昭和25年-昭和34年 1950年代 流行歌 邦楽 ヒット曲 懐メロ

懐メロ Golden Oldies音楽 1950年代
音楽 1950年代

1950年代って昭和何年頃?
1950年(昭和25年)から
1959年(昭和34年)まで

1950年代の邦楽の懐メロやヒット曲は?

ここではそんなギモンに関する記事をまとめています。


昔の懐メロを聴きたいと思っても曲の年代がわからないことはないでしょうか?
ここでは暦や年代順にヒット曲などの懐メロをまとめておきたいと思います。

でも1950年代などの西暦だけだと昭和20年代などの和暦が意外とわからなかったりしませんか?そこでここでは暦や年代もあわせてふれていきます。

はじめに 1950年代とは昭和で?

西暦和暦年齢早見一覧 2020
https://sweetsoilmusic.com/seireki-wareki-nenrei-ages-jp-2020/

はじめに

西暦と和暦って意外とわからなかったりしませんか?
以下では、1.暦(西暦和暦年齢)2.懐メロ(ヒット曲など)という流れでまとめたいと思います。
なお、ここではおもに1950年代の邦楽懐メロのまとめています。(1950年代のできごと(昭和レトロ関連のおもな出来事など)については別稿の予定。)

(構成案)暫定版
1.1950年代の暦(西暦和暦年齢)
1950年代は昭和何年?(西暦和暦年齢)
1950年 昭和
昭和25年生まれは今年で何歳
昭和35年 歳
2.1950年代のヒット曲・歌謡曲
1950年代 懐メロ 邦楽
洋楽 ラテン音楽
1960年代 懐メロ 邦楽 洋楽 ラテン音楽
1970年代 懐メロ 邦楽 洋楽 ラテン音楽
1980年代 懐メロ 邦楽 洋楽 ラテン音楽
1990年代 懐メロ 邦楽 洋楽 ラテン音楽
2000年代 懐メロ 邦楽 洋楽 ラテン音楽
3.1950年代のおもなできごと
1950年代の出来事
1950年代 日本 生活
1950年 事件

1950年代は昭和何年?

1950年代って昭和何年頃?
1950年(昭和25年)から1959年(昭和35年)まで

1950年代 西暦 和暦

1950年 昭和25年
1951年 昭和26年
1952年 昭和27年
1953年 昭和28年
1954年 昭和29年
1955年 昭和30年
1956年 昭和31年
1957年 昭和32年
1958年 昭和33年
1959年 昭和34年

1950年代生まれは今年で何歳?

1950年年代(昭和25年から昭和35年)生まれは今年で何歳?

■令和元年(2019年)時点

1959年 昭和34年 60歳
1958年 昭和33年 61歳
1957年 昭和32年 62歳
1956年 昭和31年 63歳
1955年 昭和30年 64歳
1954年 昭和29年 65歳
1953年 昭和28年 66歳
1952年 昭和27年 67歳
1951年 昭和26年 68歳
1950年 昭和25年 69歳

(例)昭和25年生まれは今年で何歳か
1950年(昭和25年)生まれの方 69歳(2019年令和元年時点)

1950年代 昭和25年~昭和34年 懐メロ

とらナイヅ 寅
とらナイヅ 寅

1950年代の邦楽懐メロって昭和何年頃?

おおむね年代別のまとめでは西暦か和暦のいずれかのまとめが一般的。

例えば、昭和20年や昭和30年代など和暦の年代でまとめた邦楽の歌謡曲やヒット曲などは音楽CDや本でもよくみかけます。
また40sや50sなどの西暦の年代でまとめた洋楽のオールディーズ。さらに最近は邦楽でも90年代のJPOPや80年代の昭和歌謡など平成や昭和でもわりと最近のものは日本でも西暦の年代が普通かもしれません。

でも個人的に西暦と和暦の換算でよく迷うことがあります。
また洋楽と邦楽の年代比較なども面白いかも。

そんなことで邦楽の懐メロを西暦でまとめておきたくなりました。

そこで、ここでは西暦の1950年代と和暦の昭和25年から昭和35年までという年代で邦楽の懐メロやおもなヒット曲などをまとめておきたいと思います。

西暦と和暦が混在してややおみぐるしいこともあるやもしれませんがご笑覧いただけば幸いです。

1950年代(昭和25年~昭和35年)邦楽懐メロ

邦楽懐メロ 昭和歌謡 ヒット曲

1950年代 懐メロ(各年のヒット曲など)

1950年代 出来事(各年のおもなできごとなど)

1950年 昭和25年 懐メロ ヒット曲

1950年 昭和25年

1950年 昭和25年 ヒット曲 懐メロ

1950年の歌謡曲・ヒット曲

リオのポポ売り 暁テル子 Jan-50
夜来香 山口淑子(李香蘭) Jan-50
白い船のいる港 平野愛子 Jan-50
思い出のボレロ 高峰三枝子 Feb-50
水色のワルツ 二葉あき子 Feb-50
星影の小径 小畑実 Apr-50
山のかなたに 藤山一郎 May-50
ボタンとリボン  池真理子 May-50
買い物ブギー 笠置シズ子 Jun-50
憧れの住む町 菅原都々子 Jun-50
赤い靴のタンゴ 奈良光枝 Jun-50
1950年7月 東京キッド 美空ひばり 195007
1950年7月 桑港のチャイナタウン  渡辺はま子 195007
ベサメ・ムーチョ 黒木曜子 Jul-50
ダンスパーティーの夜 林伊佐緒 Oct-50
1950年11月 白い花の咲くころ 岡本敦郎 195011
越後獅子の唄 美空ひばり Dec-50
ビギン・ザ・ビギン 越路吹雪 Dec-50


とらナイヅ 寅
とらナイヅ 寅

1950年代のできごとって?たとえば何?

寅山
寅山

機会があれば1950年代のできごとなどもふれたいと思います。


※以下別稿に移動予定

1950年の出来事

1950年:ビニール・レインコート。ブレザージャケット。ネッカチーフ、チラリズム。

喫茶店の復活

1950年(昭和25年)コーヒー豆の輸入が再開。一般にコーヒーが再び広まる。
(日本のコーヒーの歴史は古く18世紀の江戸時代に長崎の出島にオランダ人によってもちこまれたとされる。江戸時代は鎖国であまり広まらなかったが幕末から明治にかけて徐々に広まった。
1858年(幕末期)コーヒー豆の輸入が開始。当初は蝦夷地の防寒のため。
1864年(開国後)横浜の外国人居留地で西洋人を対象としたコーヒー・ハウスが開店
1868年(明治元年)1868年(明治元年)にコーヒー豆が正式に輸入開始。
1969年コーヒー販売。初のコーヒー広告など。以降富裕層を中心に一部で広まり始める。
1900年代以降明治末期から大正初期にかけて一般にコーヒーが広まる。

ジャズ喫茶
戦前
厳密にはジャズ喫茶とは呼べないものの、浅草の「パウリスタ」でダンスレコードをかけていたり、大阪には井田一郎らが生演奏する喫茶店もあった。
1929年(昭和4年)本郷赤門前「ブラックバード」開店
1933年(昭和8年)「ちぐさ」が開店
1950年代後半 – 日本でジャズ喫茶(JAZZ喫茶)、歌声喫茶、名曲喫茶などが流行。

ジャズ喫茶1950年代は輸入盤のジャズのLPは高価だったためコーヒー一杯で本場のジャズのレコードを聴け、リクエストも受け付けてくれるジャズ喫茶はジャズファンやミュージシャンの溜まり場ともなっていた。
当時ジャズ喫茶では家庭ではなかなか揃えることのできない、高価なオーディオシステムを装備し、何千何万枚もの所蔵レコードがある店もあった。

(参考)ウィキペディア(出典元『jazzLife』(2010年7月号)大木俊之助 。吉田衛・著「横浜ジャズ物語 -『ちぐさ』の50年」(神奈川新聞社・刊 1985年)など)

ちなみにかのナベサダさんも50年代はすでに1951年に進駐軍で演奏1953年には秋吉敏子カルテットに参加するなど職業演奏家つまりプロのミュージシャンとして活躍されていたが、それでもレコードが高くて買えなかったそうです。当時のナベサダさん達の典型的な一日は夜の演奏前にジャズ喫茶に集い、演奏後にまたジャズ喫茶でミーティングというほど、ジャズ喫茶はミュージシャンにとっても欠かせない場所だったそうです。(参考)『My Dear Life』『我が人生~マイ・ディア・ライフ』他)


1951年 昭和26年 懐メロ ヒット曲

1951年 昭和26年

1951年の歌謡曲・ヒット曲

1951年:第1回NHK紅白歌合戦(ラジオ)。LPレコード。ソフトクリーム販売。

1951年:第1回NHK紅白歌合戦(ラジオ)

会場/東京放送会館第1スタジオ 放送/後8:00〜9:00 出場組数/紅7/白7

紅組
赤坂 小梅 三池炭坑節
暁 テル子 リオのポポ売り
菊池 章子 母紅梅の唄
菅原 都々子 憧れの住む町
二葉 あき子 星のためいき
松島 詩子 上海の花売娘
渡辺 はま子 桑港のチャイナタウン

白組
近江 俊郎 湯の町エレジー
楠木 繁夫 紅燃ゆる地平線
東海林 太郎 赤城かりがね または 国境の町
鈴木 正夫 常磐炭坑節
鶴田 六郎 港の恋唄
林 伊佐緒 銀座夜曲
藤山 一郎 長崎の鐘

記念すべき第一回<紅白歌合戦>。“国民的人気番組”誕生。
1月3日、正月のラジオ番組としてスタート。番組は何がとび出すか分からない「Xアワー」で、出場歌手・趣向などは一切発表されなかった。初優勝の栄冠は白組に輝き、リーダー藤山一郎を中心に「エイ・エイ・オー」の勝ちどきがわき起こった。

https://www.nhk.or.jp/kouhaku/history/history.html?count=1

(出典)NHK紅白歌合戦ヒストリー、第1回より抜粋※ここではヒット曲の一例として参照させて頂いてます。各年の紅白の勝敗や出場回数、司会のアナウンサーなど詳しくはNHKホームページにてご覧ください。


1951年(昭和26年)の出来事

1月3日 第1回NHK紅白歌合戦放送、以後恒例化。
3月20日 日本で初めてLPレコードが日本コロムビアから発売された日(『LPレコードの日』)
4月1日 – 食糧公団が解体され、主食の配給業務が民営となり、米穀店が復活する。
4月1日 – 東京映画配給・東映映画・大泉映画の3社が合併し「東映」設立。
4月2日 – 五百円紙幣の発行を開始。
4月11日 – マッカーサーが、朝鮮戦争の対応でトルーマン大統領と対立したためGHQ最高司令官を解任
5月17日 – 貞明皇后崩御。
6月1日 – 大阪市営バスで日本初のワンマンカー運行開始。
6月20日 – 愛興電器産業(後のアイワ)設立。
6月21日 – ユネスコ、日本の正式加盟承認。
7月4日 – 第1回日本プロ野球オールスターゲームの第1戦が甲子園球場で開催。第2・3戦は後楽園球場で行われ、セ・リーグの2勝1敗。
7月31日 – 日本航空設立。
9月1日 – 日本初の民間放送ラジオ局、中部日本放送(現・CBCラジオ)と新日本放送(現・毎日放送ラジオ)が開局。
9月2日 – 長寿ラジオ番組『歌のない歌謡曲』が新日本放送で放送開始。
9月8日 – 日本国との平和条約・日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約締結
10月1日 – 花王石鹸が日本初の家庭用合成洗剤「花王粉せんたく」を発売。
10月14日 – ルース台風が鹿児島県枕崎市付近に上陸
10月15日 – シットコムの『アイ・ラブ・ルーシー』がアメリカCBSテレビで放映開始。
10月17日 – セ・リーグ優勝の巨人が第2回日本シリーズ制覇。★
10月26日 – イギリス総選挙で保守党が勝利し、チャーチル保守党政権成立。
10月28日 – プロレスの力道山デビュー。
11月1日 – 朝日麦酒が日本初の果汁飲料「バヤリース」を発売(当時の商品名は「バャリース」)。
11月7日 – 戦後民間初のシンクタンク電力中央研究所が発足。GHQ、吉田茂総理、「電力王」松永安左エ門氏ら。
11月11日 – 朝日放送(現・朝日放送ラジオ)が開局。
12月1日 – ラジオ九州(現在のRKB毎日放送)開局。
12月16日 – 藤子不二雄(藤本弘・安孫子素雄)デビュー作「天使の玉ちゃん」毎日小学生新聞大阪版で連載開始(1952年4月4日終了)。
12月24日 – 京都放送(KBS京都、当時の愛称はラジオ京都)が開局。
12月25日 – ラジオ東京(現在のTBSラジオ)が開局。

★1951年(昭和26年)10月10日-10月17日第2回日本シリーズ(後楽園球場・大阪球場):
初のセ・リーグを制した水原茂監督の読売ジャイアンツと初のパ・リーグを制した山本一人(鶴岡一人)監督率いる南海ホークスとの対決。のち日本シリーズでの「水原巨人」と「山本(鶴岡)南海」の対決は1952年(昭和27年)1953年(昭和28年)1955年(昭和30年)1959年(昭和34年)とつづく。

1952年 昭和27年 懐メロ ヒット曲

1952年 昭和27年

1952年の歌謡曲・ヒット曲

1952年(昭和27年)1月3日『第2回NHK紅白歌合戦』

NHK東京放送会館第1スタジオ。19時30分から21時にNHKで生放送された。

会場/東京放送会館第1スタジオ 放送/後7:30〜9:00 出場組数/紅12/白12

紅組
暁 テル子 東京シューシャイン・ボーイ
池 真理子 恋の街角で
笠置 シヅ子 買物ブギ
久保 幸江 ヤットン節
越路 吹雪 ビギン・ザ・ビギン
三条 町子 東京悲歌
菅原 都々子 江の島悲歌
轟 夕起子 腰抜け二挺拳銃
平野 愛子 虹よいつまでも
二葉 あき子 モロッコから来た女
三原 純子 しのび泣く雨
渡辺 はま子 桑港のチャイナタウン

白組
伊藤 久男 山のけむり
宇都美 清 さすらいの旅路
岡本 敦郎 あこがれの郵便馬車
霧島 昇 赤い椿の港町
鈴木 正夫 豊年踊り
瀬川 伸 上州鴉
竹山 逸郎 愛染橋
津村 謙 上海帰りのリル
鶴田 六郎 航海シャンソン
灰田 勝彦 アルプスの牧場
林 伊佐緒 ダゴタの黄昏
藤山 一郎 オリンピックの歌

越路吹雪がピンチヒッターで登場。ハプニングも人気の要素。
初回の好評を受け、30分拡大の90分番組としてラジオ放送。松島詩子が交通事故にあい、代役として越路吹雪が「ビギン・ザ・ビギン」を歌い上げた。その後番組中に松島の経過連絡が届くなど、ハプニング性が見られた。

(参考)NHK紅白歌合戦ヒストリー、第2回

1952年の出来事
1952年:カブ[本田]販売。流行通信が創刊[日本織物出版社」。国会中継の放送開始。公衆電話が登場。鉄腕アトム連載。
1952年 松下電器産業(現パナソニック)が日本初の民生用テレビを発売。白黒台付

1953年 昭和28年 懐メロ ヒット曲

1953年 昭和28年

1953年 昭和28年 ヒット曲

1953年昭和28年は紅白が2度開催(第3回第4回)

1953年昭和28年1月3日第3回紅白歌合戦

紅組
暁 テル子 東京シューシャイン・ボーイ
荒井 恵子 ポカピカパカ
池 真理子 祇園ブギ
乙羽 信子 初恋椿
笠置 シヅ子 ホームラン・ブギ
菊池 章子 母の瞳
久慈 あさみ ボタンとリボン
月丘 夢路 新雪
奈良 光枝 白樺の宿
平野 愛子 恋ひとたび
二葉 あき子 パダム・パダム
松島 詩子 マロニエの木蔭

白組
伊藤 久男 オロチョンの火祭り
近江 俊郎 湯の町月夜
岡本 敦郎 青春のファンタジア
霧島 昇 月が出た出た
高 英男 ロマンス
竹山 逸郎 心の旅路
津村 謙 東京の椿姫
鶴田 六郎 長崎の精霊祭り
ディック・ミネ キッス・オブ・ファイヤー
灰田 勝彦 野球小僧
林 伊佐緒 ダイナ・ブルース
藤山 一郎 東京ラプソディー

正月番組としての最後の<紅白>。映画女優がこぞって出演。
正月番組としては最後の放送となる。ラジオで紅白の熱戦がより伝わるよう、スポーツ担当の志村正順アナウンサーが実況。また、月丘夢路、乙羽信子、久慈あさみ、暁テル子、奈良光枝など女優陣がこぞって出演した。

(参考)NHK紅白歌合戦ヒストリー、第3回

1953年 昭和28年 12月31日 第4回紅白歌合戦

会場/日劇(日本劇場) 放送/後9:15〜10:45 出場組数/紅17/白17

紅組
赤坂 小梅 おてもやん
淡谷 のり子 アデュー
池 真理子 星降る汀
江利 チエミ ガイ・イズ・ア・ガイ
織井 茂子 君の名は
神楽坂 はん子 こんな私ぢゃなかったに
笠置 シヅ子 東京ブギウギ
菊池 章子 星の流れに
小唄 勝太郎 島の娘
三味線 豊吉 カモン・ナ・マイ・ハウス
三条 町子 東京悲歌
菅原 都々子 佐渡ヶ島悲歌
奈良 光枝 赤い靴のタンゴ
服部 富子 アリラン・ルムバ
二葉 あき子 別れても
松島 詩子 マロニエの並木路
渡辺 はま子 あゝモンテンルパの夜は更けて

白組
伊藤 久男 君いとしき人よ
宇都美 清 さすらいの旅路
笈田 敏夫 ばら色の人生
近江 俊郎 別れの磯千鳥
岡本 敦郎 白い花の咲く頃
小畑 実 ロンドンの街角で
岸井 明 洒落男
鈴木 正夫 花笠音頭
竹山 逸郎 流れの船唄
津村 謙 リルを探してくれないか
鶴田 六郎 港の恋唄
ディック・ミネ 長崎エレジー
灰田 勝彦 東京の屋根の下
浜口 庫之助 国境の南
林 伊佐緒 愛染草
藤山 一郎 丘は花ざかり
真木 不二夫 知らない町に雨がふる

テレビ中継が始まる。
<紅白>は大みそかの番組としてスタート。
テレビの本放開始にともない大みそかの番組としてスタート。女性陣はテレビ放送を意識して華やかな衣装で登場し、この回で初めて紅組が優勝した。男性陣は「テレビは怖い、衣装に負けた」と悔しがったという。

(参考)NHK紅白歌合戦ヒストリー、第4回

1953年の出来事
1953年:テレビ放送スタート。「おこんばんは」トニー谷。オロナイン軟膏。お茶づけ海苔。 NHK紅白歌合戦 。
クリスチャン・ディオール来日。 日本初のスーパーマーケット紀伊国屋開店。1953年:テレビ放送スタート
1953年
1月 – シャープが国産第1号のテレビTV3-14Tを発売[9]。価格は175,000円。
2月1日 – 日本放送協会(‘NHK JOAK-TV)のテレビ放送開始(日本での地上波テレビ放送の開始)。
8月28日 – 日本テレビ、(略称NTV JOAX-TV)テレビ放送開始(民放での初のテレビ放送の開始)。日本初のテレビCMを放送。(テレビ画面が裏返しに映る日本初の放送事故。)
当時の主な番組:大相撲、プロレス、プロ野球などのスポーツ中継や、記録映画など。
テレビ受像機の価格:約20万〜30万円程度(当時白米10kgが680円、銭湯の入浴料が15円程度)
当時はテレビがとても高価で一般人には買えなかった。人々は繁華街や主要駅などに設置された街頭テレビ、喫茶店やそば屋などが客寄せに設置したテレビ、土地の名士など一部の富裕世帯宅などでテレビを視ていた。

1954年 昭和29年 懐メロ ヒット曲

1954年 昭和29年

1954年 昭和29年 ヒット曲

1954年 昭和29年 12月31日 第5回紅白歌合戦

会場/日劇(日本劇場) 放送/後9:15〜10:45 出場組数/紅17/白17

紅組
宮城 まり子 毒消しゃいらんかね
奈良 光枝 白いランプの灯る道
江利 チエミ ウスクダラ
川田 孝子 山の乙女
松田 トシ 村の娘
雪村 いづみ オー・マイ・パパ
菊池 章子 春の舞妓
神楽坂 はん子 見ないで頂戴お月さま
ペギー葉山 月光のチャペル
松島 詩子 スペインの恋唄
長門 美保 松島音頭
淡谷 のり子 枯葉
美空 ひばり ひばりのマドロスさん
二葉 あき子 パダム・パダム
渡辺 はま子 東京の薔薇

白組
岡本 敦郎 高原列車は行く
真木 不二夫 山の呼ぶ声母の声
浜口 庫之助 セントルイス・ブルース・マンボ
河野 ヨシユキ キツツキの赤いトランク
藤山 一郎 ケンタッキーの我が家
高 英男 ロマンス
津村 謙 待ちましょう
春日 八郎 お富さん
笈田 敏夫 愛の泉
近江 俊郎 忘れないよ
藤原 義江 鉾をおさめて
伊藤 久男 数寄屋橋エレジー
小畑 実 長崎の街角で
ディック・ミネ 雨の酒場で
霧島 昇 石狩エレジー

“女王”美空ひばりが初出場。三人娘が顔をそろえる。
この年、大ヒットした「お富さん」で春日八郎が登場。歌姫・美空ひばりも初出場し、雪村いづみ、江利チエミとの“三人娘”が話題を呼んだ。審査員は、この回より著名人と視聴者代表の2本立てという現在の構成になる。

(参考) NHK紅白歌合戦ヒストリー、第5回

1954年 昭和29年できごと
1954年:第1回モーターショー 。サブリナパンツ。ゴジラ公開。

1955年 昭和30年 懐メロ ヒット曲

1955年昭和30年

1955年昭和30年 ヒット曲

1955年昭和30年 12月31日 第6回紅白歌合戦

会場/産経ホール 放送/後9:15〜11:00 出場組数/紅16/白16

紅組
荒井 恵子 希望をのせて馬車は行く
宝 とも子 インディアン・ラブコール
織井 茂子 黒百合の歌
赤坂 小梅 おてもやん
川田 孝子 狩勝の美少年
大谷 冽子 チリビリビン
ペギー葉山 マンボ・イタリアーノ
菊池 章子 岸壁の母
宮城 まり子 ガード下の靴みがき
池 真理子 あなたがくれたオルゴール
小唄 勝太郎 お染
長門 美保 ハバネラ
江利 チエミ 裏町のお転婆娘
奈良 光枝 由起子はいつも
松島 詩子 夕月の丘
二葉 あき子 バラのルムバ

白組
鶴田 六郎 天下の為さん
浜口 庫之助 インディアン・ラブコール
三浦 洸一 落葉しぐれ
鈴木 正夫 相馬盆唄
河野 ヨシユキ 街のヨーデル唄い
柴田 睦陸 ラ・クンパルシータ
笈田 敏夫 恋とは素晴らしいもの
林 伊佐緒 高原の宿
岡本 敦郎 リラの花咲く頃
真木 不二夫 空が晴れたら
東海林 太郎 義経の唄
藤原 義江 女心の歌
芦野 宏 タブー
津村 謙 あなたと共に
ディック・ミネ ダイナ
藤山 一郎 ニコライの鐘

民放の逆襲。危機を“力”に変えた<紅白>スタッフの執念。
民放が同時間に歌番組をスタート。対策として、紅組リーダーに男性である宮田輝アナを起用、さらに応援隊の編成を実施。トニー谷のソロバン片手での応援は大喝采を浴びた。この回から「応援」が大きな位置づけとなる。

(参考) NHK紅白歌合戦ヒストリー、第6回

1955年:高度成長期突入。「三種の神器」電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビジョン。歌声喫茶。

1956年 昭和31年 懐メロ ヒット曲

1956年 昭和31年

1956年 昭和31年 ヒット曲

1956年 昭和31年 12月31日 第7回紅白歌合戦

会場/東京宝塚劇場 放送/後9:05〜11:30 出場組数/紅24/白25

紅組
荒井 恵子 南の花嫁さん
照菊 恋のまよい鳥
松島 詩子 夜のヴァイオリン
赤坂 小梅 三池炭坑節
菅原 都々子 連絡船の唄
生田 恵子 アイ・アイ・バンジョー
宝 とも子 セ・シ・ボン
淡谷 のり子 ルムバ・タムバ
江利 チエミ お転婆キキ
二葉 あき子 忘れじの君いづこ
池 真理子 どうして嫌と云えましょう
ペギー葉山 ケ・セラ・セラ
西村 つた江 横浜(ハマ)の谷間
吉岡 妙子 私の幸福はどこへ
中原 美紗緒 フルフル
小唄 勝太郎 唐人お吉の唄
鈴木 三重子 愛ちゃんはお嫁に
奈良 光枝 白いランプの灯る道
越路 吹雪 哀れなジャン
大津 美子 東京アンナ
コロムビア・ローズ 娘艶歌師
渡辺 はま子 桑港のチャイナタウン
宮城 まり子 屑屋の娘
笠置 シヅ子 ヘイ・ヘイ・ブギ

白組
岡本 敦郎 自転車旅行
瀬川 伸 明星鴉
霧島 昇 恋に朽ちなん
鈴木 正夫 常磐炭坑節
宇都美 清 青い灯赤い灯
林 伊佐緒 草原をゆく男
高 英男 セ・シ・ボン
ディック・ミネ 私の青空
三橋 美智也 哀愁列車
藤山 一郎 あゝ牧場は緑
津村 謙 青春の街
笈田 敏夫 ハイ・ソサエティ・カリプソ
山形 英夫 港の人気者
真木 不二夫 旅路の雨
旗 照夫 恋とは素晴らしいもの
東海林 太郎 赤城の子守唄
若原 一郎 風の吹きよで
近江 俊郎 想い出月夜
芦野 宏 ドミノ
曾根 史郎 若いお巡りさん
小坂 一也 ハート・ブレークホテル
藤島 桓夫 かえりの港
伊藤 久男 キャラバンの太鼓
春日 八郎 別れの一本杉
灰田 勝彦 白銀の山小舎で

出場歌手が一気に50組に。<紅白>第一期黄金時代が到来。
出場歌手が前回の32組から一気に50組に。放送時間も40分延長され、年末の大型番組として定着する。紅組の雪村いづみ急病の知らせが届き、親友の江利チエミが雪村の分と合わせて紅いバラを2つ胸に飾って舞台に立った。

(参考) NHK紅白歌合戦ヒストリー、第7回

1956年:シンタロー刈り。太陽の季節(石原裕次郎・日活)。ケ・セラ・セラ。

1957年 昭和32年 懐メロ ヒット曲

1957年昭和32年

1957年 昭和32年 ヒット曲

1957年 昭和32年 12月31日 第8回紅白歌合戦

会場/東京宝塚劇場 放送/後9:05〜11:30 出場組数/紅25/白25

紅組
楠 トシエ お花どん
久慈 あさみ デッカメン・ソロ
松山 恵子 未練の波止場
藤沢 嵐子 さらば草原よ
暁 テル子 やさしい婦警さん
淡谷 のり子 雨の東京
朝丘 雪路 星はながれる
江利 チエミ ヤムミー・ヤムミー
菊池 章子 私はそよ風
大津 美子 東京は恋人
池 真理子 黒と白のニンバ
二葉 あき子 夜霧降る空の港
鈴木 三重子 坊や船頭さん
奈良 光枝 白樺の宿
浜村 美智子 監獄ロック
松島 詩子 星座仰いで
中原 美紗緒 ジェルソミーナ
渡辺 はま子 夜来香
コロムビア・ローズ どうせ拾った恋だもの
雪村 いづみ ビー・バップ・ア・ルーラ
ペギー葉山 シャンテ・シャンテ
島倉 千代子 逢いたいなァあの人に
越路 吹雪 愛の涙
宮城 まり子 納豆うりの唄
美空 ひばり 長崎の蝶々さん

白組
曾根 史郎 看板娘の花子さん
若山 彰 喜びも悲しみも幾歳月
三船 浩 男のブルース
笈田 敏夫 アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド
白根 一男 面影いずこ
伊藤 久男 宵待草の唄
若原 一郎 丘にのぼりて
芦野 宏 メケ・メケ
小畑 実 高原の駅よさようなら
フランク永井 東京午前三時
三浦 洸一 あゝダムの町
林 伊佐緒 そっとこのまゝ
青木 光一 二代目船長さん
津村 謙 流転わらべ唄
小坂 一也 青春サイクリング
近江 俊郎 坊ちゃん青空を行く
高 英男 ブン
藤山 一郎 ブンガワン・ソロ
藤島 桓夫 お月さん今晩わ
ジェームス繁田 魅惑のワルツ
旗 照夫 80日間世界一周
春日 八郎 母の便り
灰田 勝彦 野球小僧
高田 浩吉 うかれ駕籠
三橋 美智也 りんご花咲く故郷へ

笠置シヅ子から美空ひばりへ。新旧交代の大みそか。
小畑実がこのステージで引退。前年の紅組トリを務めた笠置シヅ子も姿を消し、出場2回目の美空ひばりがトリとなった。また、「有楽町で逢いましょう」のフランク永井、島倉千代子など歴代の大スターが登場。新旧交代が目立った。

(参考) NHK紅白歌合戦ヒストリー、第8回

1957年 昭和32年:ホッピング(玩具) 。犯罪専用電話「110番」が全国に拡大。

1958年 昭和33年 懐メロ ヒット曲

1958年昭和33年

1958年 昭和33年 ヒット曲

昭和33年1958年 懐メロ 邦楽 演歌 歌謡曲 ポップス
昭和33年(1958年)日本の大衆音楽懐メロ・ヒット曲を中心に昭和歌謡(演歌・歌謡曲)やポップス(洋楽カバー)などから年代・歌手・アーチスト別に掲載(50音順あ~ん)。1958年の出来事や年齢なども。懐メロは英語で?懐メロ:a golden

1958年昭和33年 12月31日 第9回紅白歌合戦

会場/新宿コマ劇場 放送/後9:10〜11:35 出場組数/紅25/白25

紅組
荒井 恵子 橇は飛ぶよ
松山 恵子 だから言ったじゃないの
松島 詩子 喫茶室の片隅で
雪村 いづみ ヤキティ・ヤック
築地 容子 青い月夜のランデブー
藤本 二三代 夢みる乙女
織井 茂子 夜が笑っている
江利 チエミ さのさ節
神楽坂 浮子 三味線フラ
越路 吹雪 マ・プティット・フォーリー
大津 美子 銀座の蝶
二葉 あき子 夜のプラットホーム
藤沢 嵐子 ママ恋人が欲しいの
渡辺 はま子 長崎のお蝶さん
中原 美紗緒 河は呼んでる
奈良 光枝 晴着のかげに
石井 好子 ゴンドリエ
コロムビア・ローズ プリンセス・ワルツ
ペギー葉山 年頃ですもの
楠 トシエ 銀座かっぽれ
淡谷 のり子 ばら色の人生
水谷 良重・東郷 たまみ・沢 たまき アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド
島倉 千代子 からたち日記
宮城 まり子 ジャワの焼鳥売り
美空 ひばり 白いランチで十四ノット

白組
岡本 敦郎 若人スキーヤー
曾根 史郎 初めての出航
霧島 昇 白虎隊
小坂 一也 心にしみるブルース
三船 浩 夜霧の滑走路
神戸 一郎 銀座九丁目水の上
津村 謙 霧雨のけむる道
フランキー堺 男はよわい
三波 春夫 雪の渡り鳥
フランク永井 西銀座駅前
若山 彰 氷海越えて
林 伊佐緒 そっとこのまゝ
ジェームス繁田 ヴォラーレ
伊藤 久男 イヨマンテの夜
旗 照夫 碧い空
三浦 洸一 街燈
芦野 宏 風船売り
藤島 桓夫 凧タコあがれ
笈田 敏夫 オール・ザ・ウェイ
若原 一郎 おーい中村君
ディック・ミネ 私の青空
ダーク・ダックス ともしび
春日 八郎 別れの燈台
高田 浩吉 勇み肌千両男
三橋 美智也 おさらば東京

“神風タレント”横行し、大混乱の新宿コマ劇場。
紅白の裏番組で生中継が急増。掛け持ちの売れっ子タレントは会場から会場へと“神風タクシー”のように移動するため“神風タレント”と呼ばれた。その一人、初出場のフランキー堺は白バイ先導で劇場に駆けつけた。

(参考) NHK紅白歌合戦ヒストリー、第9回

1958年 昭和33年:東京タワー完成。即席チキンラーメン。缶コーヒー発売。日本初のバイキングレストラン。月光仮面が放送。「イカす」。1958年12月23日東京タワー完成
愛称「東京タワー」正式名称は日本電波塔(にっぽんでんぱとう)
当時は世界で最も高い電波塔だった。
日本・東京タワー333m(エッフェル塔より21m高い)
フランス・パリエッフェル塔312m

高さ333mのタワーが昭和33年に開業したのは、偶然の一致

https://www.tokyotower.co.jp/towerpedia/index.html

チキンラーメン
チキンラーメン日清食品創業者の安藤百福が開発。
1958年に誕生した初代チキンラーメンは85グラム入り35円で販売。

1959年 昭和34年 懐メロ ヒット曲

1959年昭和34年

1959年昭和34年 ヒット曲

昭和34年 1959年 ヒット曲 懐メロ 邦楽 演歌 歌謡曲 ポップス
1959年昭和34年生まれ年齢・1959年昭和34年生まれ年齢60歳(2019年令和元年時点)昭和34年(1959年)の邦楽ヒット曲・懐メロをご紹介。懐かしのヒット曲や懐メロの名曲を昭和歌謡(演歌・歌謡曲)やポップス(洋楽カバー)など時代の

1959年昭和34年 12月31日 第10回紅白歌合戦

会場/東京宝塚劇場 放送/後9:05〜11:35 出場組数/紅25/白25

紅組
荒井 恵子 白菊の歌
雪村 いづみ スワニー
藤本 二三代 好きな人
朝丘 雪路 シング・シング・シング
織井 茂子 モヨロ哀歌
松島 詩子 スペインの恋唄
ザ・ピーナッツ 情熱の花
松山 恵子 思い出なんて消えっちゃえ
島崎 雪子 バンビーノ
二葉 あき子 夜汽車の女
水谷 良重 キサス・キサス・キサス
ペギー葉山 南国土佐を後にして
島倉 千代子 おもいで日記
江利 チエミ 八木節
中原 美紗緒 ある恋の物語
大津 美子 空へ帰る人
藤沢 嵐子 ベサメ・ムーチョ
奈良 光枝 山鳩の啼く駅
淡谷 のり子 雨のブルース
宝 とも子 シュリト・リンド
有明 ユリ シュリト・リンド
藤崎 世津子 シュリト・リンド
コロムビア・ローズ ロマンス・ガイド
石井 好子 小さな花
越路 吹雪 パリ・カナイユ
楠 トシエ 石松金毘羅道中
美空 ひばり 御存知弁天小僧

白組
曾根 史郎 僕の東京地図
旗 照夫 マック・ザ・ナイフ
若山 彰 惜春鳥
武井 義明 国境の南
若原 一郎 アイヨ何だい三郎君
伊藤 久男 サロマ湖の歌
和田弘とマヒナスターズ 夜霧のエアー・ターミナル
青木 光一 出港前夜
山田 真二 娘が口笛吹く時は
林伊佐緒 恋の幌馬車
水原 弘 黒い花びら
フランク永井 俺は淋しいんだ
三橋 美智也 古城
フランキー堺 もぐら祭り
芦野 宏 チャオチャオ・バンビーナ
神戸 一郎 青春遊覧飛行
笈田 敏夫 プリテンド
三浦 洸一 踊子
灰田 勝彦 僕は野球の選手
ダーク・ダックス 雪山讃歌
藤島 桓夫 村の駐在所
高 英男 ギターとタンブリン
森繁 久彌 カチューシャ
三波 春夫 沓掛時次郎
春日 八郎 東京の蟻

2大ヒット曲『黒い花びら』と『南国土佐を後にして』が激突!
記念すべき第10回。この年から始まった「日本レコード大賞」の大賞受賞曲「黒い花びら」で水原弘が初出場。ペギー葉山の「南国土佐を後にして」とともに会場を沸かせた。中村メイコと高橋圭三アナの司会ぶりも人気を呼んだ。

(参考) NHK紅白歌合戦ヒストリー、第10回

1959年:カミナリ族。タフガイ。トランジスタ・グラマー。第1回日本レコード大賞開催。週刊少年サンデーと週刊少年マガジン創刊。1959年(昭和34年)東京タワーからのテレビ放送
1月10日 – NHK教育テレビジョン(現・NHKEテレ)がVHF1chで放送開始
2月1日 – 日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)がVHF10chで本放送開始。
3月1日 – フジテレビジョンがVHF8chで本放送開始。
4月にNHK総合テレビジョンがNHK教育テレビと入れ替わる。

あとがき

備考

1950年代の2大テレビタレント 黒柳徹子さんと中村メイコさん

1956年黒柳徹子さん

黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ)さん。テレビ放送の開始を翌月に控えた1953年(昭和28年)1月にテレビ女優第一号の一人としてNHK放送劇団の一員となる。NHK放送劇団の五期生で同期には友部光子、里見京子、横山道代、幸田弘子ら。当初はラジオやテレビの通行人として出演しつつ、テレビの現場を学ぶ[6]。NHK放送劇団、文学座研究所を経てテレビ女優の第一号としてデビュー。日本でのテレビ誕生と同時に生まれたテレビタレントの先駆けとして、長年に亘り第一線で活躍。

1957年中村メイコさん

中村メイコ(なかむらめいこ)さん。2歳の時にP.C.L映画製作所(現・東宝)制作の『江戸っ子健ちゃん』に出演し、映画デビューする。その後、映画やラジオに多数出演、複数の配役をこなし、浪曲師2代目天中軒雲月ばりの7つの声として[1]有名となった。天才子役としてデビューして以来、榎本健一や古川ロッパ、徳川夢声、柳家金語楼、森繁久彌らと共演。NHKにはテレビ本放送開始以前のラジオ時代から出演。テレビ放送においては、1940年開催が予定されていた東京オリンピックに先立つ実験放送の頃から出演(当時6才)。黒柳徹子と並んで日本のテレビ放送黎明期を語る上で欠かせない存在となっている。1955年(昭和30年)歌手としても活動。『NHK紅白歌合戦』で1959年の第10回から1961年の第12回まで3年連続で紅組司会を務めた。


(参考)ウィキペディア、年代流行、NHK、国会図書館ほか

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