一部PRあり

1948年ヒット曲(昭和23年)邦楽

1940年代音楽

1948年ヒット曲(昭和23年)邦楽
1948年1月「東京ブギウギ」笠置シズ子
1948年1月「バラのルムバ」二葉あき子

スポンサーリンク

1948年1月発売「東京ブギウギ」笠置シズ子

1948年1月発売「東京ブギウギ」笠置シズ子(作詞:鈴木勝、作曲:服部良一、日本コロムビア)※
前年1947年発表(1947年9月劇場初演、1947年12月公開映画『春の饗宴』劇中歌)された「東京ブギウギ」がレコード発売。ラジオ放送などを通じて広く知られることとなり、1948年(昭和23年)頃の大流行歌に。ブギの流行により「買い物ブギ」「大阪ブギウギ」「名古屋ブギウギ」などのご当地ブギなども発表された。
※1953年12月(第4回)NHK紅白歌合戦「東京ブギウギ」笠置シズ子(歌手)

1948年1月発売「バラのルムバ」二葉あき子

1948年1月発売「バラのルムバ」二葉あき子(作詞:村雨まさを、作曲:服部良一、編曲:不詳、演奏:コロムビアオーケストラ、コロムビア A326)※視聴用♪バラのルムバ二葉あき子 – トピック♪
※当時ブギが流行中の人気作曲家服部良一先生はラテン音楽など様々な音楽を意欲的に紹介されておられたことが伺える。(こうした作品からのちの50年代日本でのラテン音楽流行につながる機運が醸成されたかとも思われる。)

※※ちなみに「バラのルムバ」発売年は1947年1月との表記もあるが正しくは1948年(昭和23年)1月発売。レコード(SP盤)コロムビアA326として「バラのルムバ」二葉あき子「村の娘」松田トシとのカップリングにて初出(参考)78musicほか。

雑記

(※※※)ルンバという音楽様式については諸説あり。「バラのルムバ」はキューバ音楽のソン。ただ、1920年代に欧米などではキューバのソンが「ルンバ」として流行した頃からキューバのソンが欧米ではルンバと誤解されていた経緯もあり。戦後「バラのルムバ」などの流行歌からのち「コーヒールンバ」のヒットなど戦後日本ではほぼ1990年代のブエナビスタソシアルクラブ辺りでソンの知名度が多少認知される頃まで誤解は続くことになる。ラテン音楽愛好家には、戦後、1950年代から60年代初め頃までには東京キューバンボーイズの見砂直照(みさごただあき)氏の著書や『中南米音楽』など中村とうよう氏らが本来のキューバのルンバとソン(ルンバ)の違いなども紹介されておられるが、こうしたの話はかなり専門誌など限られた範囲の浸透度だったろう。ただ、やはり音楽様式発祥のキューバ音楽のジャンルや演奏スタイルなどは基礎知識として知ったうえで、こうした日本流のアレンジを愉しむのがより楽しいと思う次第である。

いずれにせよけっして服部先生らの流行歌などでルンバという言葉が多少本来のキューバ音楽と違った音楽様式で使われたり、それを当時の日本の一般大衆に素朴に愛聴された流行歌になんら非はない。(個人的にはどの音楽様式も各国で少しずつ変化することの面白さに愛しさすら感じる。)※ここを私見で掘り下げるとまた脱線するのだが。個人的にはいわゆる日本式ルンバやマンボやチャチャチャやサンバなどのゆるい日本流解釈系の歌謡曲はいわば日本版エキゾチカともいえるのではないかともちょっと思ったりする。

(やや先走りになるが1950年代には日本でもラテン音楽が流行。1950年代前半(昭和20年代後半)にはルンバにマンボ、チャチャチャなどの定番ラテン音楽から始まり、1955年(昭和30年)夏にピークを迎えたマンボブームが1955年8月『太陽の季節』の頃からロカビリーが台頭してきてやや下火になった1950年代後半から1960年代前半(昭和30年代)には1960年(昭和30年)のドドンパ娘などを契機に国産ニューリズムが流行。さらに1950年代末にブラジルで生まれたボサノバも1960年代後半には米国留学帰りのナベサダさんらにより紹介。60年代はリズム&ブルース(ソウル)やロック、フォークなどラテン音楽以外の洋楽が流行し、そのまま現在に至る…感はあるが。この頃(1948年頃)から流行したブギやラテン音楽は1950年代に一大流行ジャンルとして戦後の日本のポピュラー音楽を輝かしく照らしたのである。

そして、日本の流行歌は戦前からすでに純邦楽に、西欧音楽、キューバ音楽、米国音楽、など様々な成分が溶け込んでいる。ちなみに「歌謡曲」は戦前は大正時代頃にシューベルトのマスなどの歌曲などをさしていた。藤山一郎さんや淡谷のり子さんらが戦前に学んだ歌謡曲はこうした西洋クラシック音楽の歌曲を意味していた。1948年頃から1960年代前半頃(昭和30年代頃)までは流行歌という呼び名が一般的。1964年(昭和39年)デビューの都はるみさんらもよく談話で自分の若いころは流行歌という呼び名が多かったと話されている。

・・・とまあジャンルの話はいわば変数なのであまり杓子定規に規定すると無理がある。そもそも音楽ジャンルなぞほぼ全ジャンルが混成といえなくもない。西洋クラシック音楽ですらルーツをたどれば古代ギリシア音楽から古代ローマ音楽に移る時点でその周辺のオリエント音楽すなわちトルコやシリアのメソポタミア音楽やその周辺のアラブ音楽やさらにはエジプト音楽、もっといえばインド西部のドラヴィダ系音楽がロマの祖先を通じて西方に伝わったところから太鼓などのリズム楽器が進化したという紀元前の音楽の歴史もある。音楽ジャンルの分化は旧石器時代に西アフリカでピグミーなどの労働歌などが起源の候補にもあげられてはいるがその後ほぼ人類史と同様の多様な広がりをもって混成しているためどこかでつながりがある。



1948年6月 アメリカ合衆国で米コロムビアがLP発売
(→1951年3月25日 日本で日本コロムビアが国内盤LP発売)

テキストのコピーはできません。