【昭和レトロ】夜行列車の懐メロ 「上野発の夜行列車」といえば?
(さらば「はくつる」国鉄583系引退記念)
2017年(平成29年)4月8日「はくつる」などの国鉄583系電車が引退。月光列車ともいわれ鉄道ファンのみならず日本全国の方に愛された寝台列車。
ここでは、音楽ブログらしく昭和の懐メロや名曲をご紹介しつつ、「上野発の夜行列車」とのつきせぬ別れを惜しみ、お見送りしたいと思います。😢
平成29年(2017年)4月「はくつる」など583系引退
今日(2017年4月8日)のNHKニュースなどによれば長年「はくつる」などの夜行列車として親しまれた583系がとうとう引退とのこと。
2015年ブルートレインや北海道国鉄711系など大量車両引退。
2016年3月北海道新幹線開業にともなう急行「はまなす」引退。
2017年「はくつる」「はつかり」などの583系が引退。
2017年4月現在、国鉄系列車自体はまだ現役ながら、ここ数年は鉄道ファンにとってさみしい春の風物詩にもなりつつある国鉄型車両の卒業式に(泣)。
時代はかわる。時代はめぐる。
さよならだけが人生だ。
わかっちゃいるけど・・・う”😢
583系引退に関する公式発表や報道など
■JR東日本のプレスリリース
~引退発表~特急形寝台電車「583系」最終運行, JR東日本秋田支社, 2017年2月17日
※プレスリリースはPDFなのでここではリンクは省略させて頂いています。なお「583系最後の運行」などで検索すれば上記の記事(PDF版)にアクセスできると思います(リンク先はGoogle検索結果)。2019年3月23日閲覧、2020年6月19日再閲覧。もうずっと残してください泣))
■報道など
「国鉄時代から上野発の夜行列車などで走り続けてきた寝台電車「583系」が引退することになり、8日、最後の運行が行われています。」(出典)2017年4月8日付NHKニュース「上野発の夜行列車などで活躍 583系電車 最後の運行」
懐かしのクリーム色列車
583系といえばクリーム色の車体に青いラインが特徴。国鉄時代の昭和43年に登場。上野と青森を結ぶ夜行列車「はくつる」などで使用されてきました。
ちなみに、鉄道ファン的には「はくつる」以外の583系、さらに581系などにも触れておくべきだろうと思われるでしょう。そちらはまた機会があれば別記事でということでご容赦を。
いずれにせよ名残は尽きないのですが。鉄ネタは諸兄にお任せすることにして。
当サイトはいちおう音楽ブログということで「夜行列車」にまつわる日本の懐メロを紹介しつつ、583系との惜別を偲びたいと思います。
「夜行列車」の懐メロといえば?
【ラストラン】急行はまなす下り最終列車・青森駅出発式(2016年3月21日)
“2016年3月21日22時18分、青森発札幌行き急行はまなすの最終列車。青森駅3番ホームの出発式の様子です。
(参考動画)tshichoさん,【ラストラン】急行はまなす下り最終列車・青森駅出発式(2016年3月21日), 2016/03/21
ラストラン用のスペシャルBGMも流れました。”
最後の青函トンネル夜行列車と「津軽海峡冬景色」
平成28年(2016年)3月21日青森発札幌行「はまなす」がいわゆる青函トンネル(青森・札幌間)を通過する最終夜行列車で最終在来線列車となります。
このとき「はまなす」の始発駅となる青森駅で発車のメロディが鳴った数十秒後「津軽海峡冬景色」のインストゥルメンタルがフルコーラスで流れました。
「おおっ」
「待ってました」
石川さゆりさんの歌こそ入っていないものの当時駅につめかけた鉄道ファンや大勢の報道陣の間からは誰からともなく歌を口ずさむ方々も。
「ありがとおー」
「28年間おつかれさま」
多くのファンと青森駅員が掲げる横断幕にみおくられながら「北へ帰る」最後の夜行列車はこの曲を聴きながら汽笛を鳴らして札幌駅へと走り去りゆく。
鉄道と歌の歴史に残る名シーンの1つではないでしょうか。
「津軽海峡冬景色」と「北へ帰る」夜行列車
昭和52年(1977年)「津軽海峡冬景色」が歌われた時代は「夜行列車」の全盛期ともいえるかもしれません。
昭和52年(1977年)当時、上野発青森行きの夜行列車は「八甲田」、「十和田」、「津軽」、「ゆうづる」、「はくつる」、「あけぼの」など多数。
昭和50年代(1970年代後半)~昭和60年代、
平成元年代~平成10年代まで、
夜行列車は長く活躍しました。
しかし、平成20年代後半には平成26年(2014年)頃から徐々に引退へ。
「北へ帰る」夜行列車の引退(略年表)
「北へ帰る」夜行列車の引退時の出来事は以下のとおり。
(略年表)
2014年3月15日「あけぼの」の定期運転終了。上野発青森行きの夜行列車は全廃。
2015年3月14日ダイヤ改正。上野・札幌間「北斗星」定期運転終了。
2015年8月22日札幌発臨時列車廃止。
2016年3月20日札幌発最後の上野・札幌間夜行列車「カシオペア」運転終了。
2016年3月21日青森発札幌行「はまなす」最終夜行列車で最終在来線列車。
2016年3月22日急行「はまなす」(DD511093)ラストラン。日本最後の夜行列車。(このとき札幌駅には改札が始まる5時40分より前から大勢の鉄道ファンが集まる。※冒頭の動画)
「夜行列車」にちなんだ昭和歌謡の名曲
前項で、昭和52年(1977年)は「夜行列車」の全盛期では?とふれました。
この年は夜行列車にちなんだ曲が多かった年でもあります。
まずはこの年の3曲をご紹介しましょう。
昭和52年(1977年) 石川さゆり 津軽海峡・冬景色
「夜行列車」の懐メロ(583系)縁(ゆかり)の曲
まずは583系に縁(ゆかり)の曲をご紹介したいと思います。
昭和を知る方にはおなじみの名曲。「津軽海峡冬景色」。石川さゆりさんの名曲です。
昭和52年(1977年)石川さゆり『津軽海峡・冬景色』
この曲は石川さゆりさんの演歌歌手への転機となった曲としても有名ですね。
レコードジャケにもあるように当時はまだ和服姿はほとんど着ていらっしゃいませんでした。
津軽海峡冬景色 石川さゆり Ishikawa Sayuri
作詞・阿久悠 作曲・編曲三木たかし
日本コロムビア
<広告>津軽海峡冬景色 石川さゆり
石川さゆり「津軽海峡・冬景色」
作詞は阿久悠 作曲・編曲三木たかし
1977年(昭和52年)1月1日
日本コロムビアより発売
(参考)シングルジャケなどディスコグラフィ―は石川さゆりさんの公式サイトにて。
ちなみに津軽海峡・冬景色のオリジナルカラオケをお探しの方にはコチラ👇のマキシシングルがおすすめです。
津軽海峡・冬景色/能登半島 シングル, マキシ
石川さゆり 形式: CD
CD (2005/12/7)
ディスク枚数: 1
フォーマット: シングル, マキシ
レーベル: テイチクエンタテインメント
収録時間: 15 分
曲目リスト
ディスク:1
再生: 津軽海峡・冬景色 1. 津軽海峡・冬景色
再生: 能登半島 2. 能登半島
再生: 津軽海峡・冬景色(オリジナル・カラオケ) 3. 津軽海峡・冬景色(オリジナル・カラオケ)
再生: 能登半島(オリジナル・カラオケ) 4. 能登半島(オリジナル・カラオケ)
こちらのカセット版は閲覧時点ではみつかりませんでした。
ちなみに最近はレコードやカセットテープなども一部で人気が復活しているようですね。カラオケ好きなお母さんお父さん、おじいちゃんおばあちゃんなどへの御祝いのときにこうした懐かしい音楽の贈物もよろしいのではないでしょうか?
母の日:5月第2日曜日
父の日:6月第3日曜日
敬老の日:9月の第3月曜日
昭和52年(1977年)森昌子 夜行列車
(参考動画)夜行列車 森昌子 Mori Masako(sanpomichi1さま)
(参考動画)森昌子 夜行列車 昭和54/2 Masako Mori (61morimoriさま)
こちらは昭和52年(1977年)森昌子さんのアルバム『森昌子 出発の詩集 港のまつり』に収録(#5曲目)。
1977年 森昌子 出発の詩集 港のまつり
KC-9008(ミノルフォンレコード)徳間音楽工業株式会社
曲目リスト
1.「あじさい坂」
作詞:さいとう大三 作曲:馬飼野俊一 編曲:馬飼野俊一
2.「赤い絹糸」
作詞:山口あかり 作曲:高田弘 編曲:高田弘
3.「愛しはじめて」
作詞:いまむられい 作曲:高田弘 編曲:高田弘
4.「紺がすり」
作詞:山口あかり 作曲:新井利昌 編曲:高田弘
5.「夜行列車」
作詞:吉田旺 作曲:浜圭介 編曲:高田弘
6.「港のまつり」
作詞:わたなべ研一 作曲:沖田宗丸 編曲:馬飼野俊一
7.「恋してたずねびと」
作詞:杉紀彦 作曲:川口真 編曲:あかのたちお
8.「純情詩集」
作詞:杉紀彦 作曲:平尾昌晃 編曲:あかのたちお
9.「東京なんて大嫌い」
作詞:山田孝雄 作曲:浜圭介 編曲:馬飼野俊一
10.「恋の別れ唄」
作詞:深津武志 作曲:市川昭介 編曲:高田弘
11.「初夏恋歌」
作詞:有馬三恵子 作曲:新井利昌 編曲:高田弘
なかなかベスト盤や全曲集にもはいってないレア曲なのでお探しの方は「森昌子 出発の詩集 港のまつり 」などで検索してヤフオクや中古レコード屋さんなどをチェックしてみてください。(リンク先はGoogle検索結果に飛びます。)
昭和52年(1977年)森進一 夜行列車
(参考動画)懐メロ歌謡曲 74 森 進一(s.o懐メロさま)
昭和52年(1977年)森進一「夜行列車」
作詞 喜多條忠
作曲 吉田拓郎曲
こちらの曲はビクターの公式ページなどで視聴(ストリーミング)・ダウンロードできます。
森進一 SHINICHI MORI 夜行列車
2018.06.13(オリジナル発売日 1977.06.10)
配信限定アルバム
Victor
あいにく中古レコードなどでしか出回っていないようです。お探しのかたはアルバム名で検索なさってみてください。
「夜行列車」にちなんだ演歌の名曲
「夜行列車」にちなむ名曲は他にもたくさんあります。
ここでは昭和の歌謡曲や演歌を中心にご紹介したいと思います。
余談:流しの相場にならえば3曲が目安ということだそうで。その昔(平成初期)、私の新入社員時代に東北出身の上司の方によく連れて行ってもらった西新宿界隈の流しの相場は3曲1セット千円。ツッチーの『俺節』でも流しのシーンがありますがあの世界をリアルで体験できたのは貴重な経験です。
昭和54年(1979年)春日八郎「夜行列車」
(参考動画)春日八郎ヒット曲集 夜行列車(カラオケ練習用)作詞:中山大三郎 作曲:船村徹(日本歌謡チャンネルさま)
「夜行列車」
春日八郎 の シングル
A面 夜行列車
B面 波止場ばなし
リリース 1979年
ジャンル 演歌
レーベル キングレコード
作詞 中山大三郎
作曲 船村徹
春日八郎さんといえば演歌の第一人者。最初のヒット曲は鉄道がモチーフ。
1948年、キングレコードの第1回歌謡コンクール合格を機に歌手活動をはじめ、下積みを経て1952年に発売された『赤いランプの終列車』が50万枚[2]の大ヒット。
その後、「お富さん」「別れの一本杉」など歌舞伎や望郷を歌い戦後の高度成長を支えた集団就職などで上京した方々の心を癒やされました。
ちなみに、作曲の船村徹先生は惜しくもこの年(2017年)2月16日に他界されました。演歌の父船村先生についてはここでは書きつくせません。ひとまずご冥福をお祈り申し上げます。
昭和32年(1957年)フランク永井 夜行列車
あいにくフランク永井さんの夜行列車は動画がありませんでした。曲情報だけ載せておきます。
1957年11月 夜行列車 作詞 吉川静夫 作曲 宮城秀雄 V-41722 VS-43 B(ビクター)
ヤフオクなど中古ではときどき出回っているようです。
昭和30年代に入り「夜行列車」の曲名が生まれた。「夜行列車」という曲名。初めて生まれたのは昭和32年になってからである。「夜行列車・フランク永井」(吉川静夫詩・宮城秀雄曲)ビクター 32/11月
昭和初期の映画主題歌あれこれ
♪「青い夜霧の東京の駅を 夜行列車でさよならしたが・・・・・・」
昭和38年(1963年)十和田充 夜行列車
この曲はかなりレアでなかなか音源がみつかりません。十和田充さんは原 耕二、藤川浩と並んでポリドールが演歌の若手3羽からすとして売り出そうとしていた当時の若手演歌歌手の方。
昭和38年には、「夜行列車・十和田 充 ポリドール」という曲も出ていた。
昭和初期の映画主題歌あれこれ
ちなみに「昭和初期の映画主題歌あれこれ」さんというブログの新番外篇(その3)「夜汽車と夜行列車の“うた”を振り返る」2008年03月28日という記事(下記にリンク)によれば、戦前・戦後を通じて“流行歌の曲名”を振り返ってみると、「夜行列車」はどの年代も少数派であって、「夜汽車」のほうが圧倒的に多いそうです。上記のように昭和32年に「夜行列車」というタイトルの曲が生まれます。それでも昭和30年代でもまだ、圧倒的に「夜汽車」曲のほうか多かったとのこと。
昭和の年代ごとに曲名に「夜行列車」と「夜汽車」が使われた曲数を比較してみるとつぎのとおり。
(参考)「夜行列車」と「夜汽車」が使われた曲数(昭和年代別)
「夜行列車」「夜汽車」
戦前
昭和2年
~昭和20年 0曲 3曲
戦後
昭和20年代 0曲 13曲
昭和30年代 2曲 25曲
昭和40年代 5曲 27曲
昭和50
~56年まで 11曲 25曲
昭和57年~ (調べ中)
(出典)新番外篇(その3)「夜汽車と夜行列車の“うた”を振り返る」2008年03月28日, 昭和初期の映画主題歌あれこれ(ブログ)
「夜行列車」という曲名。40年代後半からやや増えてきたのは、丁度その頃全国の鉄路から蒸気機関車が消えたことや、夜行寝台という楽な夜の旅に変わっていったことと無縁ではないだろうと思う。
新番外篇(その3)「夜汽車と夜行列車の“うた”を振り返る」2008年03月28日 より抜粋
(中略)
やはり「夜汽車」という曲名は、夜空にボォーという汽笛を響かせ、闇を切って走る蒸気機関車に牽かれた列車というイメージが強い。
その蒸気機関車時代の「夜汽車」曲。昭和50年代に入ってもまだまだ「夜行列車」曲をはるかに上回っているのは、人々のノスタルジックな想いが強いためと思われる。
(参考記事)「昭和初期の映画主題歌あれこれ」新番外篇(その3)「夜汽車と夜行列車の“うた”を振り返る」2008年03月28日
代りに「はくつる」ともゆかりの深い仙台駅絡みで「青葉城恋歌」のさとう宗幸さんverではなく宮城県ご出身のフランク永井さんが歌われているカバー曲の動画をあげておられる方がいましたのでリンクのみさせて頂きます。
(参考動画)青葉城恋唄 フランク永井, MrSaitoKさま
曲 青葉城恋唄
アーティスト フランク永井
Victor Entertainment, Inc.
1979年発売のアルバム「お前がいいと言うのなら」SIDEB2曲目に収録の曲。
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(他にもアリスのベーヤン作の名曲『遠くで汽笛を聴きながら』が浮かぶところかもしれません。やはり堀内孝雄さんの曲では私は演歌よりこちらが好きです。個人的にはなぜかJR九州を連想してしまうのでできれば九州特集のときに引用させて頂きたいと思っています。)
まあディテールにこだわりたい人(ワシ)向けにもっか純生はくつる絞り
昭和31年(1956年)三橋美智也 哀愁列車
(参考動画)哀愁列車 三橋美智也 SPレコード SL(佐一さま)
ちなみにこちらの動画の最後のほう(3:00頃~)にはSLの汽笛音が!動画を作成された佐一さんの効果音ですがあまりの哀愁列車ぶりに参考動画にあげさせていただきました。昭和の鉄道ファンの方には必聴動画ではないでしょうか。
三橋美智也さんは昭和30年代に活躍された民謡出身の演歌歌手。ご出身が現在の北斗市である北海道上磯郡上磯町峩朗(がろう)生まれで函館市育ち。
『哀愁列車』には歌詞などに夜行列車という詞は入っていません。筆者の独断で夜行列車の名曲に認定させて頂きました。
理由はひとつはミッチーこと三橋美智也さんがここで話題にしている「北へ向かう」夜行列車の目的地近辺のご出身であること。もうひとつは昔(明治から昭和初期)の汽車といえば夜行列車がほとんどだったこと。
(私事ながら江差を訪れることがけっこうあるのですが木古内駅でおりてバスで江差に向かう途中どうしても平成26年(2014年)に廃線となった江差線を思い出してしまうのです。三橋美智也さんの哀愁列車にかこつけてなんとか江差線のことにふれさせてもらいたかったという個人的理由も(;´∀`)
そんな想像から「哀愁列車」「北へ向かう」列車のことだったのではないかと。
ともあれ、三橋美智也さんの名唱は鉄道ファンのみなさんにもぜひこの機会を借りてご紹介しておきたいと思った次第です。
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夜行列車の歴史(ほんの概略)
夜行列車の歴史は古く、ウィキペディアによればその歴史は明治時代中頃までさかのぼるとのこと。
ざっくりいえば当時の長距離列車はほとんどが夜行列車だったとも。
「日本では、全国の鉄道網が一通り完成した明治時代中期以降に夜行列車が運行されるようになった[4]。当時の長距離列車は昼夜を問わず走らないと目的地に到着しないものであり、必然的に夜行列車となった[注釈 1]。当初は座席車のみによる運転であった。」
ウィキペディア(夜行列車、歴史)
また、ご存じのとおり夜行列車には寝台車(車両)が備わった寝台列車もあります。
明治33年(1900年)にはすでに日本初の寝台車が当時の山陽鉄道で運行されたそうです。
1900年に山陽鉄道(現在の山陽本線などを運営)が日本で初めて寝台車の提供を行った[7]。
ウィキペディア, 夜行列車, 歴史
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最後の夜行列車と「銀河鉄道999」
翌朝の札幌駅には改札の5時40分前からファンがつめかけわかれをしのぶ姿も。札幌駅に入構する「はまなす」のオレンジ色のフォグランプが筆者には松本零士先生漫画の滲む涙目にみえました。
昭和53年(1978年)ささきいさお 銀河鉄道999
昭和歌謡から宇宙に飛んで恐縮ですが(笑)。個人的に外せない昭和の大名曲。
わたくし幼少から1万回以上は歌ってます(笑)。
昭和53年(1978年)ささきいさお 銀河鉄道999 主題歌
オープニングテーマ – 「銀河鉄道999」 / エンディングテーマ – 「青い地球」
作詞 – 橋本淳 / 作曲 – 平尾昌晃 / 編曲 – 青木望 / 歌 – ささきいさお、杉並児童合唱団
主題歌シングルは、 の「TVマンガ・童謡部門」のチャートで1979年度の年間チャート1位を記録した[11]。
銀河鉄道999のテレビ版主題歌や動画は東映のアニメチャンネル(上記にリンク)や
U-NEXTなどの動画配信サービスでご覧ください。
■銀河鉄道999 (テレビアニメ)
フジテレビ系列1978年9月14日 – 1981年3月26日放送
全113話 + テレビスペシャル3話
翌1982年に総集編が放送
東映動画製作
文化庁推薦作品
最高視聴率 22.8%
(参考)ウィキペディア
「いま万感の思いをこめて汽笛が鳴る」
1979年公開
映画 銀河鉄道999 特報・劇場用予告篇
https://youtu.be/URj_F-MIna4
「いま万感の思いをこめて汽笛が鳴る」
余談ですがこの後の続きには2パターンあります。
1「永遠の夢とロマンをもとめて 人は皆 星の海を見ながら旅に出る」(特報)
2「旅立つ若者の夢をのせて汽車が行く」(劇場用予告編)
2つづき「誰の心にもある青春の日のほろ苦い思い出 あまい胸のときめき そして未知の冒険へのあこがれ」
かのクロスオーバーイレブンでもおなじみの名ナレーター城達也さんが語るこの映画銀河鉄道999劇場版アニメ予告キャッチコピーだけでも味わい深い名文句。
実は「はくつる」引退の報を聞いたときまっさきにこの曲と映画のキャッチコピーが浮かびました。敬愛する松本零士さん作品にちなみこの曲も捧げたいと思います。
(ちなみにゴダイゴの映画版主題歌は名曲はもちろん大好きな名曲ですが私はなんといっても、ささきいさお氏の歌うアニメ版主題歌が永遠の心の主題歌。なにしろ幼少期にリアルタイムで食い入るように見つめていたので。ほぼ脳内浸透へたしたらDNAにすりこまれているかもというぐらい好きです。)
🔗鉄道の汽笛が印象的なレトロ名曲レアグルーヴ特集(工事中)
ちなみに銀河鉄道999も松本零士さんが九州小倉から上京するときに思いついた歌ではないか。というツッコミもあるかもしれませんが。一応メトロポリス駅(上野)発宇宙(岩手とか北海道とか北の方)ということでご容赦を(笑)
(おまけ)583系は「夜行列車」の代名詞?※別記事に移動予定
1977年(昭和52年)1月の「津軽海峡・冬景色」発売された頃は、1974年(昭和49年)に東京国際空港と千歳空港の間にジャンボジェット機(ボーイング747)の運航が始まり、1978年には旅客数世界最多を記録。
また、東北自動車道が部分開通し、マイカーでの帰省なども増加。
1974年以後は青函連絡船の利用が減少傾向に転じた時期でした。
つまり「上野発の夜行列車」の数は相対的に減少傾向ではあったものの、定期の夜行列車が1日に30本ほど出発していました。
詳しくは鉄道ライターの杉山さんの有名な記事がありますのでご興味ある方はそちらをご覧下さい。
杉山淳一「上野発の夜行列車、1978年10月7日の夜は46本もあった」マイナビ,2015
■「上野発の夜行列車」はどの列車か?
結論から言うとなかなか同定(確定)は難しいようですね。
天国の阿久悠さんに聞くしかないのかもしれません。
(ここで鉄道ファン的には「つまり之は松本清張・西村京太郎氏らの鉄道ミステリー小説のような話か?」と食いつきたくなるところですがやや本筋を逸脱しますので機会があれば別に譲りたいと思います。…結構調べたけど未だ結論はナゾ(;^_^A☜食いついた人)
まとめ
夜行列車の代名詞ともいえる583系の引退。
昭和という時代の日本を背負い走り続けたその雄姿の引退。
万感胸に迫る思いがあります。
ここでは「夜行列車」を題材にした懐メロや昭和歌謡をご紹介いたしました。
技術的な解説などは鉄道専門誌などで大いに特集が組まれておりますので音楽ブログからの惜別のひとつとしてご笑覧いただければ幸いです。
末筆ながらこの場をお借りして関係者のご尽力に敬意と感謝を申し上げます。
(寅山拝)