いち音楽リスナーの管理人も小学生の頃のアニソン、歌謡曲、そして中学になってロックやフュージョン、高校でソウル、大学でラテンなど自分の知らなかった音楽ジャンルに出会い、リズムや踊り方の違いなど、それぞれの音楽ジャンルのスタイルを学び、先人の各音楽ジャンルを極めようとする情熱と技に驚嘆し、それぞれの道の達人に敬意をもって様々な音楽ジャンルを聞いてきた(いる)。
ただ、一方で個人的に腑に落ちないのが、各音楽ジャンルごとで争いが生じること。はっきりいって、どの音楽ジャンルもルーツをたどればどこかでつながっている。
狭い例など、70年代前後にはフォークとロックでいがみあったそうだがどちらも米国のブルースやアメリカーナと最近では呼ばれる米国民謡などがルーツになっている。アコギの弾き語りでぽつぽつと静かに聴かせるか。エレキでジャーンと大勢に聞こえるように増幅させるか。
歌謡曲やJ-POPといった邦楽のジャンルがさまざまな海外の音楽ジャンルの要素を刺激として発展してきた歴史。純邦楽自体、6世紀頃の唐(中国)や朝鮮半島を経由してアジアの音楽の要素をはらんだ。西洋音楽といっても、西欧のクラシックや米国のジャズやブルースのみならず、ラテン、シャンソン、サンバ、そしてアフリカなどの民族音楽やワールドミュージックなどさまざまな音楽ジャンルのスタイルを刺激として豊かに多様性を実らせてきた。
もちろん音楽ジャンルについて書くといえばまずは京風おでんのように各ジャンルについて丁寧に掘り下げ、なるべく味が濁らないように個別具体にまとめたい気持ちもある。
ただ、各論を掘り下げつつも、日本の音楽すなわち邦楽のジャンルについては、「複合ジャンル」や「つながり」といった主たる特性をまずは指摘しておきたい。この補助線を引いておかないと、ともすれば表題のように「邦楽には音楽ジャンルがない?」のかという素朴なギモンがわくかもしれない。日本にも音楽ジャンルはある。歌謡曲、J-POP、それぞれ米国のジャズやロックやソウル、ラテンのサルサ、キューバのソンなどと比べてもそん色のない立派な日本の音楽ジャンルだ。だが、そこにはおよそ日本国外の海外の音楽ジャンルの要素は時代ごとにほぼ全て何らかの形でとりこんできたその複合性や多様性のあまりの幅の広さのおかげでリズムも何でもありだしサウンドも何でもありだしさらに日本流の解釈や当時の誤解なども積み重なって損をルンバといったりメレンゲをサンバといったりサンバのリズムの曲なのに歌詞がボサノバだったりとまともにときほぐすにはもうもつれすぎて意味不明になっているきらいもある。その辺が海外からみれば意味不明だろうし、当の日本人にもよくわかっていない部分もあるだろう。
でもまあいいじゃん。(笑)
だって、海外の音楽ジャンルもルーツをたどればはじめはわりと素朴だったり、軽い気持ちで始めたり、適当なネーミングが多い。キューバのソンは歌、ブラジルのサンバも歌、英語のソングも歌、シャンソンも歌。日本の歌謡曲も歌。要はどの国でも「歌」という名前がよその国からはジャンルと呼ばれる。
本当はどの国でもソンにもサンバにもシャンソンにもさまざまなサブジャンルがあり多様だが、例えば日本ではソンといえばブエナビスタでライクーダーに脚色されたややセピア色の芝居がかったヴィンテージ風のソンしか受けなかったり。サンバといえばリオのカーニバル・・・どころかイタリアのベリーニのサンバジャネイロというサンバっぽいEDMが有名だったりする。サンバには日本の民謡や音頭、フォークソングのような弾き語りなど、まさに歌謡曲とおなじようにさまざまなサンバがある。シャンソンしかり。フランスではフレンチポップという言葉はなくイェイェ(yé yé)という日本でいえばGS(グループサウンズ)のような感覚で60年代辺りのスウィンギング・ロンドン(Swinging Sixties)に影響を受けたサリューレコパン当たりのアーティストを呼ぶこともあるが基本はそのあたりもふくめて60年代以降の歌は「シャンソン・ヴァリエテ」略して「ヴァリエテ」と呼ばれるほうが一般的である。シャンソンも19世紀のベルエポック時代からリアリステ、50年代の左岸派(フランス語 Rive Gauche)そして件のヴァリエテなどそれぞれ時代ごとに特徴を表す呼び方もあるがそれがジャンルかといえばまあサブジャンルではあろうが基本はに音と同じように歌詞の意味に比重が大きめの「歌」である。日本ではシャンソンといえば戦前の宝塚レビュー系の歌劇、戦後の社会混乱のなかで眩い灯をともしてくださった名店『銀パリ』系のシャンソン・リアリステあたりが2大潮流となってきた。なかなかヴァリエテ以降の新しめのシャンソンはいかにも歌謡曲だったりバリバリのロックだったりして受けつけられない向きもあるだろう。ただ、フランスでフランス人が一番好きなジャック・ブレルの「ノメキテパ」などは筆者からすればいい意味で女々しさ満点のムード歌謡である。(背景にふれればジャック・ブレルがベルギー出身で色々苦労されたとか仏語圏マイノリティーの悲哀云々などもスパイスではあろうが)ざっくりいえば堀江淳の「メモリーグラス」をもっとシンプルにしたもしくはひとり敏いとうソロ的な「行かないで」と切々と繰り返す歌詞。いい意味で情けない。だがこれがまさに普段は理屈っぽくて(男女とも)とくに女性が強いフランスで虚勢を張っている男どもの実は甘えたい願望というフランス人の心の琴線に刺さりまくるのである。・・・のだろう(この辺の感想はワシの妄想なので適当ですが😅)。
とまれ、ジャンル談義もいろいろあろうが、結局は「歌」。
小生もソウルやラテン好きでそこそこカリブや中南米のリズムも気になっていろいろ聞いたりパーカッションでルンバを習ったりと基本は曲先でしかも上物よりリズム9割で聴いているがそんな亜流の輩でも、結局ソウルミュージックでもキューバのヌエバソンという70年代80年代辺りの知る人ぞ知る旧社会主義キューバ音源などを掘ったりしても、個人的にこれは!と思う名曲は結局よい「コロ」(英訳すればコーラスだが意味的にはすなわちサビ)の曲だったりする。ソウルもしかり。つまり、結局は昔ベストテンで夢中になってマネして口ずさんだ歌謡曲のヒット曲と同じである。
どんなジャンルであれ結局名曲とはよいサビのメロディがあること。ヒット曲であれいわゆる和モノのようなマニアックな隠れた名曲であれ、サンバであれヒップホップであれ、サビだよ。ジャンルというファッションや前菜の工夫ももちろん楽しいだろうがやはり歌ならサビの美メロ。このメインディッシュが肝心なのでしょうな。
それがだんだん広まって形式ばったり
しょせん音楽ジャンルなんてただの音楽スタイルつまりいい意味でのファッション。一人のアーティストが普段は洋服を着ていてもたまに正月に和服着てもなんらさしつかえない。