1931年ヒット曲(昭和6年邦楽)流行歌、新民謡、唱歌、など。藤山一郎デビュー、古賀政男作品流行:
「酒は涙か溜息か」藤山一郎♪※翌1932年2月までの売上80万枚という驚異的大流行
「侍ニッポン」徳山璉♪
「影を慕いて」佐藤千夜子♪(1931年1月発売)
「赤い翼」天野喜久代
「チャッカリしてるわね」天野喜久代
「月の浜辺」河原喜久恵
「わたしこのごろ変なのよ」藤野豊子
「紺碧の空」住治男、古関裕而
「福島行進曲」野村俊夫、古関裕而
「福島夜曲」竹久夢二、古関裕而
「丘を越えて」藤山一郎♪(1931年12月発売)
(唱歌・童謡)
「ラジオ体操のうた」内田栄一
「ワンワンニャオニャオ」宮城道雄
「こいのぼり」唱歌
「深川くづし」葭町勝太郎♪(1931年)
1931年(昭和6年)デビュー歌手
1931年デビュー:関種子
1931年9月20日デビュー「酒は涙か溜息か」藤山一郎(♪)
1931年音楽関係
1931年1月発売「影を慕いて」佐藤千夜子(作詞・作曲:古賀政男:ビクター)🎥
※A面 「日本橋から」佐藤千夜子のB面曲として発表。1930年10月録音。
1932年(昭和7年)3月発売「影を慕いて」藤山一郎(日本コロムビア)が大ヒットし昭和初期を代表する流行歌となった曲だが、流行歌の原曲は1931年(昭和6年)1月にビクターから発売された佐藤千恵子の歌唱。
なお、ギター合奏曲としては、さらに2年前の1929年(昭和4年)6月に発表。ただし当時は未発売のため1931年(昭和6年)1月「影を慕いて」佐藤千恵子(ビクター)盤が原曲といえるだろう。
1929年(昭和4年)6月に明治大学記念館講堂で開催された明治大学マンドリン倶楽部定期演奏会で古賀正男(マンドリン演奏家名)がギター合奏曲として「影を慕いて」の発端となる曲(ワルツ・ギター合奏)を発表。その演奏会にゲスト出演していた昭和初期の人気女性歌手の佐藤千夜子が流行歌にすることを古賀に勧めたという。
1929年(昭和4年)秋には★どこで?★スペインのギター奏者アンドレス・セゴビア(Andrés Segovia「現代クラシック・ギター奏法の父」)の演奏に感銘した古賀が「影を慕いて」の流行歌版の完成を急いだという。
なお、「影を慕いて」
1928年の夏宮城県柴田郡川崎町青根温泉で古賀は悲恋などが原因で自殺を図った[3][4]。そのときに蔵王にかかった夕焼けを見て『影を慕いて』の一片の詩が浮かんだとのこと。
1931年12月31日設立ムーランルージュ新宿座 アイドルの歴史(5)明日待子
1931年12月31日設立ムーランルージュ新宿座
ムーラン・ルージュ新宿座は、戦前から戦後にかけて、かつて東京・淀橋区角筈に存在した大衆劇場。
1931年12月31日に新宿で開館。代表者: 佐々木千里。軽演劇やレヴューを上演。学生や知識層の人気を集め、多くの作家、俳優を輩出。1951年閉館。
1931年の音楽
できごと
6月13日 – 神宮球場で早稲田大学第六応援歌「紺碧の空」(住治男作詞・古関裕而作曲)を初めて演奏


