な文章を書いてしまっているがいくら論文やアカデミック文体で体裁を整えようが、多くの研究者の労作を拝見してもいまだに、いつ?どこで?という5W1Hの最初の2Wすら不明瞭な記述が多すぎる。音楽でもまずは時系列と場所という事実確認の物理性が肝心。科学的というにもおこがましいほど当たり前のことだが「いつ?」という情報はどんな解釈よりもまず先。なぜなら時間こそが音楽でも軸となる物理性の定数。音楽ジャンルだのましてや音楽史の解釈といった主義主張は時代とともに変わる変数。変数にとらわれることもあろうがまずは定数情報は共有しておきたい。すなわち唱歌の歴史なら1910年以前の約40年もの唱歌の歴史があること(余力があれば各唱歌文献の発行年)ぐらいは議論の前提として押さえておきたい。(何度か申し上げているが筆者は単なる音楽リスナーでたんに「いつ?」の唱歌?という素朴なギモンを解消したいためだけにこんな年表でメモしている。個人的には年月日がわかれば自己満足。そのためよもや唱歌研究などをさらに掘り下げることはあまり考えていない。それより唱歌が生まれた年がわかれば今度は別の音楽がいつ?という関心がたた山積している。ここではあまり流行歌などは併記していないが本来は少なくとも邦楽は各年ごとにあわせてみたい。さらに個人的な興味としてはたとえば1910年ならトリニダードでカリプソが流行し始めた頃だとか米国でティンパンアレーが隆盛した頃、ブラジルでショーロからサンバへの変遷がおこっていた頃などなどおなじ1910年代の世界の音楽をならべて俯瞰したい。というわけでこの辺でおひらき。)
    単なるいち音楽リスナーだがつい年表や年別にどんな歌や曲があったか?と素朴なギモンが気になる性分の筆者

    1911年(明治44年)『尋常小学唱歌 第一学年用』

    1911年2月発表「嬉しき日」作詞:吉丸一昌、作曲:本居長世 
    1911年5月出版『尋常小学唱歌 第一学年用』 文部省 
    1911年5月  「日の丸の旗」 高野辰之/岡野貞一
    1911年5月  「鳩」 文部省唱歌 
    1911年5月  「おきやがりこぼし」 文部省唱歌 
    1911年5月  「人形」 文部省唱歌 
    1911年5月  「ひよこ」 文部省唱歌 
    1911年5月  「かたつむり」 文部省唱歌 
    1911年5月  「牛若丸」 文部省唱歌 
    1911年5月  「夕立」 文部省唱歌 
    1911年5月  「桃太郎」 文部省唱歌/岡野貞一 
    1911年5月  「池の鯉」 文部省唱歌 
    1911年5月  「親の恩」 文部省唱歌 
    1911年5月  「菊の花」 青木存義/文部省唱歌 
    1911年5月  「木の葉」 文部省唱歌 
    1911年5月  「兎」 文部省唱歌 
    1911年5月  「犬」 文部省唱歌 
    1911年5月  「花咲爺」 文部省唱歌 
    1911年6月  『尋常小学唱歌 第二学年用』 文部省 
    1911年6月  「櫻」 文部省唱歌 
    1911年6月  「二宮金次郎」 文部省唱歌 
    1911年6月  「よく學びよく遊べ」 文部省唱歌 
    1911年6月  「雲雀」 文部省唱歌 
    1911年6月  「田植」 文部省唱歌 
    1911年6月  「雨」 文部省唱歌 
    1911年6月  「蝉」 文部省唱歌 
    1911年6月  「浦島太郎」 文部省唱歌 
    1911年6月  「案山子」 文部省唱歌 
    1911年6月  「仁田四郎」 文部省唱歌 
    1911年6月  「紅葉」 高野辰之/岡野貞一 
    1911年6月  「天皇陛下」 文部省唱歌 
    1911年6月  「雪」 文部省唱歌 
    1911年6月  「梅に鶯」 文部省唱歌 
    1911年6月  「那須与一」 文部省唱歌 

    1912年(明治45年/大正元年)『尋常小学唱歌 第三学年用』

    1912年発表「汽車」 作詞者不明/大和田愛羅
    1912年2月発表「おぼろ夜」 近藤義次/弘田龍太郎
    1912年2月  「牧場の朝」 杉村楚人冠/船橋栄吉 
    1912年3月出版『尋常小学唱歌 第三学年用』 文部省
    1912年3月  「かがやく光」 文部省唱歌 
    1912年3月  「茶摘」 文部省唱歌 
    1912年3月  「青葉」 文部省唱歌 
    1912年3月  「友だち」 文部省唱歌 
    1912年3月  「虹」 文部省唱歌 
    1912年3月  「村祭」 文部省唱歌 
    1912年3月  「鵯越」 文部省唱歌 
    1912年3月  「雁」 文部省唱歌 
    1912年3月  「取入れ」 文部省唱歌 
    1912年3月  「豐臣秀吉」 文部省唱歌 
    1912年3月  「皇后陛下」 文部省唱歌 
    1912年3月  「冬の夜」 文部省唱歌 
    1912年3月  「川中島」 文部省唱歌 
    1912年3月  「おもひやり」 文部省唱歌 
    1912年3月  「港」 文部省唱歌 
    1912年11月  「木の葉」 吉丸一昌/梁田貞 
    1912年12月  『尋常小学唱歌 第四学年用』 文部省 
    1912年12月  「春の小川」 高野辰之/岡野貞一 
    1912年12月  「櫻井のわかれ」 堀沢周安/文部省唱歌 
    1912年12月  「靖國神社」 文部省唱歌 
    1912年12月  「蚕」 文部省唱歌 
    1912年12月  「藤の花」 文部省唱歌 
    1912年12月  「曾我兄弟」 文部省唱歌 
    1912年12月  「家の紋」 文部省唱歌 
    1912年12月  「雲」 文部省唱歌 
    1912年12月  「漁船」 文部省唱歌 
    1912年12月  「廣瀨中佐」 文部省唱歌 
    1912年12月  「霜」 文部省唱歌 
    1912年12月  「八幡太郎」 文部省唱歌 
    1912年12月  「村の鍛冶屋」 文部省唱歌 
    1912年12月  「雪合戦」 文部省唱歌 
    1912年12月  「つとめてやまず」 文部省唱歌 
    1912年12月  「橘中佐」 文部省唱歌/岡野貞一 

    大正~昭和:大正「童謡」の誕生と昭和「唱歌」

    大正期:詩人や作曲家が子どものための芸術的で自由な歌を作る「童謡」運動(雑誌『赤い鳥』の創刊など)が盛んになった。
    昭和(戦時中~終戦):日清・日露戦争や太平洋戦争の時代には、軍国主義や国家を鼓舞する内容の唱歌も歌われた。
    1945年(昭和20年)以降:終戦を迎えると、戦争を肯定する歌詞などが削除・修正され、戦後の新しい学習指導要領や音楽教科書へと引き継がれていった。

    1918年(大正7年)「童謠」の登場・「文部省唱歌」と「童謡」

    1910年代(大正)「童謠」登場:文部省唱歌と童謠運動

    (おもなできごと)
    1918年(大正7年)「童謠」登場:文部省唱歌と童謠運動
    大正期:詩人や作曲家が子どものための芸術的で自由な歌を作る「童謡」運動(雑誌『赤い鳥』の創刊など)が盛んになった。

    1913年(大正2年)

    1913年2月  「涙の弊」 吉丸一昌/本居長世 
    1913年2月  「早春賦」 吉丸一昌/中田章 
    1913年4月  「桐の花」 西條八十/本居長世 
    1913年5月  『尋常小学唱歌 第五学年用』 文部省 
    1913年5月  「みがかずば」 文部省唱歌 
    1913年5月  「金剛石・水は器」 文部省唱歌 
    1913年5月  「八岐の大蛇」 文部省唱歌 
    1913年5月  「鯉のぼり」 文部省唱歌 
    1913年5月  「運動會の歌」 文部省唱歌 
    1913年5月  「加藤清正」 文部省唱歌 
    1913年5月  「海」 文部省唱歌 
    1913年5月  「納涼」 文部省唱歌 
    1913年5月  「忍耐」 文部省唱歌 
    1913年5月  「鳥と花」 文部省唱歌 
    1913年5月  「菅公」 文部省唱歌 
    1913年5月  「日光山」 文部省唱歌 
    1913年5月  「冬景色」 文部省唱歌 
    1913年5月  「入營を送る」 文部省唱歌 
    1913年5月  「齋藤實盛」 文部省唱歌 
    1913年5月  「朝日は昇りぬ」 文部省唱歌 
    1913年5月  「大塔宮」 文部省唱歌 
    1913年5月  「卒業生を送る歌」 文部省唱歌 
    1913年7月  「故郷を離るる歌」 吉丸一昌/ドイツ民謡 
    1913年9月  「浜辺の歌」 林古渓/成田為三 

    1914年(大正3年)唱歌+はやりうた=「流行歌」の誕生

    1914年(大正3年)、「カチューシャの唄」(作詞:島村抱月・相馬御風、作曲:中山晋平、歌:松井須磨子)が大流行し、それ以後、唱歌調の歌曲ははやりうたの言い換えとして「流行歌」と呼ばれるようになった。

    (唱歌)
    1914年6月  『尋常小学唱歌 第六学年用』 文部省 
    1914年6月  「明治天皇御製」 文部省唱歌 
    1914年6月  「兒島高徳」 文部省唱歌/岡野貞一 
    1914年6月  「おぼろ月夜」 高野辰之/岡野貞一 
    1914年6月  「故郷」 高野辰之/岡野貞一 
    1914年6月  「蓮池」 文部省唱歌 
    1914年6月  「燈臺」 文部省唱歌 
    1914年6月  「秋」 文部省唱歌 
    1914年6月  「開校記念日」 文部省唱歌 
    1914年6月  「四季の雨」 文部省唱歌 
    1914年6月  「日本海海戰」 芦田恵之助/田村虎蔵 
    1914年6月  「新年」 文部省唱歌 
    1914年6月  「夜の梅」 文部省唱歌/岡野貞一 
    1914年6月  「天照大神」 文部省唱歌 
    1914年6月  「卒業の歌」 文部省唱歌 
    1914年  《第1次世界大戦勃発 ~1918年》 
     「ジョスランの子守歌」 近藤朔風/ゴダール 

    1915年(大正4年)

    1915年(大正4年)唱歌関連

    1916年(大正5年)

    1916年2月発表「母よさらば」 吉丸一昌/成田為三 

    1917年(大正6年)

    1917年2月発表「あられ」 葛原しげる/梁田貞 

    1918年(大正7年)「童謠」登場:「文部省唱歌」と「童謡」

    1918年7月1日創刊『赤い鳥』鈴木三重吉童話と童謡の児童雑誌。
    1918年設立『宝塚音楽歌劇学校』 

    1919年(大正8年)

    1919年(大正8年)発売『茶目子の一日』お伽歌劇、ニッポノホン※レコード盤面に「童謡」(参考)ウィキペディア-童謡

    1920年代(大正9年~昭和4年)

    (おもなできごと)
    1923年9月1日関東大震災
    1925年(大正14年)日本でラジオ放送が始まる 

    1920年(大正9年)

    1920年11月発表「別れ路」 作詞作曲 本居長世 

    1921年(大正10年)

    1921年発表「青年の歌」 北原白秋/山田耕筰 
    1921年6月発表「秋のおとづれ」 川路柳虹/本居長世 

    1922年(大正11年)

    1922年4月  「よろこび」 葛原しげる/弘田龍太郎 
    1922年6月  「内心」 三木露風/大中寅二 

    1923年(大正12年)

    1923年3月  「ベネディクツス」 PD/大中寅二 
    1923年5月  「湧く涙」 三木露風/大中寅二 
    1923年9月1日関東大震災

    1924年(大正13年)

    1924年3月発表「國民の歌」 北原白秋/山田耕筰 
    1924年6月  「子守唄」 松崎功/大中寅二 
    1924年7月  「聖夜連祷」 川路柳虹/草川信 
    1924年10月  「やまと少女の歌」 三木露風/山田耕筰 

    1925年(大正14年)

    1925年2月発表「野の薫ゆり」 三木露風/大中寅二 
    1925年2月  「朝」 三木露風/大中寅二 
    1925年2月  「燕」 三木露風/宮原禎次 
    1925年4月  「五月雨るる」 富原義徳/宮原禎次 
    1925年4月  「雲雀」 小野竹三/草川信 
    1925年6月  「朝の歌」 深山澄/大中寅二 
    1925年(大正14年)日本でラジオ放送が始まる 
    1925年11月  「月夜」 三木露風/宮原禎次 

    1926年(大正15年/昭和元年)

    1926年  《日本放送協会(NHK)が設立される》 
    1926年  「建国歌」 北原白秋/山田耕筰 
    1926年1月  「潮音」 島崎藤村/宮原禎次 
    1926年7月  「春は逝きけり」 有本芳水/草川信 

    1927年(昭和2年)

    1927年(昭和2年)地下鉄が東京で開通
    1927年  「哀歌」 小林愛雄/小松耕輔 
    1927年1月  「アヴェ・マリア」 PD/大中寅二 
    1927年10月  「ジャンヌ・ダルク」 西條八十/本居長世

    1928年(昭和3年)

    1928年2月  「うてや鼓」 島崎藤村/宮原禎次 
    1928年  《普通選挙が始まる》 

    1929年(昭和4年)

    1929年4月  「春」 作詞作曲 本居長世 
    1929年6月  「つばくらめ」 三木露風/宮原禎次

    1930年代(昭和5年~昭和14年)

    1932年(昭和7年)『新訂尋常小学唱歌 第一学年用』

    1930年(昭和5年)

    1930年2月  「眠れよ我が兒」 三木露風/宮原禎次 
    1930年2月  「春」 松崎功/大中寅二 
     「夕やけの歌」 木下杢太郎/山田耕筰 
     「我が家の唄」 西條八十/山田耕筰 
     「よしきり」 三木露風/山田耕筰 
     「秩父宮頌歌」 北原白秋/山田耕筰 
     「輝く朝」 北原白秋/山田耕筰 
     「たかきおもひ」 西條八十/山田耕筰 
     「静けき夜に」 堀内敬三/山田耕筰 
     「愛の女神」 葛巻松板/山田耕筰 
     「昭和の黎明」 北原白秋/山田耕筰 
     「東天紅」 吉丸一昌/山田耕筰 
     「夏」 作詞作曲 松島つね 
     「わが世の春の」 足立幽香里/藤井清水 
     「片思」 竹友藻風/藤井清水 
     「水夫の歌」 竹友藻風/藤井清水 
     「早春の歌」 足立幽香里/藤井清水 
     「ちどり」 永田龍雄/藤井清水 
     「さくらさう」 作詞者未詳/藤井清水 
     「月下の船」 足立幽香里/藤井清水 
     「月」 柳沢健/成田為三 
     「たんぽぽ」 北原白秋/成田為三 
     「梅花」 北原白秋/成田為三 
     「春」 三木露風/成田為三 
     「ながめ」 北原白秋/成田為三 
     「そよぐ木の葉」 三木露風/成田為三 
     「朝」 北原白秋/成田為三 
     「雪の山路」 北原白秋/橋本国彦 
     「花と灯と人と」 西條八十/橋本国彦 
     「づいづいづいころばし」 東京地方俚謡/橋本国彦 
     「秋ぐさ」 佐藤春夫/橋本国彦 
     「山のあなた」 カール・ブッセ 上田敏/橋本国彦 
     「流星」 島崎藤村/橋本国彦 
     「おもちや汽車」 林柳波/本居長世 
     「お菓子の汽車」 西條八十/山田耕筰 
     「かくれんぼ」 野口雨情/山田耕筰 
     「さんたまりあ」 有本芳水/草川信 
     「すすき一穂に」 作詞作曲 松島彝 
     「すずめ」 葛原しげる/小松耕輔 
     「すずめ」 久保田宵二/佐々木英 
     「つくしんぼ」 西條八十/本居長世 
     「どんぐり」 作詞者未詳/橘英之祐 
     「なくした鉛筆」 西條八十/山田耕筰 
     「のこり花火」 西條八十/本居長世 
     「はごろも」 久保田宵二/佐々木英 
     「はつなつ」 室野たくま/草川信 
     「はるのよ」 土井晩翠/室崎琴月 
     「はる風」 小出正吾/草川信 
     「ふなうた」 作詞者未詳/成田為三 
     「れんげさう」 大久保とし/三宅延齢 
     「わが三笠」 葛原しげる/小松耕輔 
     「コスモス」 眞田梅村/佐々木英 
     「コスモスと蝶々」 三木露風/山田耕筰 
     「スケーティング」 葛原しげる/小松耕輔 
     「チュンチュク雀」 林柳波/本居長世 
     「ニコニコピンピンの歌」 葛原しげる/弘田龍太郎 
     「ローレライ」 作詞作曲 松島彝 
     「磯の日向」 榎本逸雄/松島彝 
     「一二三」 林柳波/本居長世 
     「雨だれ」 葛原しげる/小松耕輔 
     「雨のあと」 北原白秋/本居長世 
     「雲雀」 林信一/草川信 
     「燕とぶ」 菊池知勇/成田為三 
     「遠足」 川路柳虹/山田耕筰 
     「夏の曙」 吉丸一昌/室崎琴月 
     「夏の色」 室崎のり子/室崎琴月 
     「花すみれ」 葉末露子/室崎琴月 
     「海の朝」 葛原しげる/小松耕輔 
     「蟹の歌」 島崎藤村/室崎琴月 
     「凱旋」 佐佐木信綱/納所弁次郎 
     「楽隊あそび」 木村小舟/納所弁次郎 
     「汽車」 葛原しげる/小松耕輔 
     「橋のかげらふ」 浜田広介/藤井清水 
     「玉や」 林柳波/本居長世 
     「金鵄勲章」 石原和三郎/納所弁次郎 
     「月待草」 村田米四/草川信 
     「枯木立」 作詞者未詳/松島彝 
     「五一ぢいさんの唄」 国語読本より/三宅延齢 
     「鯉のぼり」 林柳波/本居長世 
     「笹の舟」 松井竹/大和田愛羅 
     「山百合」 川路柳虹/山田耕筰 
     「秋」 下田惟直/室崎琴月 
     「春のあした」 尾上柴舟/松島彝 
     「春の雪」 香坂澄子/室崎琴月 
     「春は來れり」 三角錫子/室崎琴月 
     「初蝉」 浜田広介/藤井清水 
     「初日の出」 山田禎一/大和田愛羅 
     「初鶯」 内田美和/大和田愛羅 
     「少女の歌」 北原白秋/山田耕筰 
     「沼べり」 北原白秋/大和田愛羅 
     「新日本」 大橋五郎/弘田龍太郎 
     「深山の雪」 菊池知勇/成田為三 
     「親の愛」 小林一郎/弘田龍太郎 
     「水ぐるま」 作詞者未詳/松島彝 
     「水車」 田辺貞之助/橘英之祐 
     「水遊び」 楯岡逸風/大和田愛羅 
     「雛祭り」 永井花水/藤井清水 
     「世界の平和」 作詞作曲 成田為三 
     「静寛院宮」 北原白秋/本居長世 
     「大きいダリア」 葛原しげる/小松耕輔 
     「大砲」 葛原しげる/小松耕輔 
     「虫の聲」 葛原しげる/小松耕輔 
     「朝の村」 尾上柴舟/松島彝 
     「庭の萩原」 菊池知勇/成田為三 
     「田舍の秋」 林柳波/大和田愛羅 
     「電信柱の帽子」 西條八十/三宅延齢 
     「兎のダンス」 野口雨情/山田耕筰 
     「日ぐれ」 作詞者未詳/松島彝 
     「日の丸の旗の歌」 八波則吉/弘田龍太郎 
     「乳のにほひ」 太田黒克彦/草川信 
     「帆かけ船」 林柳波/本居長世 
     「晩秋」 三木露風/成田為三 
     「母と蘆」 西條八十/草川信 
     「母子草」 富原杜夜子/佐々木英 
     「北白川宮」 本居豊頴/納所弁次郎 
     「牧場の朝」 林柳波/成田為三 
     「蓑虫」 酒井良夫/藤井清水 
     「門松と日の丸」 伊藤音次郎/大和田愛羅 
     「夜更」 堀内元/大和田愛羅 
     「爺さんかぢや」 斎藤正雄/橘英之祐 
     「夕の星」 土井晩翠/室崎琴月 
     「夕べの濱」 尾上柴舟/松島彝 
     「夕焼を見る兒」 窪田空穂/弘田龍太郎 
     「幼かりし日」 原田琴子/弘田龍太郎 
     「鈴蘭の歌」 西條八十/成田為三 
     「國旗」 佐々木吉三郎/納所弁次郎 
     「椰子の實」 加藤まさを/佐々木英 
     「毬つき」 内田美和/大和田愛羅 
     「眞白き波」 尾上柴舟/松島彝 
     「稻田の燕」 菊池知勇/成田為三 
     「螢」 横尾眞琴/室崎琴月 
     「螢狩り」 大和田峻溪/大和田愛羅 
     「鷄の聲」 葛原しげる/小松耕輔 
     「故郷の夢」 作詞作曲 北村季晴 
     「梅散る里」 作詞作曲 北村季晴 
     「桃太郎」 田辺友三郎/納所弁次郎 
     「笛と太鼓」 石原和三郎/納所弁次郎 
     「トロイカ」 野口雨情/藤井清水 
     「眠り草眠れ」 野口雨情/藤井清水 
     「おぼろお月さん」 野口雨情/藤井清水 
     「こほろぎ」 野口雨情/藤井清水 
     「あひるの歌」 野口雨情/藤井清水 
     「子守り星」 野口雨情/藤井清水 
     「おろかなる」 東郷平八郎/本居長世 
     「星と苺」 野口雨情/本居長世 
     「春光」 高野辰之/弘田龍太郎 
     「鶯」 北原白秋/成田為三 
     「わがねがひ」 生田春月/草川信 
     「のどか」 久保田宵二/草川信 
     「月に飛ぶもの」 北原白秋/草川信 
     「花すみれ」 吉丸一昌/本居長世 

    1931年(昭和6年)

    1931年12月  『エホンショウカ』「こいのぼり」 近藤宮子/無名著作物 

    1932年(昭和7年)『新訂尋常小学唱歌 第一学年用』

    1932年  『エホンショウカ』「ぎっこんばったん」 エホンショウカ 
    1932年5月発行『新訂尋常小学唱歌 第一学年用』文部省 
    1932年5月  「砂遊び」 文部省唱歌 
    1932年5月  「僕の弟」 文部省唱歌 
    1932年5月  「つみ木」 文部省唱歌 
    1932年5月  「兵隊さん」 文部省唱歌/信時潔 
    1932年5月  「雪達磨」 文部省唱歌 
    1932年5月  「電車ごつこ」 井上赳/信時潔 
    1932年5月  「一番星みつけた」 文部省唱歌/信時潔 
    1932年5月  『新訂尋常小学唱歌 第二学年用』 文部省 
    1932年5月  「ラヂオ」 文部省唱歌 
    1932年5月  「竹の子」 文部省唱歌 
    1932年5月  「金魚」 文部省唱歌 
    1932年5月  「こだま」 文部省唱歌 
    1932年5月  「がん」 文部省唱歌 
    1932年5月  「折紙」 文部省唱歌 
    1932年5月  「うちの子ねこ」 文部省唱歌 
    1932年5月  「ポプラ」 井上赳/信時潔 
    1932年5月  「かけつこ」 文部省唱歌/下総皖一 
    1932年5月  「影法師」 文部省唱歌/信時潔 
    1932年5月  『新訂尋常小学唱歌 第三学年用』 文部省 
    1932年5月  「木の芽」 文部省唱歌 
    1932年5月  「燕」 文部省唱歌 
    1932年5月  「摘草」 文部省唱歌/長谷川良夫 
    1932年5月  「波」 文部省唱歌 
    1932年5月  「飛行機」 文部省唱歌 
    1932年5月  「私のうち」 文部省唱歌 
    1932年5月  「螢」 井上赳/下総皖一 
    1932年5月  「夏休」 文部省唱歌 
    1932年5月  「噴水」 文部省唱歌 
    1932年5月  「赤とんぼ」 文部省唱歌 
    1932年5月  「麥まき」 文部省唱歌/下総皖一 

    1933年(昭和8年)

    1933年2月  『新訂尋常小学唱歌 第四学年用』 文部省 
    1933年2月  「かげろふ」 文部省唱歌 
    1933年2月  「五月」 文部省唱歌 
    1933年2月  「動物園」 井上赳/信時潔 
    1933年2月  「お手玉」 文部省唱歌/沢崎定之 
    1933年2月  「夢」 文部省唱歌 
    1933年2月  「夏の月」 文部省唱歌 
    1933年2月  「水車」 文部省唱歌 
    1933年2月  「山雀」 酒井悌/文部省唱歌 
    1933年2月  「餅つき」 文部省唱歌 
    1933年2月  『新訂尋常小学唱歌 第五学年用』 文部省 
    1933年2月  「山に登りて」 文部省唱歌 
    1933年2月  「風鈴」 文部省唱歌 
    1933年2月  「秋の山」 文部省唱歌 
    1933年2月  「いてふ(いちょう)」 文部省唱歌 
    1933年2月  「雛祭」 文部省唱歌 
    1933年2月  「朝の歌」 文部省唱歌 
    1933年2月  「進水式」 文部省唱歌 
    1933年2月  『新訂尋常小学唱歌 第六学年用』 文部省 
    1933年2月  「我等の村」 文部省唱歌 
    1933年2月  「瀬戸内海」 文部省唱歌 
    1933年2月  「遠足」 佐野保太郎/信時潔 
    1933年2月  「風」 文部省唱歌 
    1933年2月  「森の歌」 文部省唱歌 
    1933年2月  「鳴門」 文部省唱歌 
    1933年2月  「日本三景」 文部省唱歌 
    1933年2月  「瀧」 文部省唱歌/長谷川良夫 
    1933年2月  「鷲」 文部省唱歌 
    1933年2月  「霧」 文部省唱歌 
    1933年2月  「雪」 文部省唱歌 
    1933年2月  「スキーの歌」 林柳波/橋本国彦 

    1934年(昭和9年)

    唱歌関連

    1935年(昭和10年)『新訂高等小学唱歌』

    1935年9月  『新訂高等小学唱歌 第一学年用』 文部省 
    1935年9月  『新訂高等小学唱歌 第二学年用』 文部省 
    1935年9月  『新訂高等小学唱歌 第三学年用』 文部省 

    1936年(昭和11年)

    唱歌関連

    1937年(昭和12年)

    1937年発表「別れのブルース」淡谷のり子(流行歌) 

    1938年(昭和13年)

    唱歌関連

    1939年(昭和14年)

    1939年(昭和14年)第2次世界大戦勃発 ~1945年(昭和20年) 

    1940年代(昭和15年~昭和24年)

    (おもなできごと)
    1945年(昭和20年)終戦

    1940年(昭和15年)

    唱歌関連・軍歌

    1941年(昭和16年)国民学校令「芸能科音楽」(「唱歌(教科)」終了)

    1941年(昭和16年)国民学校令により「芸能科音楽」へと発展的解消(教科としての「唱歌(教科)」名称の終了)。

    1941年2月出版『ウタノホン 上』 文部省発行 
    1941年2月  「ガクカウ」 文部省唱歌 
    1941年2月  「ユフヤケコヤケ」 わらべ歌 
    1941年2月  「ヱンソク」 林柳波/弘田龍太郎 
    1941年2月  「かくれんぼ」 林柳波/下総皖一 
    1941年2月  「ホタルコイ」 日本古謡 
    1941年2月  「海」 林柳波/井上武士 
    1941年2月  「おうま」 林柳波/松島つね 
    1941年2月  「モモタラウ」 文部省唱歌 
    1941年2月  「タネマキ」 文部省唱歌 
    1941年2月  「江戸の子守唄」 わらべうた 
    1941年2月  「オ人ギヤウ」 文部省唱歌 
    1941年2月  「オ正月」 文部省唱歌 
    1941年2月  「兵タイゴツコ」 文部省唱歌 
    1941年2月  「ヒカウキ」 文部省唱歌 
    1941年2月  「うぐいす」 林柳波/井上武士 
    1941年3月  『うたのほん 下』 文部省発行 
    1941年3月  「國引き」 文部省唱歌 
    1941年3月  「軍かん」 文部省唱歌 
    1941年3月  「雨ふり」 文部省唱歌 
    1941年3月  「花火」 井上赳/下総皖一 
    1941年3月  「たなばたさま」 林柳波/下総皖一 
    1941年3月  「長い道」 文部省唱歌 
    1941年3月  「朝の歌」 文部省唱歌 
    1941年3月  「富士の山」 文部省唱歌 
    1941年3月  「菊の花」 小林愛雄/井上武士 
    1941年3月  「かけつこ」 文部省唱歌 
    1941年3月  「たきぎひろひ」 文部省唱歌 
    1941年3月  「おもちゃの戰車」 文部省唱歌 
    1941年3月  「羽根つき」 文部省唱歌 
    1941年3月  「ひな祭」 林柳波/平井康三郎 
    1941年3月  「日本」 文部省唱歌 
    1941年3月  「羽衣」 林柳波/橋本国彦 

    1942年(昭和17年)『初等科音楽 一』

    1942年2月出版『初等科音楽 一』文部省発行 
    1942年2月  「鯉のぼり」 文部省唱歌 
    1942年2月  「天の岩屋」 文部省唱歌 
    1942年2月  「山の歌」 文部省唱歌 
    1942年2月  「田植」 井上赳/中山晋平 
    1942年2月  「なはとび」 文部省唱歌 
    1942年2月  「子ども八百屋」 文部省唱歌 
    1942年2月  「軍犬利根」 文部省唱歌 
    1942年2月  「秋」 文部省唱歌 
    1942年2月  「稲刈」 文部省唱歌 
    1942年2月  「野菊」 石森延男/下総皖一 
    1942年2月  「田道間守」 文部省唱歌 
    1942年2月  「潛水艦」 文部省唱歌 
    1942年2月  「餅つき」 文部省唱歌 
    1942年2月  「軍旗」 文部省唱歌 
    1942年2月  「手まり唄」 武内俊子/松島つね 
    1942年2月  「雪合戦」 文部省唱歌 
    1942年2月  「梅の花」 文部省唱歌 
    1942年2月  「三勇士」 文部省唱歌 
    1942年2月  『初等科音楽 二』 文部省発行 
    1942年2月  「春の海」 文部省唱歌 
    1942年2月  「作業の歌」 文部省唱歌 
    1942年2月  「わかば」 松永みやお/平岡均之 
    1942年2月  「機械」 文部省唱歌 
    1942年2月  「千早城」 文部省唱歌 
    1942年2月  「野口英世」 文部省唱歌 
    1942年2月  「水泳の歌」 文部省唱歌 
    1942年2月  「山田長政」 文部省唱歌 
    1942年2月  「青い空」 文部省唱歌 
    1942年2月  「船は帆船よ」 文部省唱歌 
    1942年2月  「靖國神社」 文部省唱歌 
    1942年2月  「靖國神社」 文部省唱歌 
    1942年2月  「入營」 文部省唱歌 
    1942年2月  「グライダー」 文部省唱歌 
    1942年2月  「きたへる足」 片桐顯智/成田為三 
    1942年2月  「少年戰車兵」 文部省唱歌 
    1942年2月  「無言のがいせん」 文部省唱歌 
    1942年12月  『初等科音楽 三』 文部省発行 
    1942年12月  「朝禮の歌」 文部省唱歌 
    1942年12月  「大八洲」 文部省唱歌 
    1942年12月  「忠靈塔」 文部省唱歌 
    1942年12月  「赤道越えて」 文部省唱歌 
    1942年12月  「麥刈」 白鳥省吾/井上武士 
    1942年12月  「戰友」 文部省唱歌 
    1942年12月  「揚子江」 文部省唱歌 
    1942年12月  「大東亞」 文部省唱歌 
    1942年12月  「聖徳太子」 文部省唱歌 
    1942年12月  「秋の歌」 文部省唱歌 
    1942年12月  「捕鯨船」 文部省唱歌 
    1942年12月  「特別攻撃隊」 文部省唱歌 
    1942年12月  「母の歌」 野上弥生子/下総皖一 
    1942年12月  「小楠公」 文部省唱歌 
    1942年12月  「白衣の勤め」 文部省唱歌 
    1942年12月  「桃山」 文部省唱歌 
    1942年12月  『初等科音楽 四』 文部省発行 
    1942年12月  「敷島の」 文部省唱歌 
    1942年12月  「姉」 文部省唱歌 
    1942年12月  「晴れ間」 文部省唱歌 
    1942年12月  「満州のひろ野」 文部省唱歌 
    1942年12月  「肇國の歌」 文部省唱歌 
    1942年12月  「體練の歌」 文部省唱歌 
    1942年12月  「落下傘部隊」 文部省唱歌 
    1942年12月  「御民われ」 文部省唱歌 
    1942年12月  「渡り鳥」 文部省唱歌 
    1942年12月  「船出」 文部省唱歌 
    1942年12月  「少年産業戰士」 文部省唱歌 
    1942年12月  「スキー」 時雨音羽/平井康三郎 
    1942年12月  「早春」 文部省唱歌 
    1942年12月  「日本刀」 文部省唱歌 

    1943年(昭和18年)

    1947年(昭和22年)戦後『音楽』教科書(「音楽(教科)」と「童謡」)

    1947年4月  「ブンブンブン」 村野四郎/ボヘミア民謡 
    1947年5月  「小ぎつね」 勝承夫/ドイツ民謡 
    1947年5月  『一ねんせいのおんがく』 文部省 
    1947年5月  『二ねんせいのおんがく』 文部省 
    1947年5月  『三年生の音楽』 文部省 
    1947年5月  『四年生の音楽』 文部省 
    1947年5月  『五年生の音楽』 文部省 
    1947年5月  『六年生の音楽』 文部省 
    1947年7月  「真珠」 武内俊子/松島つね
    ※1947年(昭和22年)以後、学校教育では『音楽(教科)』の教科書、巷では「童謠」の流れを組む児童合唱団や児童歌手などが活躍。(戦前に教科としてはなくなった「唱歌(教科)」の名称は戦後は登場機会が少なくなっていった。ただし、昭和の卒業式では「仰げば尊し」が歌われ、街では商店の終了時に「蛍の光」が流されるなど、歌としての唱歌は、こどものうたや抒情歌、懐メロなどとしてその一部が歌い継がれている。)

    あとがき

    ここでは明治期以降の日本の子供向けの歌の一つである「唱歌」を起点として略年表をまとめた。細部で漏れなどがある点は承知しつつ、とりあえず個人的な備忘録として拙文を公開させていただくことをお許しいただきたい。

    ご存じの通り「わらべ歌」自体は古来より日本に存在する。
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    ここでいう「唱歌」とは、それまでの純邦楽や民謡や俗謡などの日本古来の「わらべ歌」と異なり西洋音楽との和洋折衷が特徴であろう。

    ただ、わらべ歌も、そもそも純邦楽も唐楽など大陸音楽との折衷から生まれた音楽である(和東折衷?東洋折衷?たんなる思い付きで厳密な定義といわれると曖昧だが要は東洋の音楽と日本の音楽の折衷の歴史も古い。)

    唱歌に限らず、わらべ歌しかり、純邦楽しかり。日本の音楽史において「折衷」という要素は欠かすことができなかった歴史的事実。この「折衷」すなわち音楽史においては、仮に「守破離」に例えれば、(1)海外の音楽を学習(守)(2)日本風に改善(破)(3)日本独自の創造(離)のうち、(2)の日本風に改善「破」にあたる発展途上期のプロセスにおける重要なカイゼン要素ではなかろうか。(音楽以外にも該当するが。)

    ただ、実際にはことはそう単純ではなく、西洋化と伝統との葛藤はときに争いや痛みを伴う。明治期でも西洋音楽の導入という国策的な流行の陰で、旧幕府では庇護下にあった純邦楽の伝統音楽家たちが生活苦に悩むほどの憂き目にあったという。

    さまざまな論で「折衷」を好ましからざるとして純国産を尊ぶ論調は、とくに唱歌の評論でも多い。それも一理あるだろう。

    それでも、和洋折衷は明治期の日本音楽史において先人が多くの議論や心血を注いだ歴史的な改善事業の重要な側面だったと筆者は考える。

    かかる視点からは、個人的には、大正時代の童謠運動で触れられる解説(唱歌が教条的うんぬんとして、より芸術的で純粋な童謠を創る等)についてはやや慎重な立場である。もちろん「唱歌(教科)」の一部には修身や国家礼賛といったやや国策的な教育の要素が強い唱歌もある。(ただ近代社会において「教育」自体が国家に有為な人材を育成する制度、という側面もあるので割り切ればやむを得ないのだがそれはさておき。)いずれにせよ、何というかイマイチな明治唱歌の歌もあるだろう。それらに批判がおこるのは当然だ。だが、明治唱歌、それも翻訳唱歌ともいわれた最初の『小学唱歌集』に含まれる「ちょうちょう」「蛍の光」「仰げば尊し」などの和洋折衷の唱歌でも、のちに長く卒業式などで愛唱された名曲も多い。さらに、明治後半の瀧廉太郎の作曲は歌曲としてもすぐれた唱歌だろう。もちろん、童謠運動との関連でも児童雑誌『コドモノクニ』など優れた文化遺産もある。大正時代の童謠と当時の挿画画家とのコラボは大正ロマンを代表するアートのひとつでもあろう。つまり、筆者が申し上げたいのは「唱歌」でも「童謡」でもいい歌がある、という極めて一庶民的な当たり前の話。

    (※余談ながら、個人的かつ現代的な後追いで解釈すれば、「唱歌」とはすなわち簡単に言えば和製ポップスの原型ともいえるのではなかろうか。筆者もふくめ多くの日本人は和製ポップスといえば戦後1950年代に流行した「テネシーワルツ」などの洋楽カバーポップスを連想するだろう。だが、少し唱歌の歴史をさかのぼってみると、そういえば戦前の日本の唱歌自体がもともとカバーポップスなのでは、というのが筆者の個人的見解。「蛍の光」はスコットランド民謡をカバーした和製ポップスのはしり、など。

    いずれにせよ、流行歌しかり、歌謡曲しかり。日本の大衆音楽史は、第2次世界大戦という不幸な戦争で自分も含めて多くの日本人の記憶から戦前の音楽史は分断されてしまったように思う。音楽史の学生でもましてや研究者なんておこがましいない一介の音楽リスナーだが、機会があれば少しずつ戦前の音楽についても基本的なことぐらいは知りたいものである。

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