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1966年ヒット曲(昭和41年邦楽)【月別】

1966 昭和41年 邦楽 1960年代音楽

1966年(昭和41年)ヒット曲(邦楽):
「君といつまでも」 加山雄三(前年12月)
「逢いたくて逢いたくて」 園まり(1月)
「青い瞳」 ジャッキー吉川とブルーコメッツ(3月英語版、7月日本語)
「ラブユー東京」 黒沢明とロス・プリモス(4月)
「柳ヶ瀬ブルース」美川憲一(4月)
「バラが咲いた」マイク眞木(4月)
「さよなら列車」都はるみ(6月)
「悲しい酒」 美空ひばり(6月)
「夕日が泣いている(英語 Sad Sunset)」スパイダース(9月)
「こまっちゃうな」山本リンダ(9月)
「函館の女」北島三郎(11月)
「いっぽんどっこの唄」 水前寺清子(11月)
など※

(※)68年オリコン開始以前は全国的な邦楽チャートは存在せず。『Music Life』や『ティーンビート』などで洋楽ポップスのチャートに混在する形で一部邦楽もチャートに顔を出したこともあるが基本的に東京のレコード屋中心の局所的なチャート。ゆえに1967年以前の邦楽ランキングは存在しない。そのためここでは紅白歌合戦や当時のヒット曲に関する後追いデータ(例:現在のカラオケ人気ランキング等)を参考にしつつ、なるべく大勢の方が知ってそうな有名曲から基本は筆者の感覚で適当に約10曲ほどピックアップしたものを掲載。より詳細な1966年発売曲などは▲その他参考文献等などで調べたものを掲載。)

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「君といつまでも」加山雄三

1965年12月5日発売「君といつまでも」加山雄三

「逢いたくて逢いたくて」園まり

1966年1月発売「逢いたくて逢いたくて」園まり

「ラブユー東京」黒沢明とロス・プリモス

黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」(オフィシャルオーディオ)
日本クラウン 演歌・歌謡曲 公式チャンネル

1966年4月1日発売「ラブユー東京」黒沢明とロス・プリモス(1stシングル、クラウン)デビュー曲

「柳ヶ瀬ブルース」美川憲一

1966年4月1日発売「柳ヶ瀬ブルース」美川憲一(3rdシングル)🎁

「バラが咲いた」マイク眞木

バラが咲いた
マイク真木 – トピック
『マイク・真木フォーク・アルバム』
Shinko Music Entertainment Co.,Ltd.

1966年4月5日発売「バラが咲いた」マイク眞木(1stシングル、作詞/作曲:浜口庫之助 編曲:小杉仁三、フィリップスレコード)

「さよなら列車」都はるみ

さよなら列車
都はるみ 公式YouTubeチャンネル

17 1966年6月5日発売「さよなら列車」都はるみ(17thシングル、作詞:関沢新一、作曲・編曲:市川昭介、日本コロムビア)

昭和41年「悲しい酒」 美空ひばり

悲しい酒(セリフ入り)美空ひばり 公式YouTubeチャンネル
美空ひばり全曲集 ~悲しい酒~
Columbia Music Entertainment, Inc.
Released on: 1996-10-19

昭和41年の邦楽ヒット曲といえば、この年(1966年)第17回紅白歌合戦のトリでも歌われた美空ひばり「悲しい酒」。芸能活動17年目の円熟味を増した歌の表現力が光る、古賀政男メロディの演歌の名曲。令和の現在もカラオケなどで人気の曲。

1966年6月10日発売「悲しい酒」当時ひばりさんは20代後半(29歳)。しかもひばりさんのシングル第225作目(!)。無論女性の年齢にふれるのは不躾だが、20代後半でシングル225枚!!。これが驚かずにおられようか。

美空ひばりさんは昭和の大歌手。戦後1949年(昭和24年)11歳で天才少女歌手として「河童ブギウギ」でデビュー。50年代三人娘や「お祭りマンボ」などのヒット曲を連発。日本を代表する歌姫として活躍。1989年6月24日ご逝去(52歳没)。

「青い瞳」ジャッキー吉川とブルー・コメッツ

青い瞳 (Bilingual Version)
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ(Jacky Yoshikawa & His Blue Comets)
『ベスト・ヒット’66』
Nippon Columbia Co., Ltd./NIPPONOPHONE

1966年7月10日発売「青い瞳(日本語)(Billingal)」ジャッキー吉川とブルー・コメッツ(2ndシングルの日本語盤、作詞: 橋本淳、作曲:井上忠夫、編曲 井上忠夫)※井上忠夫さんは1981年井上大輔さんと改名(劇場版『機動戦士ガンダム』シリーズの主題歌「哀・戦士」「めぐりあい」、コカ・コーラCM曲「I FEEL COKE」等で有名)※英語版動画は3月のページに掲載

「夕日が泣いている(英語 Sad Sunset)」スパイダース

Sad Sunset
The Spiders-Sad Sunset (Yuhi ga naiteiru)

1966年9月15日発売「夕陽が泣いている/チビのジュリー」スパイダース(フィリップス)※あいにく日本語版の公式動画はないのでYouTubeでご視聴を。ここに掲載した動画は当時『SPIDERS IN EUROPE』としてオランダのフィリップスで製造された英語版(もしかしたらpromoかもしれない)詳しく知りたい方は▲でどうぞ🔗

「こまっちゃうナ」山本リンダ

1966年9月20日発売「こまっちゃうナ」山本リンダ(1stシングル、ミノルフォン)「狙い打ち」「どうにもとまらない」などで有名な山本リンダさんのデビュー曲。60年代半ば高校在学中にこの曲で一躍人気となり国民のアイドル的存在に(※)。

(※1966年当時、すでに1964年11月21日日本公開のフランス映画『アイドルを探せ(原題:Cherchez l’idole)』(シルヴィ・バルタン主演)もあったのでアイドルという言葉はあったはず。だがアイドル歌手やアイドル歌謡曲といった言い方が浸透していたかは定かでない。そもそも60年代はまだ流行歌と歌謡曲という用語が併用されていた過渡期。ただ、のちの定説では日本のアイドル歌謡曲の始まりは1970年南沙織さんが始まりとされてはいる(アイドル歌手として広く世間に認知)が、実質的には60年代以前にさかのぼるのだろう。
 歌手に限らなければ、そもそもアイドル的な女性スタアは戦前からいた(例:1930年代明日待子、諏訪根自子、山口淑子(李香蘭)・原節子らの劇場や女優、明治時代の初代松旭斎天勝ら)。
 歌手に絞っても、戦後だけでも遅くとも50年代には三人娘や洋楽カバーポップスなどのスタア歌手はいた。
 アイドル歌手(1963年シルヴィバルタン映画以降)に絞っても、66年山本リンダさんなどがいる。他にも64年以降にデビューした女性歌手は昭和アイドル歌手の先人となるのだろう。
 いずれにせよ、日本のアイドル史はもう少し柔軟にとらえなおした方がよいのかもしれない。)

「函館の女」北島三郎

函館の女
北島三郎
函館の女/北海道恋物語
日本クラウン株式会社

1965年11月10日発売「函館の女」北島三郎(作詞:星野哲郎、作曲:島津伸男、編曲:島津伸男)※永谷園のCMでもおなじみのサブちゃんの代表曲のひとつ。

「いっぽんどっこの唄」水前寺清子

いっぽんどっこの唄 · 水前寺清子
水前寺清子全曲集〜真実一路のマーチ・三百六十五歩のマーチ〜
日本クラウン株式会社

1966年11月1日発売「いっぽんどっこの唄」水前寺清子(13thシングル、作詞:星野哲郎、作曲:富侑栄、編曲:安田彫花)。66年紅白でも歌唱。※累計売り上げは100万枚を記録するミリオンセラー。水前寺清子さんの代表曲の一つ。1966年当時クラウン勢が人気。

昭和41年邦楽(歌手名順)

「恍惚のブルース」 青江三奈 
「今夜は踊ろう」 荒木一郎
「空に星があるように」 荒木一郎
「二人の銀座」  和泉雅子 , 山内賢
「暗い砂浜」 ヴィレッジ・シンガーズ 
「笑えピエロ」 植木等
「シビレ節」 植木等 
「500マイル」 エマノンズ
「哀愁海峡」 扇ひろ子
「おさらば故郷さん」 加賀城みゆき
「霧雨の舗道」 加山雄三
「まだ見ぬ恋人」 加山雄三
「君といつまでも」 加山雄三
「蒼い星くず」 加山雄三
「お嫁においで」 加山雄三
「夜空を仰いで」/旅人よ  加山雄三
「兄弟仁義」 北島三郎
「函館の女」 北島三郎
「ラブユー東京」 黒沢明とロス・プリモス
「星のフラメンコ」 西郷輝彦
「いつまでもいつまでも」 ザ・サベージ
「この手のひらに愛を」 ザ・サベージ
「君について行こう」 ザ・サベージ
「ベッドで煙草を吸わないで」 沢たまき
「ほんきかしら」 島倉千代子
「青い瞳」 ジャッキー吉川とブルーコメッツ
「青い渚」 ジャッキー吉川とブルーコメッツ
「骨まで愛して」 城卓矢
「いっぽんどっこの唄」 水前寺清子
「なんとなくなんとなく」 ザ・スパイダース
「ノー・ノー・ボーイ」 ザ・スパイダース
「ヘイボーイ」 ザ・スパイダース
「夕陽が泣いている」 ザ・スパイダース
「星影のワルツ」 千昌夫
「逢いたくて逢いたくて」 園まり
「夢は夜ひらく」 園まり
「銀色の道」 ダーク・ダックス
「唐獅子牡丹」 高倉健
「いい湯だな」 デューク・エイセス
「裏町酒場」 西田佐知子
「信じていたい」 西田佐知子
「ながれの花」 西田佐知子
「ネオン川」 バーブ佐竹
「霧氷」 橋幸夫
「雨の中の二人」 橋幸夫
「霧の摩周湖」 布施明
「銀の涙」 布施明
「絶唱」 舟木一夫
「大阪ろまん」 フランク永井
「若者たち」 ブロード・サイド・フォー
「星に祈りを」 ブロード・サイド・フォー
「バラが咲いた」 マイク眞木 
「若いってすばらしい」 槇みちる
「柳ヶ瀬ブルース」 美川憲一
「悲しい酒」 美空ひばり
「夢は夜ひらく」 緑川アコ
「さよなら列車」 都はるみ
「女のためいき」 森進一
「今日の日はさようなら」 森山良子
「こまっちゃうナ」 山本リンダ 
「ねむの木の子守唄」 吉永小百合
「想い出の渚」 ザ・ワイルドワンズ

1966年 音楽 日本

1966年(昭和41年)邦楽:
歌謡ポップス:
・「君といつまでも」の大ヒットで若大将ブームに。
演歌
・森進一「女のためいき」、青江三奈の「ためいき路線」が流行。
カレッジフォーク
・「バラが咲いた」がヒット。大学のキャンパスからフォークが流れ始める

1966年 洋楽(日本)

フランスギャル来日・フレンチポップス
1966年6月8日~6月下旬頃フランス・ギャル初来日

ビートルズ来日・GSブーム
1966年6月29日来日(羽田空港)
1966年7月3日離日

[新宿1966] THE OTHER(ジ・アザー)※最初期のソウルディスコ
新宿区新宿3-24(※現在の新宿アルタ地下辺り?)ニック岡井さん、受付クロークの女性はマキちゃん(さん)という方だったそう。66年当時のソウルディスコではウィルソンピケット「ダンス天国」でファンキーブロードウェイを踊っていたそう。

Land of 1000 Dances
Wilson Pickett
『The Exciting Wilson Pickett』
1965 Atlantic Recording Corporation

(翌年1967年頃からは、ファンキーブロードウェイを67年発売JB「Cold Sweat」で踊ったり、その他、ホース、ウォーク、スケーター、ソウルステップ、ソウルCCなどの踊り方も増え、テンプス(The Temptations)やシュプリームス(The Supremes)などのモータウンクラシックでブレイクダウンやスケーターなどのソウルディスコで踊っていたそう。)

(※ちなみにソウル・ブラック系に限らなければ日本発のディスコティックは前年1965年恵比寿に開店した中川三郎さんの娘さん(三女)中川裕季子さん経営のディスコが日本発のレコードで踊るいわゆるディスコの始まり(進駐軍クラブなど一般の日本人が立ち入れない米軍施設は除く)。

※ゴーゴー喫茶とかダンスホールなどバンドの演奏で踊る踊り場は50年代マンボブームの頃から盛況。

※この辺は後で洋楽関連記事に移動するかも。

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ご訪問ありがとうございました 🙂

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