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1914年流行歌(大正3年邦楽)

1910年代音楽
1910年代音楽

1914年(大正3年邦楽) 流行歌、新民謡、唱歌など。
(流行歌)
1914年3月発表(5月発売、6月出版)「カチューシャの唄」松井須磨子♪(作詞:島村抱月・相馬御風、作曲:中山晋平) 

※「カチューシャの唄」は、同年(大正3年)3月帝国劇場で劇団芸術座第3回公演『復活』劇中歌として主演女優の松井須磨子が歌唱。1914年5月発売「復活唱歌(カチューシャの唄)」松井須磨子(オリエント・レコード)。1914年6月1日出版『新小唄第1編「カチューシャの唄」』(作詞・解説:島村抱月、作曲・解説:中山晋平、装丁:竹久夢二)敬文堂書店(帝国堂印刷)。その後、街頭演歌師らによる歌本など。(私見だがいわば大正初期としては稀にみるメディアミックス等が噛み合ったことが重なり一大流行歌となった、と思われる。1914年9月13日付『読売新聞』によれば1914年9月段階で楽譜は7万8000部売れ『鉄道唱歌』以来の売れ行きり、赤本や歌本も含めると総発行部数は14〜5万部。またレコードは当時まだ庶民には高価で数千枚なら好調とされたが約2万枚を売り上げたとする説もあるとのこと。)

1914年発表「どこまでも節」後藤紫雲
1914年発表「マックロ(ケ)節」添田唖蝉坊
1914年発表「まっくろけのけ節」
1914年発表「新おいとこ節」添田唖蝉坊
1914年発表「人形の歌」添田唖蝉坊(作詞:添田唖蝉坊、作曲:池田文茶庵)
1914年発表「新都節」添田唖蝉坊(作詞:添田唖蝉坊、作曲:武石夢村)
1914年発表「面白節」神長瞭月
1914年発表「お前とならば」添田唖蝉坊(作詞:添田唖蝉坊、作曲:後藤紫雲)
1914年発表「ティパレリーの歌」(作詞:ジャッジ、作曲:ウィリアムス) 
1914年発表「青島節」

(唱歌)
1914年(大正3年)6月出版『尋常小学唱歌 第六学年用』 文部省 
1914年6月発表「明治天皇御製」唱歌
1914年6月発表「兒島高徳」唱歌
1914年6月発表「おぼろ月夜」唱歌
1914年6月発表「故郷」唱歌
1914年6月発表「蓮池」唱歌
1914年6月発表「燈臺」唱歌
1914年6月発表「秋」唱歌
1914年6月発表「開校記念日」唱歌
1914年6月発表「四季の雨」唱歌
1914年6月発表「新年」唱歌
1914年6月発表「夜の梅」唱歌
1914年6月発表「天照大神」唱歌
1914年6月発表「卒業の歌」唱歌
(軍歌) 
1914年6月発表「日本海海戰」 芦田恵之助/田村虎蔵 
(歌曲)
「ジョスランの子守歌」 近藤朔風/ゴダール 

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1914年(大正3年)デビュー歌手

1914年5月歌手デビュー※「カチューシャの唄」松井須磨子(♪)(作詞:島村抱月・相馬御風、作曲:中山晋平)※ここでは流行歌手のデビュー時期としてレコード発売をデビュー時期としている(とくに断りのない限り以下同じ)。 

備考

1914年(大正3年)「流行歌」の誕生(唱歌調はやりうた)

1914年 大正3年 唱歌+はやりうた= 「流行歌」の誕生
大正3年(1914年)発表「カチューシャの唄」松井須磨子(作詞:島村抱月・相馬御風、作曲:中山晋平)が大流行。それ以後、唱歌調の歌曲ははやりうたの言い換えとして「流行歌」と呼ばれるようになった、とする説もある。

明治?年~1914年 大正3年「俗謡(ぞくよう)」と「はやりうた」
江戸時代 清元、長唄など
明治時代~大正時代 「俗謡」(とくに流行したものは「はやりうた」)
俗謡
民間にはやる通俗的なうたいもの。多くは、小唄(こうた)・民謡など
俗謡(ぞくよう)とは、広義には、民謡、流行歌、俗曲などといった通俗的な歌の総称である。
狭義には、民謡が本来あった地域を離れて都市部に流入し、様々に手を加えられることによって、都会風、または大衆音楽(ポピュラー音楽)風に変質したものをいう。専門的歌い手(職業歌手のほか、日本では芸者など)によって技巧化されたり、楽器の伴奏が加えられたり、歌詞が変更されたりする。
はやりうた


1914年
(大正3年)
3月
6月
10月
作曲家としてのデビュー曲となる、「復活」の劇中
歌「カチューシャの唄」を作曲する。
「カチューシャの唄」の楽譜を早稲田の敬文堂書
店から出版。 表紙画は竹久夢二に依頼。
島村家を出て、巣鴨の宮仲町2241番地(現・豊
島区)の借家に移る。郷里から母を呼び寄せる。
芸術座第3回公演トルストイ作
「復活」好評、関西でも成功し、
劇中歌が流行する。
第一次世界大戦勃発。
27歳

1914年(大正3年)7月28日第1次世界大戦勃発~1918年(大正7年)11月11日まで

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