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1951年ヒット曲(昭和26年)邦楽

1950年代音楽

1951年ヒット曲(昭和26年)邦楽★白木秀雄★桑港のチャイナ街 渡辺 はま子

1951年 邦楽シングル
津村謙「上海帰りのリル」「東京の椿姫」
安藤まり子「カチューシャ」
久慈あさみ「黄色いリボン」
美空ひばり「私は街の子」「ひばりの花売娘」「あの丘を越えて」
淡谷のり子「白樺の小径」
藤山一郎「西鉄ライオンズの歌」「ニコライの鐘」
三木鶏郎、丹下キヨ子、森繁久彌「僕は特急の機関士で」
菅原都々子「連絡船の唄」「江の島悲歌」「憧れは馬車に乗って」
暁テル子「ミネソタの卵売り」「東京シューシャインボーイ」
灰田勝彦「アルプスの牧場」「野球小僧」「ボクはアマチュアカメラマン」「水色のスーツケース」
小畑実「高原の駅よさようなら」「山の端に月の出るとき」
三條町子「東京悲歌」
久保幸江「ヤットン節」
久保幸江、加藤雅夫「トンコ節」
岡本敦郎「あこがれの郵便馬車」「リラの花咲く頃」
高峰三枝子「牧場の花嫁さん」「情熱のルンバ」
岡晴夫「船は港にいつ帰る」
二葉あき子「えり子の唄」「巴里の夜」
瀬川伸「上州鴉」
柴田つる子「港に灯のともるとき」
童謡「めだかの学校」

主な音楽賞[編集] 賞 第6回芸術祭賞 第1回サンレモ音楽祭 デビュー[編集]

1951年(昭和26年)9月1日、民間ラジオ放送が開始。

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1951年 昭和26年 懐メロ ヒット曲

1951年 昭和26年

1951年の歌謡曲・ヒット曲

1951年:第1回NHK紅白歌合戦(ラジオ)。LPレコード。ソフトクリーム販売。

1951年:第1回NHK紅白歌合戦(ラジオ)

会場/東京放送会館第1スタジオ 放送/後8:00〜9:00 出場組数/紅7/白7

紅組
赤坂 小梅 三池炭坑節
暁 テル子 リオのポポ売り
菊池 章子 母紅梅の唄
菅原 都々子 憧れの住む町
二葉 あき子 星のためいき
松島 詩子 上海の花売娘
渡辺 はま子 桑港のチャイナタウン

白組
近江 俊郎 湯の町エレジー
楠木 繁夫 紅燃ゆる地平線
東海林 太郎 赤城かりがね または 国境の町
鈴木 正夫 常磐炭坑節
鶴田 六郎 港の恋唄
林 伊佐緒 銀座夜曲
藤山 一郎 長崎の鐘

記念すべき第一回<紅白歌合戦>。“国民的人気番組”誕生。
1月3日、正月のラジオ番組としてスタート。番組は何がとび出すか分からない「Xアワー」で、出場歌手・趣向などは一切発表されなかった。初優勝の栄冠は白組に輝き、リーダー藤山一郎を中心に「エイ・エイ・オー」の勝ちどきがわき起こった。

https://www.nhk.or.jp/kouhaku/history/history.html?count=1

(出典)NHK紅白歌合戦ヒストリー、第1回より抜粋※ここではヒット曲の一例として参照させて頂いてます。各年の紅白の勝敗や出場回数、司会のアナウンサーなど詳しくはNHKホームページにてご覧ください。


1951年(昭和26年)の出来事

1月3日 第1回NHK紅白歌合戦放送、以後恒例化。
3月20日 日本で初めてLPレコードが日本コロムビアから発売された日(『LPレコードの日』)
4月1日 – 食糧公団が解体され、主食の配給業務が民営となり、米穀店が復活する。
4月1日 – 東京映画配給・東映映画・大泉映画の3社が合併し「東映」設立。
4月2日 – 五百円紙幣の発行を開始。
4月11日 – マッカーサー。朝鮮戦争の対応でトルーマン大統領と対立したためGHQ最高司令官を解任
5月17日 – 貞明皇后崩御。
6月1日 – 大阪市営バスで日本初のワンマンカー運行開始。
6月20日 – 愛興電器産業(後のアイワ)設立。
6月21日 – ユネスコ、日本の正式加盟承認。
7月4日 – 第1回日本プロ野球オールスターゲームの第1戦が甲子園球場で開催。第2・3戦は後楽園球場で行われ、セ・リーグの2勝1敗。
7月31日 – 日本航空設立。
9月1日 – 日本初の民間放送ラジオ局、中部日本放送(現・CBCラジオ)と新日本放送(現・毎日放送ラジオ)が開局。
9月2日 – 長寿ラジオ番組『歌のない歌謡曲』が新日本放送で放送開始。
9月8日 – 日本国との平和条約・日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約締結
10月1日 – 花王石鹸が日本初の家庭用合成洗剤「花王粉せんたく」を発売。
10月14日 – ルース台風が鹿児島県枕崎市付近に上陸
10月15日 – シットコムの『アイ・ラブ・ルーシー』がアメリカCBSテレビで放映開始。
10月17日 – セ・リーグ優勝の巨人が第2回日本シリーズ制覇。★
10月26日 – イギリス総選挙で保守党が勝利し、チャーチル保守党政権成立。
10月28日 – プロレスの力道山デビュー。
11月1日 – 朝日麦酒が日本初の果汁飲料「バヤリース」を発売(当時の商品名は「バャリース」)。
11月7日 – 戦後民間初のシンクタンク電力中央研究所が発足。GHQ、吉田茂総理、「電力王」松永安左エ門氏ら。
11月11日 – 朝日放送(現・朝日放送ラジオ)が開局。
12月1日 – ラジオ九州(現在のRKB毎日放送)開局。
12月16日 – 藤子不二雄(藤本弘・安孫子素雄)デビュー作「天使の玉ちゃん」毎日小学生新聞大阪版で連載開始(1952年4月4日終了)。
12月24日 – 京都放送(KBS京都、当時の愛称はラジオ京都)が開局。
12月25日 – ラジオ東京(現在のTBSラジオ)が開局。

★1951年(昭和26年)10月10日-10月17日第2回日本シリーズ(後楽園球場・大阪球場):
初のセ・リーグを制した水原茂監督の読売ジャイアンツと初のパ・リーグを制した山本一人(鶴岡一人)監督率いる南海ホークスとの対決。のち日本シリーズでの「水原巨人」と「山本(鶴岡)南海」の対決は1952年(昭和27年)1953年(昭和28年)1955年(昭和30年)1959年(昭和34年)とつづく。

日本初の民間ラジオ放送局

1951年7月8日 新日本放送が日本初のラジオ放送試験電波発射。

1951年9月1日午前6時30分、中部日本放送(CBC)がラジオ放送を開始。日本初の民放ラジオ放送。
1951年9月1日正午

1951年9月1日、大阪市北区角田町の阪急百貨店うめだ本店屋上に建てられたスタジオから中波放送を開始[注釈 2]。同じ日の朝6時30分に開局した名古屋市の中部日本放送(現・CBCラジオ)に続いて正午に放送を開始した。第一声は、坂本登志子アナウンサーの「JOOR、みなさまの新日本放送でございます。」であった。
開局当初は、『うっかりテスト』、『知らぬが佛(ほとけ)』、『バイバイ・ゲーム』、『おたのしみヒント』といった、一般参加のバラエティ番組が中心の編成だった。

(5時間半の差)

1951年 昭和26年 9月1日 民放ラジオ放送初のCMソング

「ボクはアマチュア・カメラマン」灰田勝彦(作詞: 三木鶏郎、作曲:三木鶏郎、演奏:コロムビアオーケストラ)

1951年昭和26年9月1日 民放ラジオ初のコマーシャルソング「僕はアマチュアカメラマン」放送。CBC中部日本放送、NJB新日本放送で流れた。
1951年昭和26年9月7日 以降 「僕はアマチュアカメラマン」は、ラジオ番組『冗談ウエスタン』(企画制作 三木鶏郎、脚本 三木鮎郎ら)で毎週放送。

※日本初のコマーシャルソングは諸説あり。ラジオ放送以前をふくめると江戸時代までさかのぼる。
1769年 平賀源内作詞作曲 歯磨き粉『漱石膏』の宣伝曲
明治時代の『オイチニの薬屋さん』
1901年頃 岩谷松平(「東雲節」替え歌「天狗煙草当世流行節」)、村井吉兵衛(さのさ節」替え歌)煙草CMソング
1929年(1927年説も)狐ヶ崎遊園地(のち狐ヶ崎ヤングランド)のためのPRソング『ちゃっきり節』
1934年の明治キャラメルの宣伝曲『僕は天下の人気者』(歌:古川緑波)
1950年8月発売の歌詞にハリスチューインガムが登場する『チューインガムは恋の味』(歌:暁テル子)
など

ジャズドラム 白木秀雄 1951年 – 1969年

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