笠置シズ子さん以外にも米国エンタメ業界の知る人ぞ知る超大物が?
3 March 1949 Tokyo, Billy Rose
さて、実はこのBBC映像(筆者推定日付1949年3月7日付)”BBC News Reel”(March 3 1949*supporsed by this article auther”は邦楽以外でも、とくに米国のエンタメ関連ではちょっとした話題を提供するかもしれない。
それは、米国では知らぬ人はいない米国エンタメ業界の超大物だったビリー・ローズ(Billy Rose)夫妻の貴重な訪日時の記録映像のため。
ビリーローズ氏は、日本では知る人ぞ知るながら、米国エンタメ業界で、戦前から作詞家、番組司会者、その他数々の大きなエンタメ業界の興行などで大活躍された人物。(筆者の思いつきだが、例えれば、戦前でいえば、作詞家のサロウハチロー先生と昭和初期の玉音放送でも有名だが大相撲などでもお茶の間に親しまれた和田信賢アナウンサーなど。もうすこし若い方だと、戦中派の宮田輝さんや高橋圭三さんなど昭和初期のNHKアナウンサーでも報道のみならず芸能番組でも人気を博した名司会者の方々。)(参考リンク)🔗NHKアーカイブス:特集5「証言・玉音放送を伝えた和田信賢アナウンサー」
もちろん洋楽がお好きな方なら、ジャズスタンダードでシナトラなどがカバーして大ヒットした「ペイパームーン」の原曲の作詞家といえばピンとくるだろう。
1933 年のハロルド・アーレン=イップ・ハーバーグ=ビリー・ローズのスタンダード曲人気録音。
1933年ブロードウェイ演劇「グレート・マグー」と映画「テイク・ア・チャンス」の両方に登場。(Popular recording of the 1933 Harold Arlen-Yip Harburg-Billy Rose standard which appeared that year in both the Broadway play “The Great Magoo” and the movie “Take A Chance.”)
1933年9月11日ニューヨーク録音「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」ポール・ホワイトマン&彼のオーケストラ(Paul Whiteman & his Orchestra)、ボーカル:ペギー・ヒーリー(Peggy Healy)
【作詞:イップ・ハーバーグ(Yip Harburg)ビリー・ローズ(Billy Rose)、作曲:アーレン(Harold Arlen) 】
(It’s Only A Paper Moon (Harburg-Rose-Arlen) by Paul Whiteman & his Orchestra, vocal by Peggy Healy, recorded in NYC September 11, 1933)
「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」は、ハロルド・アーレンの音楽、イップ・ハーバーグとビリー・ローズの作詞で1933年に発表された人気曲(”It’s Only a Paper Moon” is a popular song published in 1933 with music by Harold Arlen and lyrics by Yip Harburg and Billy Rose.)
(余談だが、もう少しうんちくをかませばペイパームーンの歌詞にも出てくる「Honky Tonk」とは若い方はストーンズ(UK)などでおなじみだろうがこの1933年の歌詞にでてくるように元は1930年代頃に流行していたカントリー音楽のダンススタイル。これもNHKの国際放送の「キャッチ!世界のトップニュース」で紹介されていた話題だが最近ニューヨークでカントリー音楽が一部で流行しておりカントリーやブルーグラス音楽でホンキートンク(Honky Tonk)を踊るのが今どきのニューヨーカーの流行…というネタにつなげるつもりで数あるジャズカバーの中からわざわざニューヨーク市近郊生まれでブロードウェイなどで活躍したシナトラさんを選曲云々…だったがちょっと笠置シズ子さんからは脱線すぎるので自粛(;^_^A結局がまんできずに書いてますが苦笑)(参考記事)🔗「ニューヨーカーに人気!カントリー音楽で踊る「ホンキートンク」の魅力」2024年1月30日NHK国際放送HP
ビリー・ローズ Billy Rose
ビリー・ローズ Billy Rose
ビリー・ローズ(本名ウィリアム・サミュエル・ローゼンバーグ、1899年9月6日 – 1966年2月10日)は、ニューヨーク市出身の、アメリカの興行師、演劇興行師、作詞家、コラムニスト。 Billy Rose (born William Samuel Rosenberg; September 6, 1899 – February 10, 1966)[1] was an American impresario, theatrical showman, lyricist and columnist.
第二次世界大戦の前後何年もの間、ビリー・ローズはエンターテインメント界で大きな影響力を持っていた。 For years both before and after World War II, Billy Rose was a major force in entertainment.
ビリーローズがホストを務めた番組: with shows such as :
『ビリー・ローズのクレイジー・キルト』 (1931)、 Billy Rose’s Crazy Quilt (1931),
『ジャンボ』 (1935)、 Jumbo (1935),
『ビリー・ローズのアクアケード』 (1937)、 Billy Rose’s Aquacade (1937),
『カルメン ジョーンズ』 (1943) Carmen Jones (1943)
作詞家としても多くの楽曲を手掛けている。 As a lyricist, he is credited with many songs.
ビリーローズが作詞した有名曲: notably songs of Billy Rose
1920s
1925
Charlot Revue (1925) – revue – featured co-lyricist for “A Cup of Coffee, a Sandwich and You” with Al Dubin, music by Joseph Meyer
「ドンド・ブリング・ルル」(1925年)、 Don’t Bring Lulu (1925),
1926
「トゥナイト・ユー・ビロング・トゥ・ミー」(1926年)、 Tonight You Belong To Me (1926),
1927
「ミー・アンド・マイ・シャドウ」 (1927)、 Me and My Shadow (1927),
Padlocks of 1927 (1927) – revue – lyricist
Harry Delmar’s Revels (1927) – revue – co-lyricist
1929
「モア・ザン・ユー・ノウ」(1929)、 More Than You Know (1929),
「ウィズアウト・ア・ソング」(1929年)、 Without a Song (1929),
1930s
1930
「イット・ハプンド・イン・モンタレー」(1930年)、 It Happened in Monterrey (1930),
Sweet and Low (1930) – revue – composer, lyricist, and producer
1931
Billy Rose’s Crazy Quilt (1931) – revue – producer, librettist, and director
1932
The Great Magoo (1932) – play – producer[9]
1933
「イッツ・オンリー・ペイパー・ムーン」(1933 年) It’s Only a Paper Moon (1933)
1934
Ziegfeld Follies of 1934 (1934) – revue – featured lyricist for “Soul Saving Sadie”, “Suddenly”, “Countess Dubinsky”, and “Sarah, the Sunshine Girl”
1935
Jumbo (1935) – musical – producer
1940s
Clash by Night (1941) – play – producer
Carmen Jones (1943) – musical – producer
Seven Lively Arts (1944) – revue – producer
Concert Varieties (1945) – vaudeville – producer
Interplay (1945) – ballet – producer
1950s
The Immoralist (1954) – play – producer
1960s
The Wall (1960) – play – co-producer
Posthumous Credits
1970s
Ain’t Misbehavin’ (1978) – revue – featured lyricist for “I’ve Got a Feeling I’m Falling” from film Applause (1929)
1980s
Big Deal (1986) – musical – featured lyricist for “Me and My Shadow”
1990s
Fosse (1999) – revue – featured lyricist for “Dancin’ Dan (Me and My Shadow)”
また、ローズはその功績にもかかわらず、今日では有名なコメディアンで歌手のファニー・ブライス(1891年 – 1951年)の夫として最もよく知られているかもしれない。 Despite his accomplishments, Rose may be best known today as the husband of famed comedian and singer Fanny Brice (1891–1951). ※筆者注:その後、ローズ氏はエレノア・ホルムさんなど何度か再婚。
(参考)Source: Wikipedia-Billy Rose
もう一人は?エレノア・ホルム Eleanor Holm
さて、そのローズ氏の傍らで微笑む素敵な米国夫人はどなたか?
結論からいうとエレノア・ホルム(Eleanor Holm)さん。
もとオリンピック選手で絶世の美女のひとり(個人的には牧瀬里穂さんを連想❤)
なお、画像や日本語版ウィキペディアの記事はないので英語版をご参照(小生の牧瀬里穂説はみればわかる❤)Source: wikipedia-Eleanor Holm
引退後は社交界やインテリアデザイナー、女優など米国セレブ社交界でも有名な美女。さまざまな恋愛エピソードや大物との結婚遍歴も話題となり、個人的には本来ふれたくはないがプライベートでのスキャンダルでもアメリカで話題になっておられたようだ。
エレノア・グレース・テレサ・ホルム(Eleanor Grace Theresa Holm、1912年12月6日[4][5] – 2004年1月31日)は、アメリカの競泳選手、オリンピック金メダリスト。 1928年と1932年にオリンピック選手だったホルムは、物議を醸した状況でエイブリー・ブランデージによって1936年の夏季オリンピックチームから追放された。 ホルムはその後、社交界の名士およびインテリア デザイナーとして注目を集めるキャリアを積み、ハリウッドのターザン映画『ターザン リベンジ』で共演しました。 Eleanor Grace Theresa Holm (December 6, 1912[4][5] – January 31, 2004) was an American competition swimmer and Olympic gold medalist. An Olympian in 1928 and 1932, Holm was expelled from the 1936 Summer Olympics team by Avery Brundage under controversial circumstances. Holm went on to have a high-profile career as a socialite and interior designer and co-starred in a Hollywood Tarzan movie, Tarzan’s Revenge.
(※話を急ぐので種明かしから書いたが、おそらくこの動画を見た方にはやや性急だったかもしれない。動画だけでローズ氏の隣の女性が誰か?歴史推理ミステリ的には、ビリー・ローズ氏の最初の妻ファニー・ブライス(Fanny Brice)か?それとも件のエレノア・ホルム(Eleanor Holm)さんか?そんな謎解きクイズも愉しめただろう。)
だが、この動画が重要なのは実は日本人だけでなく、米国エンタメ史においても英語版Wikipediaですらふれられていなかったビリーローズ氏とエレノア・ホルムさんとの貴重な蜜月期を記録したほほえましい映像という側面である。
(実は、あまりスキャンダル話は気は乗らないが)1949年のビリーローズ氏とエレノアホルム(1949 Billy Rose, Elenor Holm)といえば米国で連想されるのは当時「バラ戦争(”the war of the Roses”)」と呼ばれた衝撃的な離婚話。書籍にもなりマスコミもにぎわした。まあいわば日本でいえば週刊誌や昼バラ等で悪い意味で人気の泥沼裁判である。もちろん例えば…なんて無粋な真似はしたくない。
だが、この笠置シズ子さん「東京ブギウギ」を仲睦まじく観覧されているお二人の姿はどうか!?
なんとまあ微笑ましいお似合いの二人ではないか。
米国メディアがこの動画をどこまでこすっているかは知らない。すでに既出やもしれぬ。
ただ、少なくとも徹底的なエビデンスで有名な英語版ウィキペディアのエレノアさんのエピソードにも触れられていなかった。これは筆者の感覚でいうと「あまり知られていない可能性」も感じるのである。なにしろ英語版Wikipediaの調査は緻密で、およそ二次資料と思われるものはほとんど全て網羅している。Referenceも確認したが閲覧時点(2024年3月3日)で記載なし。
おそらくそもそもこの動画もレアだが、今回筆者が同定したようにローズ氏に臨席されているのがエレノア・ホルムさんだったという点も多少は貴重な歴史秘話なのかもしれない。
以下、青色背景は英語版ウィキペディアの引用(筆者仮訳)。
エレノア女史のビリー・ローズ氏との結婚時代。
とくに1949年前後のヒストリーから抽出。
ホルムは、最初の妻ファニー・ブライスと離婚した恋人の興行師ビリー・ローズと結婚した。 (Holm married her lover, impresario Billy Rose, who had divorced first wife Fanny Brice.)
1939年のニューヨーク万国博覧会では、ホルムはローズの「アクアケード」で週に39回のショーを行い、ターザン水泳選手のジョニー・ワイズミュラーと後にバスター・クラッブと共演した。 (At the 1939 New York World’s Fair, Holm did 39 shows a week at Rose’s “Aquacade”, co-featured with Tarzan swimmer Johnny Weissmuller and, later, Buster Crabbe.)
1949年3月7日東京で笠置シズ子「東京ブギウギ」を観覧(BBC News Reel)★New!?
ニューヨーク・タイムズ紙によると、ホルムは1954年にローズと離婚し、月額3万ドル(現在の33万ドルに相当)の慰謝料と20万ドル(現在の220万ドル)の10年分割払いを受け取ったという。( In 1954, Holm divorced Rose — receiving $30,000 per month (equivalent to $330,000 today) in alimony and a lump sum of $200,000 ($2,200,000 today) to be paid in 10 yearly installments, according to The New York Times.)
このセンセーショナルな離婚裁判は「バラ戦争」と呼ばれ、ルイ・ナイザーの著書『法廷での私の人生』の一章の主題となっている。( This sensational divorce trial was called “the war of the Roses” and is the subject of a chapter in Louis Nizer’s book My Life in Court. Several months later,)
(引用終わり)
いずれにせよ、ローズ氏は1966年ご逝去、エレノアさんは2004年ご逝去。ともに他界されている。このテキストはそんな米国エンタメや社交界を築いた偉大な先人のエピソードに、1949年3月7日「東京ブギウギ」笠置シズ子ご観覧という、日米音楽交流史の微笑ましい映像をとおして、ささやかながらご献花にかえて敬意を表したいという筆者の個人的な趣旨で記した。
朝ドラで令和の時代にも受け継がれた日本の「ブギの女王」笠置シズ子さん。のちに女優業に転身する時にはわざわざ「笠置シヅ子」と改名するほど律儀で何より歌に魂を込めていた戦後日本の「太陽」のひとり。
昭和24年(1949年)3月7日のBBCニュースが令和の現代に伝えてくれる、はつらつとした美しい笠置シズ子さんの全盛期ともいえる「東京ブギウギ」の映像は、当時少女歌手時代の美空ひばりさんを始め50年代に三人娘と呼ばれる江利チエミさん、雪村いづみさんらがこぞって憧れたという本当の意味が分かる気がする。これほどまでに鮮明な映像は、かつて昭和の懐メロ音楽特集番組でも筆者は観た記憶がなかった。
また、当時の同BBCニュースが主眼としたように、当時世界が注目する存在だった米国のビリー・ローズ夫妻についても、あくまで筆者なりの推論をふくむ個人的な考察として背景情報を少し深堀してみた。文中にも記載したが、まずこれは当時はお忍びで逢ったやもしれない好ましいエピソードを微笑ましく感じたというだけの筆者の素朴な個人的感想であることを強調させていただく。
以下、もう少し広くとらえれば、この映像が伝えてくれる終戦後4年目の春の東京の活気は、戦後復興期の日本の「青春」を後世につたえてくれる記録かと思う。
(蛇足だが、現在のやや複雑な心境にも陥りがちな世相や、当時も戦後復興期の諸問題や困難もあり、暗く影に流れる向きもあるだろう。だが、本当に辛く苦しいとき、人々は無論ブルースへの共感に涙もするが、一方で逆に明るく楽しい夢をエンタメに求めるのも朝ドラ『ブギウギ』などが伝えてくれるとおりである。)
不躾ながら映像に登場された米国エンターテイメントの要人ご夫妻にもふれた。やや雑駁な私見ながら、ともすればわざわざ重箱の隅をつつくような真似をしたのは、常日頃思う日米音楽史の戦前と戦後の記憶の分断が個人的関心の背景にある。
明治日本の近代ポピュラー音楽の形成に大きなご指導を賜ったメーソン先生を始めとする米国音楽関係者諸氏。第2次世界大戦という不幸な戦争により分断された戦前までの良好な日米音楽交流史。戦火の苦い経験を経て、音楽を通じた日米文化交流が、新たな息吹を芽生えさせていた1949年3月7日(3 May, 1949)東京の早春の日に思いをはせたい。そんな個人的な感想から、勝手ながら【3月7日の歌】としてもご紹介させていただいた次第である。
おまけ(Bonus track)1949年3月7日頃の洋楽ヒット曲:
“A Little Bird Told Me” Evelyn Knight and the Stardusters (Source: List of Billboard number-one singles of 1949)
もし小鳥の声が聴きたくなった方は小生の春歌3月プレイリスト「メジロ(仮)」を聞いてみてください。
むう3月もいい曲メジロ推しじゃの
(関連記事)🔗「春の歌 女性歌手 3月の歌」※(プレイリスト「メジロ(仮)」)