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1904年流行唄(明治37年邦楽)

1900年代音楽
1900年代音楽

1904年2月 『少年唱歌 四編』十字屋発行
1904年8月 『少年唱歌 六編』十字屋発行
1904年8月 『育児唱歌 秋の巻』渡邊森蔵編
1904年8月 「花賣」 旗野十一郎/内田粂太郎
1904年8月 「猫兒」 旗野十一郎/渡辺森蔵
1904年8月 「木の實拾」 旗野十一郎/楠美恩三郎
1904年8月 「菊」 旗野十一郎/渡辺森蔵
1904年8月 「鹿」 旗野十一郎/田村虎蔵
1904年8月 「茸狩」 旗野十一郎/渡辺森蔵
1904年8月 「御祭」 旗野十一郎/渡辺森蔵

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1904年(明治37年)デビュー歌手

1904年(明治37年)デビュー「松の声」神長瞭月(作詞:神長瞭月、作曲:神長瞭月)※神長瞭月(本名:神長源二郎)明治21年6月栃木県塩谷郡大宮村生まれ。明治37年16才で苦学のため上京(神田に下宿)。縁日に読売を聞きに行き刺激されて第1作「松の聲」を作詞作曲。歌本を1枚五厘で売った。以降、明治の演歌師として活動。多くの歌を作った。また、演歌に初めてヴァイオリン伴奏、大正2年には演歌師として初めて「松の聲」などをレコード吹込み(録音)♪。明治演歌の近代化に貢献。

(ちなみに、明治20年頃から明治時代の「演歌」すなわち演歌師が街頭で演説の代わりに歌うこと、が発祥といわれる。奇しくも、神長瞭月さんの生誕時期。明治演歌は当初民権運動をテーマにした歌が主だったが選挙権確立などで政治性はいったん区切りとなり、その後、明治後半には色恋なども歌のテーマとなり「艶歌」ともいわれた。だが、元来「演歌」とは「演歌師が歌う歌」の総称であり、政治や恋愛はもとより軍歌でも唱歌でもはたまたクラシックの歌曲(明治時代の「歌謡曲」)でもジャズでもタンゴでもなんでも「演歌」であり音楽的なジャンルの名称ではなかったそうだ。)

また、ご存じのとおり、栃木県塩谷郡といえば戦後演歌の父ともいわれる船村徹さんの生まれ故郷。明治演歌の舞台は主に東京であり、明治演歌師も添田啞蝉坊さん親子など神長瞭月さん以外の先人もおられる。ただ、日本の演歌の歴史において戦前・戦後と重要なキーパーソンを輩出した栃木県の塩谷はその素朴な里山という日本の原風景を今に残す土地柄からも「演歌のふるさと」という名称に誠にふさわしいといえる場だろう。

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